テント日誌8月8日
- 2019年 8月 12日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
真夏の新宿夜のデモは盛り上がった 8月3日(土)
8月3日「とめよう!東海第二原発8・3・新宿夜デモ」に参加した。
真夏のため夜にと言うことで企画された集会とデモ、5時過ぎのアルタ前は日陰で風もあり、思ったより暑くなくて良かった。
ひろば周辺はカラフルなプラカードやバナーを持つ人々であふれていた。
まずジョニーHさん他の方たちによる反原発ソングで賑やかに始まり、
そして主催者の柳田さんの挨拶、茨城から参加の披田さん・千葉県発とめよう東葛の会」鹿児島から上京していた江田さんのスピーチの後、6時15分に新宿ダイガード前からデモ出発、新宿区役所前遊歩道まで「すべての原発いますぐ廃炉!」「被ばくの強要すぐやめろ!」「損害賠償値切るな!」など元気にシュプレヒコール上げながら歩いた。参加者は250人だったそうです。終了後40人位での交流会も開かれ楽しかったです。とめよう!東海第二原発 首都圏連絡会がこのデモに賛同を呼び掛けたところ、賛同団体73・個人の賛同253人あったそうです。つながりの大切さを感じました。
いつものメンバーと変わりないが 8月4日(日)
F原、T久、レジェンドM子、サッシー、M川、自転車兄弟(早く来て早帰り)、N瀬、O島、ヨーカン、鳩と雀多数、顔ぶれはこんなところか?抜けている人いたらごめんなさい。
暑かったが適度に風もあり、F原おにぎりとゆで卵、お菓子をつまみ水分補給しながら、特に熾烈な論争も無く夕方まで過ごした。4時で終了して半数以上が帰ってしまったが、残ったメンバーで事務所でのお茶と軽食(はしゆき)
当番の保さんが広島に出掛け今日は一人で 8月5日(月)
今日、保さんは地元・医療生協から派遣されて広島へ行っているので一人で経産省前へ行きました。今日も太陽がやたらと元気でギラギラと輝きとても暑かった、35~36度になったのではないか。少し時間はかかったが昼前には座り込みの準備を終えることができた。
保さんの代わりに来てくれる人に予期せぬ事態が起きて来られなくなったとの連絡があったのでしばらく一人での座り込みとなった。幸いに氷水は魔法瓶で持ってきていたので不自由しなずに済んでよかった。そうやっているうちに午後1時半頃、常連の人が座り込みに来てくれた。これを好機とその間にトイレを済ませた。
彼が帰られたあと男の人がカンパしてくれた。彼は官庁に勤めているという、とても勇気ある行動で、誠に有り難く勇気を貰った。
保さんがいないので自分としては初めて事務所から持ってきたマイクで反原発の呼び掛けを行った。
4時半頃、国会前座り込みを終えたレジェンド・Sさん御一行が来られた。元気そうで安心した。帰る時間が来たので片付けて事務所に戻った。今日も何とか無事に座り込みを終えることができたと思った途端にどっと疲れを感じた。(S・S)
若者は涼しげだが、中年は暑さまいったという風情 8月6日(火)
今日は8月6日、テレビでは広島原爆慰霊の日のセレモニーを中継。平和式典に5万人が参列したとのこと、その後の甲子園の高校野球開幕式は3万人が集まったらしい。第一試合の開始を待たずに出かけ、事務所に寄ってからSさんYさんらとゆっくりと経産省前に到着。
昼の12時、9脚の椅子を並べていると若い警察官が話しかけてくる。要は私たち二人が、ここで、いつからいつまで、何人で、何をしているのか、と「尋問」されたのだったが、第7機動隊らしいその彼、なかなか人当たりの良い若者でした。警察官が2~3分程で立ち去ったあと、Sさんも所用で立ち去る。二人で座っていると、Yさんがトップ記事にイギリスのゴルフ大会で優勝した日本女性の写真が載った新聞を広げながら、連夜のテレビ中継でゴルフ観戦して寝不足気味、と楽しそうにおっしゃいます。
パラソルを広げていても、真昼の経産省前歩道は座っているだけで熱気が地面のコンクリートから足の裏を通してあがってくる。行き交う通行人も中年過ぎた男女の多くは、いかにも暑さでマイッタという風情。それでも若者たちは、とくに若い女性たちは、日傘を差し、涼しげな恰好で歩いています。その後、徐々に座り込むメンバーも一人増え、二人増えて3時近くには7名となりました。(O・E)
子供たちは元気な顔を見せていたが 8月7日(水)
今日は月一回の遅番なのでテントひろばには2時頃に着いた。
ギラギラ輝く太陽光線に照りつけられたテントひろばは気温が35度・湿度60%にもなっていて熱風が顔に吹き付けてくるという炎天下になっていた。
この中で早番の人達は顔を真っ赤にしながらパラソルの下で敢然と座り込みをされていた。今日は例年恒例の子どもデー初日でテントひろば前は沢山の親子連れで賑わっていた。
仕事で通っていく大人たちは暑さのためげんなりした顔をしていたが、子ども達は久しぶりの外出からか、どの子も元気にはしゃいでいたのが印象的であった。
早番の人の話では早い時間に表現の不自由展が右翼の妨害によって中止を余儀なくされた件で急遽、院内集会が計画され、それに参加するという人がわざわざテントひろばに寄ってくれて知らせてくれたそうだ。内容はどういうものだったのだろうか?と思っていたが、それに参加した常連のOさんが夕方寄ってくれて、中止された表現の不自由展をどうにかして継続してくれるよう事務局に要請することになったそうだ。東京以外の地方でやることに意義があるということのようだが、やれなければ仕方ないので、どうしても無理なら東京でやればいいと思う。参議院選挙で山本太郎現象を支えた多くの人が防衛に駆け付けてくれるであろうから。
原子力規制庁前の抗議行動を終えて来られた神奈川のKさんがなんと5時まで経産省糾弾の抗議行動をやってくださり、子どもデーにやって来た親子連れの耳目を惹いた。子ども達の中には、原発よりいのち、を正しく理解して口ずさんでくれた人もあった。あと二日、子どもデーは続くので更なるパフォーマンスで子ども達を惹き付けていただきたい(保)
暦の上では立秋だけど、とてもとても 8月8日(木)
立秋だと言うのに猛烈に暑い。
12時前に経産省前に着いた時は涼しい風が吹いていたけれど、徐々にアスファルトの照り返しもあり暑さがどうしようもなく増してきた。
今日も「霞が関こども見学デー」とやらで経産省にも親子連れが沢山来ていた。数枚持っていたテントリーフを何人かに手渡して原発に反対して座っていますと声を掛けたらありがとう!と言ってくれた人もいたけど。
ほとんど私たちの存在に気が付かない様子で通り過ぎて行ってしまう。
このチャンスを生かせなかったのはちょっと残念!
少しして呪殺祈祷団でトランペットを吹いている方が近くに来たのでと寄って
カンパをして下さった。感謝です。
2時半ごろたんぽぽ舎のボランティアのOさんが可愛いスイカの赤ちゃんをもってやって来た。知り合いが栽培しているスイカを間引いたものだそうだ。
大きくなれなくて可哀そうだけれど…これも運命か!
しばし鑑賞されることで救われるかな?
時折吹く突風にパラソルがお猪口になり困ったが、Yさんが事務所から裁縫道具を持って来て修理してくれて助かった。
暑さにめげていた時Yさんがガリガリ君を買って来てくれ、しばしの涼を得る。3時前に遅番の人たちがそろったので私はテントを離れた。(I.K)
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経産省・エネ庁は「今だけ、金だけ、自分だけ」の大嘘つき! その121
「原発技術は破綻、必ず事故起こる」―米国原子力規制委員会元委員長の警鐘―
~グレゴリーヤツコが反原発に転じた理由(東京新聞「核心」から)~
東京新聞「核心」(2019年7月31日、1面―2面)が脱原発を「確信」させる。https://www.tokyo-np.co.jp/article/kakushin/
3.11東電福島原発事故当時に米NRC委員長であったグレゴリーヤツコ氏インタビューから。<経済性や安全性を理由に「原発は破綻した科学技術だ」と主張した。
「原発に頼る限り事故は必ず起きる」と述べ、発電コストが下がり続けている風力や太陽光といった再生可能エネルギーの開発に全力を注ぐべきだと訴えた。
<福島の事故後、NRCとして地震や火災、水害といった災害に対する原発の弱点を洗い出したが、原子力業界の妨害などで「ごくわずかな改善」しか実現できなかったと回想。業界という「圧倒的な存在」が規制当局や政官界にまで幅を利かせる構図が必要な安全対策を阻み、経済性が落ち込んだ原発を延命させる一因になっていると指摘する。><福島事故を経てもなお原発に固執する日本のエネルギー政策に対し「次の事故のリスクを認識、理解する必要がある。起きるかどうかではなく、いつ起きるかだ」と警鐘を鳴らした。>
続いて「代替エネルギー 火力のみなら温暖化」、「業界と癒着 米にも原子力ムラ」、「福島事故で恐ろしさ思い知る」と発言。あとは本文を読んでいただきたい。 それにしても、元規制委員長が米国の政官財の癒着を指摘していることが重要だ。
また、佐藤暁さんが「アキレスを追いかけるカメ」(岩波科学2015年7月)で、「米国では福島事故以前に対応済みだったが、日本では現在(「新規制基準」)も未対応の事項」が15項目あると述べ、日本は「世界の水準に追いつくどころか、引き離されている」と述べている。
日本の原発は、ヤツコ氏が心配する米国の原発よりもずっと危険なのだ。 ヤツコ氏の話は、経産省・資源エネルギー庁の施策が間違っていること、私たちが主張してきたことが正しいこと、を確信させた。以上
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