よりによって,私の誕生日は「韓国併合の日」
- 2019年 9月 9日
- 評論・紹介・意見
- 天皇制歴史認識澤藤統一郎韓国
8月29日から10日が経過した。
8月29日を意味ある日として記憶されている人がいるだろうか。この日は、私の誕生日である。夏の盛りを過ぎ、もうすぐ夏休みも終わろうというこのころ。私の誕生日に関心をもつ人は、昔も今も殆どない。
ところで、8月29日とは、韓国併合の日として記憶される日である。手許の「日本史総合年表(吉川弘文館)」には、1910年8月22日のこととして「韓国併合に関する日韓条約に調印(29日公布施行,同日併合に関する詔書)」とあり、8月29日欄には「韓国の国号を朝鮮とあらためる件、朝鮮総督府設置に関する件を各公布」とある。
この8月22日と29日の関係について、「アリの一言」というブログに読むべき書き込みがあることを教えられた。「『8・29』は忘れてならない歴史の日」というタイトル。執筆者は、「K・サトル」氏。1953年広島県生まれで、政党機関紙記者・論説委員、夕刊紙報道部長・編集委員、業界紙編集長などの経歴がある方だという。その記事の抜粋を引用させていただく。
引用元の記事のURLは以下のとおり。
https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/d4f122a66c81f3bf1de888561dc6d064
きょう8月29日は何の日か、と聞かれて答えられる日本人が何人いるでしょうか。
「1910年6月、寺内正毅(当時陸軍相、長州出身―引用者)を3代目『統監』(朝鮮統監府―同)に任命した日本は、『不穏』な動きを封じ朝鮮とういう国そのものを完全に消滅させるための『併合』計画に着手した。同年8月22日、憲兵、警察に戦闘準備をさせ王宮と政府の重要部署を包囲し、総理大臣李完用をして『韓日併合条約』に調印させた。日本と親日売国奴は朝鮮人民の反抗を恐れ、『条約』を1週間ものあいだ秘密に付し、新聞を停刊、愛国団体を解散させ、反日運動家を検挙するなどして、8月29日にいたって、その事実をやっと公表した」(金昌宣著『加害と被害の論理』朝鮮青年社1992年)
「8・29」は「日韓併合条約」が公表され、日本が朝鮮半島の植民地支配を“正式に”開始した日。韓国・朝鮮の人たちにとってはまさに「屈辱の日」なのです。
「『併合』という言葉がどういう理由でもちいられたのか、当時の…倉知鉄吉外務省政務局長は、後にこういっています。…『韓国が全然廃滅に帰して帝国領土の一部となる』という意味を明確にすると同時に、その『言葉の調子があまり過激にならないような文字を選ぼう』と思い、いろいろ苦心し…『併合』という文字を閣議決定の文書にもちいた…。『併合』とは『韓国が全然廃絶に帰して帝国領土の一部となる』ということだったのです」(中塚明著『これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研2002年)
「日韓併合条約」は第1条で、「韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝陛下に譲与す」とし、第2条で、「日本国皇帝陛下は前条にかかげたる譲与を受諾しかつ全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す」としています。
韓国側が統治権を「譲与」し日本はそれを「承諾」するという姑息な形式の「条約」を、日本は軍隊・警察の武力の中で強行したのです。
この「譲与」「受諾」の主体が、「韓国皇帝」と「日本国皇帝」=天皇であったことに留意する必要があります。
この日(1910年8月29日)、天皇睦仁(明治天皇)は「韓国併合の詔書」を出しました。その中でこう述べています。「民衆ハ直接朕ガ綏撫(すいぶ=いたわること―引用者)ノ下ニ立チテ其ノ康福ヲ増進スヘシ…」。こうして「朝鮮人は天皇の赤子として位置づけられました」(宮田節子氏『日朝関係史を考える』青木書店1989年所収)。
「日本の36年間にわたる朝鮮支配(1910~45年―引用者)の基本方針は、『同化政策』とよばれるものです。つまり朝鮮人を日本人化することに最終のねらいがあったわけです。その根拠になったものは…明治天皇が出した『韓国併合の詔書』です」(宮田氏、前掲書)
1945年8月15日まで続いた日本による朝鮮植民地支配の基本方針は、朝鮮を「廃絶」し、朝鮮人を日本人に「同化」させることであり、その根拠になったのが天皇睦仁の「詔書」だったわけです。
日本による朝鮮植民地支配は、文字通り天皇の名による、天皇の言葉に基づいた、天皇制国家の暴挙・蛮行でした。この事実を、今に生きる私たち日本人は肝に銘じる必要があるのではないでしょうか。
なお、周知のとおり、1910年日韓併合条約の効力の有無が戦後日韓関係での懸案事項となり、1965年日韓基本条約第2条の文言は、「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」となった。明確に、日韓併合条約も『もはや無効』が確認されている。
しかし、その解釈は両国で異なる。韓国政府は「日韓併合条約は当初から無効であった」という立場であり、日本は65年条約締結によって無効になったとする。両国の歴史認識のズレは戦後も一貫してあり、現在なお大きいのだ。
(2019年9月8日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.9.8より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=13304
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion8981:190909〕
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