ビルバオの美術館―残酷な記憶の抽象画も ―スペイン・バスクを旅した(3)
- 2019年 6月 17日
- カルチャー
- スペイン坂井定雄紀行
バスク旅行の仕上げは、バスク最大の州都ビルバオでの2日間だった。
ビルバオはバスク自治州最大の都市、といっても市内人口は35万人程度、スペインでも10番目に過ぎない。しかし、バスクの産業、交通の拠点で、国際空港があり、世界的に著名なグッゲンハイム美術館がある。世界各国からバスクに来る旅行者が必ず行く同美術館は、ニューヨークに本部があり、世界に展開する同名の美術館の一つで、ビルバオの展示は現代美術に限る。開館は1997年。スペイン内戦初期の1936年にクーデターで国家権力を奪い取った右派フランコを支援するドイツ空軍の爆撃、市民虐殺を描いた有名なピカソの「ゲルニカ」は、現在マドリードのソフィア王妃芸術センターが常設展示している。ゲルニカはビルバオから離れた人口1万5千人ほどの小さな町。だが、この美術館を訪れる観客たちは、「ゲルニカ」を心に描き、目に浮かべてくるという。
今回もグッゲンハイム美術館では、早朝の開館前の長い行列ができていた。年間100万人の入場者だという。建物自体が立体の四角と球体を組み合わせた現代芸術。展示室は大小、広い廊下すべてを使い、段差をつけた3階構造。広いその1室が、「ゲルニカ」を思いださせる様々な現代絵画の展示だった。明らかに、フランコ政権時代の暴虐がテーマの抽象画像と文字の絵画は4,5点。それ以外は、さらに抽象的な絵画だった。
ネット上には、詳細な説明と見事な写真がたくさん紹介されており、これ以上の説明は止めておこう。現代芸術はこれなのだと納得する。美術館全体も、庭の巨大な蜘蛛も、広い敷地の入り口にある子犬の巨像も、びっくりして見つめ続けた。
▼住民には圧倒的に使用されるバスク語
フランコの死後、民主政治体制に転換したスペインで、バスク自治州では、スペイン語とバスク語両方が公用語として正式承認された。フリー百科事典ウイキペデフィアを引いてみると、まず「バスク語は、スペインとフランスにまたがるバスク地方を中心に分布する孤立した言語で、おもにバスク人によって話されている。2006年現在66万5800人の話者がバスク地方に居住し、すべてスペイン語またはフランス語とのバイリンガルである。」と記している。しかし(1)に紹介したように、別のウイキペディアの記述は、バスク人についてスペインのバスク地方に230万人、スペイン各地に約400万人、フランス南部のバスク2万8千人と記している。バスク人は、長い歴史がある独自の民族で、その言語はスペイン語とも他の欧州の言語とも全く異なるのだ。
今回旅したサン・セバスチャン、ビルバオ、さらには1日だけ町と村を回ったフランス領バスク地方でも、住民の言葉は方言があるようだが、ほとんどバスク語だった。それぞれスペイン語かフランス語も通じるという。
日本のあるガイドブックでは「バスクの全体人口は約300万人、そのうち約80万人がバスク語を話すといわれています」と書き、他は、バスク語の話者、利用者の数、割合について書いていない。このガイドブックは誤っていると思う。バスク人の大多数がバスク語を日常、話していると思う。バル街だけでなく、各市内で、人々の会話に極力耳を澄ました。さまざまな場所の文字もチェックした。大小の看板、各種の標識は、スペイン語と2言語で書かれている重要な道案内や交通標識以外、バスク語だけが多かった。
サン・セバスチャンでもビルバオでも、大きなホテルに泊まったが、ロビーのソファー、テーブルに置かれた新聞は、バスク語新聞だけだった。スペインには立派な新聞がいくつもあるのに。バスク語は文字にアルファベットを使用するが、単語の表記はだいぶ長い。新聞のアルファベットをスペイン語流、英語流に発音してみても、まったくわからず、類推しようがない、独自の言葉なのだ。公用語だから学校ではバスク語と同様にスペイン語もしっかり学んでいるのだが、おそらく7割、8割の人がバスク語で生活しているに違いない。全く読めないバスク語の立派な新聞を眺めながら、もしかしたら、バスク・ナショナリズムがさらに根強くなっているのではないか、と思った。(了)
ビルバオのグッゲンハイム美術館の入り口に立つ、
子犬パピーの巨像、表面は花で埋められている。
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