はじめてのオランダとハンブルグへの旅は始まった(16)
- 2019年 8月 31日
- カルチャー
- 内野光子
7月2日(火)風が強く、外へ出ると、寒い。まずは歩きで歴史博物館へと思う。まるで冬支度のコートとマフラーの出勤途上の女性もいれば、半そでの男性もいる。何度も往復したルーディング・エアハルト通りのビジネス街をミヒャエリス教会方面に向かって歩く。
途中、ミヒャエリス教会の右手の向い辺りにブラームス記念館があると入り込むのだが、旧市街の趣で、何度聞いてもたどり着かずに、ひとまず、歴史博物館に急ぐ。ところが、なんとこの週だけ月・火の連休とのことで、残念ながら、ハンブルグ最終日の明日に来ることにした。それでは、とうことで、辺りを見渡せば、広い植物園であって、博物館はその一画にあったのだ。道路を渡ってビスマルク公園に入ってしばらく歩くとなんと、巨大なモニュメント、カメラに納まりきれない石像が立つ。その土台には、街ではあまり見かけなかった「落書き」がすさまじかった。というわけで、午前中の収穫は少なかったのだけれど、交通のターミナルでもあるサンクト・パウリ駅U3→シュランプU2→中央駅北口から市立美術館へと歩く。
ビスマルク石像、大きさもさることながら、この落書きにも圧倒される。
ハンブルグ市立美術館に入館(14€)し、フロアガイドに沿いつつ歩き始めるが、広くて複雑そうなので、現代の部は省いて、まず3階の18世紀以降をと見始めた。小さい部屋続き、その横には大きな部屋が、全館であわせて60室以上あることになる。
上が、市立美術館の全景、下が向かいの市民ホール。朝の涼しさはどこへやら。
中央の絵葉書が、マックス・レーバーマン(1847~1935)で、ドイツ印象派の主要画家であった。チケットがマネの「ナナ」、下の横向きの絵葉書は、美術館の宣伝用らしく、カスパー・ダーヴィル・フリードリヒの「雲海の上の旅人」と題されている。
右がハンブルグ市立美術館の三か月の予定がびっしり書かれているリーフレットで、広げると新聞大のレンブラントの自画像(1630年)のポスターになる。左は、すでに終了した「ハンブルグ派」特別展のガイドであり、中央が開催中の北欧の特別展だったのだが、素通りしてしまったのか、気づかなかった。リーフレトによれば、デンマークのハンマースホイの作品もあったのである。私はいつから、この画家の、モノクロの静かな室内画の、淡い光と陰に魅せられたのだろう。来年1月から都美術館で、はんあースホイ展が開催されるそうで、楽しみにしている。
いずれもフィリップ・オットー・ルンゲ(1777~1810)の作品、早世したが、ドイツロマン主義の代表的な画家。上段、左が自画像、右が両親を描いたものらしい。(17室)
上段は、アドルフ・メンツェル(1815~1905)の「「ベルリン三月革命における棺の安置」?と題される作品(20室)、ほかに労働者を描いた作品が何点か見られた。下は、現物は見ていないが、夫のチケットで、アルブレヒト・デューラー「恋人」(1492-4)であった。
やはり、疲れ切って、途中で、CUBEといカフェで一服。レンブラントは6室と言われて、駆けつけると、たしかに2点あり、見落としていた。そんな名画はたくさんあったと思う。それでも、クールベやコロー、パウル・クレー、ムンク、ゴッホ、セザンヌ、シャガール、モネ・・・・、たしかに見た記憶がある。どんな絵だったか、思い出せないほうが多い。もう少し時間をかけて回りたかった。というより、体力の問題なのかもしれない、と思う今回の旅の美術館巡りだった。
この日の夕食は、中央駅のフードコートで、焼きそば・春巻など軽いもので済ませ、ホテルで、たっぷり果物でも食べようということになった。明日の出発にそなえて、荷物の整理をしなければならないし、といっても、夫の荷物はとうとう戻らなかった。着替えや洗面道具は何とか調達したが、充電器や電子辞書、若干の土産・・・、いったいどうなるのだろう。10日も経って、自宅に荷物が届いていた、なんていう話も聞くが・・・
初出:「内野光子のブログ」2019.8.31より許可を得て転載
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〔culture0858:190831〕
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