ゲオルク・ビュッヒナア回顧
- 2019年 9月 6日
- 交流の広場
- 箒川兵庫助
澤藤統一郎先生が「『週刊ポスト』の嫌韓・差別特集を憂うる。(2019年 9月 5日)」で「出典は知らないが、『国民はそのレベルにふさわしい政治しか持てない』という。何ともシニカルな表現だが、安倍政権の長期化を許している現状を、有権者の一人として腹ただしくも情けなくも思う』と述べておられる。
そこで思い出したのが故加藤周一の『ゲオルク・ビュッヒナア回顧』(福武書店,1982)である。ゲオルグは「ダントンの死」の一節で登場人物に『身体は国民の身体に合った着物のようなもので,その静脈の膨らみも筋肉の緊張や腱の慄えが透いてみえるようでなければならない。その身体が美しくても,醜くても,国民にはそのままであることの権利があり,われわれが勝手に好きな着物を着せるわけにゆかない・・・」と言わせている。
拝啓 澤藤統一郎様。
いつも大変勉強させていただいております。これからもよろしくお願いします。
さて,先生ご指摘の,上記の『国民はそのレベルにふさわしい政治しか持てない』は,「ダントンの死」の一節ではないかと思いますのでお知らせ申し上げます。もし間違いであれば,捨て置きお願い申し上げます。
敬具
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