書評 軽部謙介『官僚たちのアベノミクス』(岩波新書 2018年)
- 2019年 8月 11日
- 評論・紹介・意見
- 中野@札幌
書評 軽部謙介『官僚たちのアベノミクス』(岩波新書 2018年)
―人を誤読に導く小著―
書店の棚にはアベノミクス関係の書籍が汗牛充棟である。「アホノミクス」と、小気味のよい一刀両断の断罪があると思えば、関係者がライターをゼニで釣って書かせたたんなるヨイショにすぎない愚作も・・・。 このような類のものは、題名を見ただけで内容の見当がつくのでわざわざ購入してじっくりと読む必要はないだろうし、つまり、賛成・反対を問わず内容はわかりやすいので、読者が誤読する恐れは少ない。
注意すべきは「公平さ」や「客観性」を装い(「装う」のではなく、本人自身がそう信じている場合も多いが)、最終的には読者をアベノミクス礼賛に導くような文献である。その代表の一冊が軽部謙介『官僚たちのアベノミクス』(岩波新書 2018年)である。
評者から見れば―松尾匡氏や「薔薇マーク運動」の理論家の見解からのパクリの見解と言われるかもしれないが―アベノミクスは「積極金融・財政論」と「緊縮金融・財政論」との矛盾した混合物である。具体的には、アベノミクスの「三本の矢」のうち、「異次元金融緩和」と「機動的財政出動」は前者の、「民間投資を喚起する経済成長」は後者に属すると見ることができる。そして言うまでもなく、悪名高い「消費税10%アップ」は緊縮財政思想そのものである。
ところが、この『官僚たちの…』は、アベノミクスの前者の面ばかりをクローズアップしているかのように見えるのだ。
例えば、いよいよアベノミクスがスタートしようとする、2013年の1月14日の白川日銀総裁、麻生太郎副総理、甘利明内閣府特命担当大臣の三者会談の直前に、麻生と甘利の間でこんな会話があったのが記載されている。
…甘利は麻生にこう言われていた。
「あまり厳しくやると白川総裁は辞任するぞ」
たしかに政権発足から一か月もたたないうちに中央銀行総裁が辞任となれば、その政治的影響はきわめて大きい。アベノミクスは出だしから大きな打撃を受ける。世論も「安倍政権が強権的に白川総裁を追い出した」と受け取るだろう。(同書157~158頁)
安倍内閣VS日銀という対立構造、大胆な金融緩和派VS金融引き締め派という対立構造を当初から前提としている書き方である。同書は、まさにこの金融緩和についての対立構造を前提として―財政政策での対立構造については詳しくは書いていないが―全文が書かれていると言ってよいのである。
もう一つ、1月15日の金融有識者会議での、中原伸之元・日本銀行審議委員と岩田規久男・学習院大学教授の発言内容を例に挙げると…
「自分は日銀に審議委員として四年半いた…日銀がどいうところであるかよくわかった。円高に悩んでも知らんぷりだ」(中原氏 同書167頁)
「金融政策だけではデフレ脱却ができないと日銀は言っていたが、それは間違っている。全責任は日銀にある」(岩田氏 同書168頁)
日銀の批判者である有識者の発言をクローズアップすることによって、日銀の金融緩和に対する消極姿勢を描き、その結果、アベノミクスの金融緩和に対する積極姿勢を浮かび上がらせるという叙述テクニックが使われているわけである。
だが、前述したように、アベノミクスは「積極金融・財政論」と「緊縮金融・財政論」との矛盾した混合物である。それにもかかわらず、同書は、上記の例のように前者の面だけをクローズアップ、少なくとも読者がそう読み取ってしまうような記述になっているのである。
以上のような同書の「暗黙の前提」を念頭に置いて読み進めると、さすがに新聞記者の手になるものだけあって、その具体的な事実・事件の記載は類書にない詳しさであるから、それなりの情報・知識を得られる著作であるとは言えるであろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8892:190811〕
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