テント日誌9月12日
- 2019年 9月 14日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1807日後
笛もいいが、議論はもっと面白い 8月8日(日)
この日はまたF原さんが町会の会議で遅くなるので遅刻魔の私が責任者、ホント困ります(困るのは私より皆さんですが)。例によってT久さんと自転車部隊(E藤さんにS藤さん)がすでに待機していて、猛スピードで準備してくださり、なんとか格好がつきました。
準備中はかなりの雨が降り、雨具として持っていったパラソルが、座りこみを始めてみればピーカンのお日様対策に役立ちました。さすが最大級の台風直撃の半日前、メチャメチャなお天気です。そよとも風の無い昼ごろは死にそうな蒸し暑さでしたが、夕方になると風も出てきました。
この日も参加者はそこそこに多かったですが、中で目立ったのはM川さんで、自分がテントから排斥されたことの不当さと、非難を受けていることに関しては無実であるということについて、ほぼ2時間に渡って力説していました。彼は自説を文章化して運営委員会に向けて送る事になったようですが、それがテント日誌に載るかどうかについてはM上さんに決定権があるので、まずは書いてみなさいという感じです。
日曜日の貴重な時間を彼との議論に費やしてしまい笛の練習ができなかったのはわたしには全く痛手でしたが、他の皆さんは真面目に彼に対応していて、結構面白かったということで(笛を聞かされるより議論の方が面白いというのがF原さんの意見)、M川さんは日曜には参加ウェルカムということになりました。 (はしゆき)
早めに台風が立ち去ったのはよかったけれど 9月9日(月)
台風が早めに立ち去っていったのは良かったが、その台風が持ってきた熱帯の湿った空気が充満していて経産省前はサウナに入っているのではないかと思わせるほど暑かった。この時に飲んだ氷水の美味かったこと❗
準備を終えてからは台風に伴う風が強く吹いてきてバナーを取り付けられなかった。それが出来たのは11日まで我が家に泊まり込んでいる福島のAtが来た1時過ぎであった。この強風のお陰で湿った空気が吹き飛ばされたのか暑さは和らいだ。湿度計を出して見たら50%であった。ここへ来たときより20%低くなっていたのでビックリした。
今日は何か事情があってお休みかと思っていた常連のOnさんが2時半頃やっと辿り着いた❗朝いつもの時間に家を出たのであるが混んでいてどうしようもない状態であったとのこと❗誠に御苦労様でした。
事務所に着いたら拡声器の取手が壊れていたので金曜のSさんに電話したら今日直しに来るという。3時頃経産省前に寄ってくれて早番のSさんと事務所に行った。30分ほどして拡声器を抱えて戻ってきました。しかし残念ながらボルトを受けるプラスチック面の強度が無くてそのまま持ち上げると破断する可能性が大であるという。両端を丈夫な紐でくくりつけて肩で担ぐのが無難であるとのこと。その線で紐を探してみようと思います。
同じ頃、レジェンド・Sさん御一行が来られた。4時半を過ぎていたので心配していたが国会前抗議行動を終えられた後、官邸前で沖縄辺野古反対をしていた人々とエールを交換していたので遅くなったとのことであった。そのレジェンド・Sさんをわざわざ訪ねてこられた人がありました。話を聞いてみると教会が縁での古くからの知人であるとのことであった。ここへ来られたのは久しぶりとのことでしたのでニュース一式をお渡ししました。その際カンパを頂きました。薄暗くなった6時❗随分と日が短くなったことを実感しながら帰りました、夕日と東京タワーを見ながら。(保)
明日の集会に向けて何かと忙しい一日だった 9月10日(水)
今日は完全に真夏に逆戻りしたような猛暑日、座り込みのセットをしていると滝のように汗が滴り落ちる。明日は2011年3月11日に東日本大震災による、福島原発過酷事故が起きて半年後の9月11日に経産省の角地に「反原発運動の拠点となった」テントを設置してから9年目に入る。
2016年7月に出された最高裁の不当判決を受けて、テントは強制撤去されたが、「心にあるテントは撤去する事は出来ないを合言葉に」撤去即日に抗議集会を開くと同時に、座り込みは継続されて、現在もご存知の通り、経産省本館の正門前に堂々と、真夏も真冬も、雨の日も、風の日も、台風の日でも一日も休まずに、国の誤った原発政策を糾弾する抗議行動が継続されております。今日座り込みの途中に、明日の準備のため何度か事務所を往復した。
明日の「脱原発テントひろば9年目行動」の成功を祈って! (Y・R)
今日の集会はとてもよかった 9月11日(木)
今日は経産省前にテントを設置して丸8年目。14:30から参議院議員会館で小出裕章さんの講演会。16:00から経産省前で抗議集会を開催。テント座り込みは通常通りにやる。でも、集会準備をするスタッフなども早くからきていて、経産省前に運んでいくグッズは机や椅子の数はいつもの倍以上で、4人で運び出し、セッティングをやった。しかし、湿度は70以上もあり、気温も32度だかある。ともかく蒸し暑い。参議院議員会館の集会に参加する人が寄り、そっちにはいかず座り込みをしてくれる人もいた。佐賀の玄海原発反対を闘う吉田恵子さん、福岡の原発反対闘争をやっている井上さんや古瀬さんが寄ってくれた。
今日は水曜日で規制庁への抗議行動もあり、いつものようにKさんがその闘いの後、経産省前に来て抗議の演説をする。Kさんはテント8周年に関連して、ご自分が2011.9.11に直面したとき、原発は原爆だと思ったこと、原発は企業の利益を優先させ、人の命をまったくかえりみない、経済倫理をわきまえないで稼働していると思って、その断罪文を取引先の会社や友人に送って自分の主張を表明したと言っていた。
暑いなか、集まった人たちは夕方からの集会まで座り込みをした。6時近くになって、参議院会館での集会を終わって経産省前にみんなが集まり始めたころ、ゴロゴロさんがなり、ザアザア雨になった。でも6時30分には集会を始めた。7時過ぎに雨はやんだ。集会は9時まで続く。その報告は別途あると思うけど、木内みどりさんが司会で、落合恵子さん、鎌田さん、菅直人元首相、神田香織さん、小出裕章さん、河合弁護士など、が発言してくれた。もちろん、福島の女たちも。 終ってから、数々のグッズを事務所に運び、今日の闘いを終った。成功してよかった。(T・I)
昨日の雨の影響か、今日は幾分か涼しかった 9月12日(木)
昨日の雨のせいか今日は少し涼しかった。
12時少し前、経産省前に着くと遅番のSさん、とYさんでセッティングをしていた。急いで私も手伝っていたら勝爺もやって来て一緒に準備する。
すぐ後にヨーカンさんも来てにぎやかになる。
今日は色々あった。
まずテントを不思議そうに眺めている女性がいたので脱原発で座っていますと、チラシを渡した。読んでくれたかな?
昨日の河合弁護士の「原発を止めるためには世論の力が大事世論を喚起しなければ駄目」との言葉を思い出し少しは実践出来たかなと思う。
その後車椅子の男性がやってきたのでチラシを渡してテントのことを話すと彼は札幌出身で今は大阪に住んでいるけれど、大間原発裁判のため函館市にカンパを送っていると言う。
そしてオリンピックはどうなの?と心配していた。
色々話した後、車いすでも入れる食事が出来るところと聞かれたのでSさんが日土地ビルの地下を教えてあげた。しばらくして裁判所からの帰りのW子さんが寄ってヨーカンさんと話し込んでいった。
3時少し前、準レギュラーのY子さんやSAさん来てくれ椅子がふさがった。
私がSAさんと話し込んでいたら通りがかりのサラリーマン風の方がカンパして下さった。彼が遠ざかってからカンパ缶の中を見てお札の色にみんなでびっくり!さりげなく大金をカンパして下さったことに大感謝です。
ちなみに昨日のカンパも講演会場と夜の集会合わせて10万近くだったそうです。テントはみんなの支えがあって続いていることを実感した。
これからも原発ゼロ実現のために頑張らない、と思う。(I.K)
二つのお知らせ 9月11日行動に関連して
1 山本太郎さんからのメッセージ
早くから発言をお願いしていたところ、やっと昨日午後に秘書さんから次のメッセージが寄せられました。
ただ、当日だったので、集会で読上げることはできませんでした。
経産省前抗議行動にお集まりの皆さん、こんばんは。
れいわ新選組代表 山本太郎です。
私が議員になる前、原発問題だけではなく、労働、
貧困問題なども諸先輩方から学ばせていただいた大切な場所が経産省前テントです。
皆さんの粘り強い活動により、経産省がその場所にある前から、
テントが存在していたかのような錯覚に陥ってしまうほどです。
経産省前にテントが設置され早8年。
1日も早く経産省前テントの必要がなくなる社会を作るべく、
しっかりと魑魅魍魎だらけの永田町でやってまいります。
もう来る、と言われる大地震から、
この国に生きる人々の命と暮らしと尊厳を守るため、
原発は即時禁止。
力を合わせて政権交代を目指しましょう。
2 UPLAN動画
既に昨日の講演会の模様がUPLANにアップされています。
良かったらどうぞ。
20190911 UPLAN 小出裕章「福島は終っていない、 原発はクリーンではない」
https://www.youtube.com/watch?v=CL_yjWM69VY (K・M)
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9月14日(土) 止めよう東海第二原村上達也 東海村元村長講演会
13時30分~15時30分 亀有地区センター第三会議室 参加費500円(学生無料) 主催(申し込み)「ひろば葛飾」(03-3620-4095)しんくら
9月16日(月・祝)さよなら原発全国集会 場所:代々木公園B地区
13時30分 集会 15時10分 デモ出発 11時よりブース開店
9月19日(木) 福島原発刑事訴訟裁判 判決
東京地裁前で11時より集会 13時30分~ 104号法廷
9月19日(木)「安倍9条改憲NO!安倍退陣国会前行動」
18時30分 衆院第二議員会館前 総がかり行動
9月20日(金) 経産省前抗議行動 17時~18時
検定前抗議行動 18時30分
投稿論文 この論文は蔵田計成氏の投稿論文です。全体が長いので4回にわけて掲載します。以下、第一部 リスク係数で観る危険性(2回目)今回掲載部分、第二部 ある定説【3回目】 、第三部 歴史の逆襲【4回目】となります。添付全文
徹底検証/「100ミリ㏜健康影響なし説」のウソ
=0~10歳集団、100ミリ㏜被曝リスク、死亡率13%=
2019年9月 藏田計成(ゴフマン研究会 )
第Ⅰ部 リスク係数でみる危険度
1 100ミリ㏜の被曝リスクは、ICRPリスク係数でも1万人で50人
100ミリ㏜影響なし説の無謀さを明らかにするために、まず、被曝線量100ミリ㏜のリスク(危険度)をみていくことにしよう。ここで適用するリスク係数は、現行の「国際放射線防護委員会」(以下ICRPという)の係数である。これは一般住民を対象にした世界公認の公衆リスク係数とされている。ICRP公衆リスク係数が対象とする集団は、老若男女を含む一般公衆である。この公衆1万人集団が、平均1ミリ㏜被曝したとして、その集団がこうむるガン・白血病などの生涯リスク係数は「0.5人」(成人のみでは「0.4人」)としている。(ただし、ICRPリスク係数は1㏜を単位としているが、本稿では1ミリ㏜=1000分の1のリスク係数で算定)。このICRPリスク係数を用いて線量100ミリ㏜(=0.1㏜)の放射線誘発ガン・白血病などの生涯にわたる死亡率を推計してみよう。「線量-反応関係(被曝線量とリスクの関係)」は正比例しているから、結論を先にいえば、100ミリ㏜の被曝リスクは、結局、被曝1ミリ㏜のリスクの100倍(50人)となる。
◇対象:一般公衆1万人集団。被曝線量:平均100ミリ㏜。リスク:生涯にわたってこうむる、ガン・白血病死者数=50人(0.5×100)。死亡率0.5%。また、事故前の福島県民人口約200万人規模で推計すれば、平均100ミリ㏜被曝したとして、死亡者数=1万人(50×200)のリスクとなる。
この被曝推計値は2つの問題点を浮き彫りにしている。
①100ミリ㏜影響なし説(安全説)は、一般公衆1万人中の50人、県民規模人口200万人中の1万人の犠牲を切り捨てることによって成り立つ論理であること。
②この1万人中の50人、200万人中の1万人は、リスクの過小評価が批判されているICRP公衆リスク係数に基づく数字である。実際のリスクはさらに高くなること。
とくに②のICRPリスク係数の過小評価を不問にすることは背理である。ICRP公衆モデルの対象は幼若男女をふくめた「一般公衆」であり、これは通常の人口構成集団(住民)を対象にしている。ところが、生体の被曝感受性に関するかぎり、年齢別、世代別集団でみると大きな落差がある。その被曝感受性はそのまま被曝リスク増に結びついている。感受性が最も高いのは子宮内胎児であり、リスクも高い。そのあとに続くのが幼児・子供・少年・青年である。あとの壮・老世代のリスクは低い。このように、ICRP公衆リスクはこの世代間のリスクギャップを無視する構造になっている。たんに、ICRPリスク係数はこのリスクギャップを素通りしている。「子どもは大人の2~3倍」(ICRP2007年勧告)として補足扱いしているに過ぎない。
この年齢間の被曝感受性の違いから派生する被曝リスク差を、数値として明確にしたのはアメリカ放射線医学研究者ジョン・W・ゴフマンの年齢別・性別リスク係数である。(4)
ゴフマンは元国立放射線研究所副所長であった。在任中に既成のリスク評価を批判して自説を貫いた。職を辞した後も独自に研究を続けて、全年齢別、性別リスク係数を算定して、世界唯一の年齢別リスク体系を作り上げた。その妥当性はチェルノブイリ事故評価において実証され、高い評価を受けている。たとえば、世界の被曝防護機関や研究者によるチェルノブイリ事故の推計リスクは、最小値と最大値のひらきは概数で1対225(4000人対90万人)となっている。ゴフマン推計の被曝死者数(約47万人)は全推計値のほぼ中間に位置している。この推計値は人口動態統計による別な推計値に近似しており、決して実数らしきものとかけ離れてはいない。なお、そのゴフマンのリスク論については、後日別稿で詳述する。
ICRP公衆モデルとゴフマンモデルのリスク係数を対比すればどうなるか。先にみたようにICRP公衆モデルリスク係数は「一般公衆1万人・1ミリ㏜被曝・リスク0.5人」である。これをゴフマンモデルのリスク係数と比較すると大きな開きがある。結果だけいえば、ICRPリスク係数(一般公衆、1万人集団、1ミリ㏜被曝、死者0.5人)とは、ゴフマンモデルではほぼ「46歳集団」のリスク係数に等しいことになる。すなわち、同じ1万人集団、1ミリ㏜の被曝リスク=0.5人であっても、ICRPモデルの対象は「一般公衆」1万人であるが、ゴフマンモデルの対象は「46歳」集団1万人集団である。
このような年齢別リスク差の違いを鮮明にしてくれるのは、そのリスクを年齢集団別にみればよい。下記の表がそれである。ゴフマンモデル、年齢集団別1万人集団が、1ミリ㏜被曝したとした、各被曝集団のリスク差を示したものである。つまり、集団被曝線量=1万[人・ミリ㏜]当たりの、主要な年齢集団の被曝ガン死リスク係数である。
0歳 0歳時被曝集団 15.1人(件) 20歳時被曝集団 4.5人
5歳時被曝集団 13.3人 30歳時被曝集団 3.8人
10歳時被曝集団 10.5人 40歳時被曝集団 1.7人
15歳時被曝集団 5.1人 50歳時5 50歳時被曝集団 0.07人
表 ゴフマン著『人間と放射線』の「年齢別、性別ガン線量一覧」p.250以下を参考に作成
◇ ICRPのいう「一般公衆」という集団概念は、ゴフマンモデルでは「混合年齢集団」(ほぼ30歳集団)に相当する。このゴフマンモデルで集団リスクを推計すると、混合年齢集団1万人・100ミリ㏜被曝(100万[人・ミリ㏜])当たりの生涯リスク(ガン・白血病死亡率)=373人。ゆえに、両者(一般公衆と混合年令集団)のリスク係数比は、「50人対373人」(1対7.4)である。このリスク係数のひらき(7.4倍)が、ICRPリスク係数の過小評価を示している。
◇ ゴフマンモデルにおける世代間の被曝リスク構造をみれば、その違いが鮮明である。福島県民の事故前の人口構成のうち、20歳未満の人口集団は全体の19%に過ぎない。ところが、この20歳未満集団(19%)が引き受けるリスクは、県民全体リスクの59.8%である。つまり、等しい空間線量を浴びたとして人口上でみれば20%の若い世代が、リスク全体の約60%を占めていることになる。この事実は何を意味しているか。それはリスク係数を全世代一律に設定することの絶対矛盾を示している。このように、ICRP公衆リスク係数は実質的に世代間のリスクギャップを無視したリスク体系である。
◇ 一例を示しておくことにしよう。ゴフマンの年齢別リスク係数で推計すると、0~10歳未満1万人集団が、100ミリ㏜被曝すると死亡者数=1300人(死亡率13%)である。ところが、ICRP公衆モデル係数では、この幼少1万人集団は一般公衆に解消され、リスクの実数は推計不能である。あえて推計すれば、その子供リスクも「一般公衆=50人」(26分の1)のなかに解消されている。また、10~19歳1万人集団が100ミリ㏜被曝すると死亡者数 =670人である。だが、 これも「一般公衆=50人」(同13分の1)と計上される。
いずれにせよ、問題はたんに世代間リスクの多寡にとどまらない。世代別の集団1万人中の死者50人であれ、670人であれ、1300人であれ、これほどの犠牲を強いる線量「100ミリ㏜」を安全量とみなすこと自体が暴論である。まさに、線量100ミリ㏜とは〈合法的殺人線量〉というべきである。
2 線量100ミリ㏜は、事故前の年間自然空間線量率の333倍
線量「100ミリ㏜」のリスク(危険度)を、線量率「年間100ミリ㏜」のリスクと比較してみよう。この比較は「線量」と「線量率」の比較になるが、すくなくとも線量100ミリ㏜のリスクの度合いを知る目安にはなる。なお、ここで用いる線量率「年間0.30ミリ㏜」(政府は「年間0.4ミリ㏜」と高めに設定)とは、福島事故が起きる直前の国内実測値である。東京都健康安全センターが2011年3月1日~11日までの11日間に実測した、1時間当たりの平均値を年間に換算したものである。測定場所:東京都新宿区百人町地上20m、線量率:毎時0.0345マイクロシーベルト、換算年間空間線量率「0.30ミリ㏜」に換算したものである(5)。
結論を先にいえば「100ミリ㏜影響なし説」がいう「100ミリ㏜」とは、自然空間線量率「年間0.30ミリ㏜」の「333倍」(100÷0.30)となる。この倍率は異常である。
補足すれば、日常的に浴びている日本の自然放射線(バックグランド)の線量率は、宇宙線や大地からの線量をふくめて「年間2.1ミリ㏜」(世界年間2.4ミリ㏜)とされている。線量100ミリ㏜とは、その自然放射線量率「年間2.1ミリ㏜」の「約47倍」となる。累積線量率では「47年分」となる。どうみてもこの線量100ミリ㏜は安全量とはほど遠い。
さらに、線量100ミリ㏜を医療被曝と比較してみよう。Ⅹ線によるCT検査(コンピュータ断層撮影)に関しては定説がない。信頼度の高いオーストラリア(リンケージ研究、2007年、(6))によると、0~19歳、68万人を対象にした、追跡期間9.5年の統計によると、CT検査一回の平均被曝線量は4.5ミリ㏜で、その人工放射線過剰発症率は24%である。
線量100ミリ㏜は、この1回平均「4.5ミリ㏜」の22倍分(100÷4.5)である。また、日本では1回当たり5~30ミリ㏜とされているから、線量100ミリ㏜のリスクはCT検査の「3~20倍」相当のリスクとなる。さらに、胸部Ⅹ線撮影は側面撮影約0.25ミリ㏜(100ミリ㏜は約400倍)相当、正面撮影約0.06ミリ㏜(同約1600倍)相当のリスクとなる。さらに、医療被曝は日本人ひとり平均年間3.8ミリ㏜という。100ミリ㏜はその25.8倍相当のリスクになるという統計もある。
日本原子力ロビーは、これほど高い放射線を「被曝影響なし」「自然放射線被曝を除いた生活習慣病のリスクに紛れてしまう線量」(放射線審議会、後述)と強弁している。このように、線量100ミリ㏜は自然放射線や人工放射線と比べてみても大きな線量乖離をみせている。
これはどうみても安全線量とはいえない。これまでの環境中の生命体は長い進化の過程を経て自然放射線のリスクを受け入れ、それと折り合いをつけてきた。この自然の摂理に背いた過剰な人工放射線は、生命体の分子構造を脅かすに十分過ぎる犯罪的線量である。たとえ、20ミリ㏜や100ミリ㏜の線量が、一時的であれ、年間であれ、累積であれ、また、外部被曝や内部被曝をもたらす線量であれ、被曝ダメージをもたらすことに変わりはない。このような法外な線量、線量率、線量域の導入は、福島事故を口実にした便宜主義的・恣意的・犯罪的リスク論の導入であり、許し難い。
なお、自然放射線や人工放射線の人体影響や、その物理的性質には違いがあるかのような間違った論理構成の論文が掲載された。朝日新聞「WEB論座」2019年7月2日、国立天文台特任教授大石雅寿論文である。だが、放射線は自然であれ、人口であれ「受ける放射線の種類と量が同じであれば人体への影響の度合いは同じ」(東京都環境局(7))である。間違った論文の撤回と訂正、編集責任を問うべきである。
3 人類史が到達した被曝線量限度の100~1000倍
線量100ミリ㏜の危険性は、別な比較によって浮き彫りにすることができる。それは線量100ミリ㏜と放射線被曝防護の人類史が長い年月をかけて到達した被曝受容線量(年間線量限度)との比較である。その違いは桁違いで、100~1000倍となっている。
人類史における被曝防護の歴史は低線量限度を模索する歴史であった。世界の被曝防護機関は自然放射線(バックグランド)以外の過剰な人工放射線の被曝リスク(過剰相対リスク)の低減をめざした。その初期リスク防護の対象は作業者を対象にした「職業被曝」であった。その線量限度の出発点は「年間720ミリ㏜」とされた。その後、ICRPの前身「國際Ⅹ線及びラジウム防護委員会」(IXRPC)は作業者「年間500ミリ㏜」(1934年)、「年間250ミリ㏜」(1935年)を勧告した。1940年代からはじまった核兵器開発期における被曝防護は野放しであった。いわば、空白の10年間である。とくに、核実験全盛期下の被曝兵士や原爆被爆者は被験者とされ、被曝防護体系の埒外におかれた。
やがて、「核の平和利用宣言」(1953年)を合言葉に原発開発が追加された。これを支えたイデオロギーは、資本主義エネルギー論と社会主義生産力論(電化社会主義論)の左右両体制イデオロギーであった。核科学は体制に深く組み込まれていった。反核運動と反原発運動は一個二重の関係にはなり得なかった。その核・原発開発過程のなかでICRPは被曝防護機関として再建された。その再建6年後、ICRP1956年勧告は作業者被曝線量限度「年間150ミリ㏜」とした。その2年後の1958年勧告では、作業者「年間50ミリ㏜」に引き下げた。あわせて、周辺人(公衆)「年間5ミリ㏜」(作業者の10分の1)を勧告した。この線量率「年間5ミリ㏜」は、一般公衆を対象にした人類史上初の放射線の被曝線量限度であった。
なお、一般公衆の被曝線量率を作業者の「10分の1」にしたとはいえ、この数字に明確な根拠はなかった。基準はたんに被曝労働の代償(賃金)を受け取っているか否かという、その一点であった。このことからもわかるように、被曝現場の労働者は命と引替えに被曝労働の代価を受け取っているに過ぎない。これが原発労働の本質である。
その後も低線量限度への志向は続いた。その際に、LNT直線モデル(後述する)は大きな駆動力となった。そして、ついにチェルノブイリ事故前年の1985年ICRP「パリ声明」は、線量率「年間1ミリ㏜」という科学史上の到達点にたどり着いた。さらに、世界のさまざまな被曝防護機関も後続し、低い線量限度を勧告した。
医療用放射線を例外として、「人類と核との共存」ははじめから虚構に過ぎなかった。とはいえ、人類は究極的に「年間0.1ミリ㏜」という極点にまで到達した。下記一覧はその象徴的な勧告の歴史である。一覧には各防護機関が勧告した年間線量率と、線量率「年間100ミリ㏜」との比較倍率も併記した。その比較倍率は100~1000倍である。この数字の異様さが「100ミリ㏜影響なし説」の特徴のひとつである。
◇ 1985年ICRPパリ声明「年間1ミリ㏜」、100ミリ㏜との比較倍率は100倍(100÷1)。
◇ 1987年イギリス放射線防護庁(NRPB)「年間0.5ミリ㏜」、倍率は200倍(100÷0.5)。
◇ 2001年ドイツ放射線防護令(2016年令で再確認)「年間0.3ミリ㏜」、倍率は333倍(100÷0.3)。
◇ 2005年米国科学アカデミー(NAS)「年間1ミリ㏜」、倍率:100倍(100÷1)。また、医療被曝限度は「年間0.1ミリ㏜」。
◇ 2010年欧州放射線リスク委員会(ECRR)勧告(福島事故前年)、「原理と勧告」(第15・2節)「年間0.1ミリ㏜」、倍率は「1000倍」(100÷0.1)。
4 低線量限度設定の根拠
上記の低線量率の勧告は、最初に発したパリ声明を除いて、すべてチェルノブイリ事故後の検証を経た勧告である。これらの低線量率実現に至る歴史過程をみると、一貫して高い値から低い値への志向過程であった。以下、その低線量限度設定の論拠と背景となった歴史の一端をみてみよう。
① 1956年、イギリス医師・疫学研究者アリス・スチュアートは、子宮内胎児に対するレントゲン照射の影響を12年間にわたって調査した。その結果、1回平均20ミリ㏜のⅩ線を浴びた胎児は、生まれてから10年間にガン・白血病の発症率が50%(2人に1人)であることを明らかにした。これは世界初の妊婦のレントゲン撮影に対する警告であった。その後の追試で明らかにしたことは「妊娠後期に写真を撮った場合は、15ミリ㏜当たり小児がん及び白血病の発生頻度が2倍になることであった。さらに、妊娠初期の3か月間では、たった3.3ミリ㏜で、生後10年間に発生するがん及び白血病の発生頻度が2倍になる」(ゴフマン、タンブリン)(8)というものであった。
② 1975年、アメリカ・ロスアラモス研究所は、広島・長崎の放射線放出線量をあらためて分析し直したところ、従来の原爆線量評価の誤りが明らかになった。ガンマ線や中性子線の放出線量を2倍に過大評価していたことから、従来のリスク係数が過少評価であったことを突き止めた。その結果、原爆生存者寿命調査(LSSモデル:Life Span Study、T65D、1965年)にはじまった過去のリスク評価を改訂することにした。最後的には「DS86」(1986年、チェルノブイリ事故の年)の改訂を経て「DS02」(2002年)が確定した。この検証過程に関して、ある研究者は次のように総括した。「線量見直し問題は、低線量被曝の危険性を指摘する原発反対派と、これに対抗する推進派との科学的・政治的争いの中で生み出されたひとつの副産物であった」(中川保雄)(9)。
③ 1976年、アメリカ公衆衛生研究者マンキューソも政府・原子力委員会の圧力に屈しなかった。10年間以上にわたる調査研究のすえにある結論に達した。それはアメリカ原子力委員会やICRPなどの従来の公認リスク評価は「10分の1も過小評価している」(10)というものであった。その根拠はアメリカ国内最大のハンフォード核再処理施設の被曝労働者約2万8000人に関する統計資料(ガン・白血病死約3500人・死亡率14%)であった。また、「ミラム報告」(11)は同じハンフォード核施設の労働者の死亡率は、他の核施設労働者よりも25%高いことを明らかにした。この他にも「ICRP、10分の1過小評価説」(温品淳一)もある (12) 。
④ 1979年、アメリカ・スリーマイル島原子炉冷却材喪失事故(レベル5)が起きた。その7年後にチェルノブイリ事故(最上限レベル7)は起きた。その貴重な知見は低線量被曝リスク論の実現に多大な貢献をもたらした。旧ソ連現地研究者ヤブロコフらの『チェルノブイリ事故の全貌』(岩波書店)をはじめとした、多くの研究文献・資料が発表された。同書によれば、その数はスラブ語系出版物3万点以上、文書・資料数百万本がある。(Google:1450万点、YANDEX:187万点、RAMBLER:125万点が検索可能)。
➄ 1990年、「ガードナー報告」はイギリス・セラフィールド再処理工場周辺の小児白血病の多発を調査した。生まれる半年前に10ミリ㏜被曝した子どもの白血病罹患率はイギリス全国平均の7~8倍増であった(13)。これらの知見を裏付けた論文は数多ある。
⑥ 世界の研究者たちは低線量限度の実現をめざして研究を重ねた。そのなかには動物実験の他に人体実験もあった。アメリカ政府の公式発表によると1944~1974年までの30年間に、政府支出資金による約4000件(年間平均130件)におよぶ放射線人体実験をおこなった(14)。また、アメリカアリゾナ砂漠核実験場では6500人の兵士が投下実験直後の仮設戦場に進撃演習した。低線量リスク論はこのような地獄をくぐり抜けて、線量率「年間1ミリ㏜」以下を実現したのである。
参考文献 (はじめに、第Ⅰ部)
1 放射線被ばくを学習する会、パンフ『放射線のホント』の廃刊を求める申し入れ書
http://anti-hibaku.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-990dd8.html
2 厳密に飲料水で比較をすれば、1リットル当たりのセシウム、日本10Bq、EU8.7Bq、アメリカ4.2であり、日本は世界一ではない。
3 今中哲二「“100ミリシーべルト以下は影響ない”は原子力村の新たな神話か?」『科2011年11月、81巻、1152。 www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/etc/Kagaku2011-11.pdf
その他、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)、ドイツ・スイス・フランス・日本「東京2020-放射能オリンピック」キャンペーン開始。
http://www.radioactive-olympics.org/information-in-japanese.html
4 アメリカ放射線医学研究者ジョン・ゴフマンは、生体への被曝影響を調査・研究する責任者として、ローレンス・リバモア原子力研究所副所長に任命された。報告書は「リスク評価を20倍に高める必要性がある」との検証結果であった。ゴフマンはアメリカ原子力委員会から「撤回」を求められたが拒否した。職を辞して大著『人間と放射線』を著した。『新装版 人間と放射線』(明石書店)、訳者伊藤昭好、小林佳二、小出裕章、小出三千恵、今中哲二、海老沢徹、川野真治、瀬尾健、佐伯和則、他、2011年。
5 東京都健康安全センター、新宿区百人町、地上20mで測定。2011年3月1日~11日、毎時平均0.0345マイクロシーベルト、推計「年間0.30ミリ㏜」。『環境放射線測定結果 – 大気中の放射線量/1日単位の測定結果(新宿)』。
http://monitoring.tokyo-eiken.go.jp/mp_shinjuku_air_data_1day.html
6 ndrecovery.niph.go.jp/trustrad/ct_australians.html
「小児や青年期にX線CT検査を受けた68万人でのがんのリスク」
7 自然放射線、人工放射線、東京都環境局
www.kankyo.metro.tokyo.jp
8 ゴフマン、タンブリン著『新版 原子力公害』p.148、 訳者 河宮信郎、明石書店。
9 中川保雄、前出、p.181。
10 中川保雄、前出、p.168。
11 「カール・ジーグラー・モーガンについて」。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/zatsukan/036/036.html
12 温品惇一、「ICRPは外部被ばくリスクを10分の1に過小評価している」。
anti-hibaku.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-d47e.html
13 セラフィールド再処理工場をめぐる動き。
www.rist.or.jp/atomica/data/dat‗detail.php?Title_No=14..
14 「米国における人体実験と政策」。
www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/tsuchiya/…/exp-lec5.html
.淵上蔵書の受領希望者を募ります。(O・E)
本年3月に亡くなった渕上太郎氏の蔵書の処分が遺族より依頼されています。
テントひろばでは、蔵書の処分に当たり入手を希望するテント日誌の読者など、テント関係者に頒布することになりました。
入手希望者は下記淵上蔵書リストの「順序」及び「著者」(又は「書名」)で書籍を特定したうえ、
氏名(あれば所属組織も)と連絡先住所及び電話番号を明記し、
テント日誌配信者に宛ててメールで10月1日までに、
テント日誌の配信者への返信メールにて
申し込んでください。
なお、受け渡しについては東京都内および近県の方は虎ノ門のテントひろば事務所まで10月中に取りに来ていただくことになります。遠方の方には送料を負担して頂くことを前提に郵送いたします。また、重複した希望があった図書については、希望冊数の少ない方を優先します。
淵上蔵書リスト (多いので三回に分けて掲載します。今回は400から800までです。次回が最終。ただし添付では一挙に出しますから、そちらもみてください。)
順序 著者 書名 出版社 400 遠山啓 数学入門 岩波新書 401 宮沢賢治 注文の多い料理店 402 飯田哲也、宮台真司 原発社会からの離脱 講談社現代新書 403 宮崎義一 世界経済をどう見るか 岩波新書
404 沖縄返還二〇年 405 石田郁夫 沖縄 この現実 三一新書 406 野本陽代 宇宙の果てにせまる 岩波新書 407 日高六郎 一九六〇年5月19日 岩波新書 408 伴野 全学連と全共闘 409 下斗米伸夫 アジア冷戦史 中公新書 410 海野福寿 韓国併合 岩波新書 411 小沢一郎を支援する会 私たちはなぜ小沢一郎を支援するのか 412 有馬徹 原発・正力・CIA 413 長谷川真理子 進化とはなんだろうか 414 北山 中国革命の光と影 415 木田元 現象学 岩波新書 416 木田元 ハイデガーの思想 岩波新書 417 丸山眞男 日本の思想 岩波新書 418 インフェルト 物理学はいかに創られたか 岩波新書 419 今村仁司 現代思想を読む事典 420 高坂哲郎 世界の軍事情勢と日本の危機 日経プレミアシリーズ 421 高良勉 沖縄生活誌 岩波新書 422 山口二郎 政権交代論 岩波新書 423 熊野純彦 西洋哲学史 岩波新書 424 田原牧 ネオコンとは何か アメリカ新保守主義派の野望 世界書院 425 長谷川宏 新しいヘーゲル 426 佐藤卓己 八月十五日の神話 ちくま新書 427 木村凌二 馬の世界史 講談社現代新書 428 弓削達 ローマはなぜ滅んだか 講談社現代新書 429 笠原一男 日本史小年表 430 石田 あなたの棋力をテストする 431 安部謹也 物語ドイツの歴史 中公新書 432 新しい略画と図案 433 カット図案集 434 図画の手帳 435 新井秀一郎 図画事典 436 インフェルト 物理学はいかに創られたか(下) 岩波新書 437 丸山眞男 「文明論之概略」を読む(上) 岩波新書 438 安部謹也 「世間」とは何か 講談社現代新書 439 定方誠 空と無我 講談社現代新書 455 藤原節男 原子力ドン・キホーテ 494 田辺聖子の小倉百人一首 495 萱野茂 496 藤森善貢 出版編集技術(上) 497 藤森善貢 出版編集技術(下) 498 知られざる戦没船の記録(上) 499 知られざる戦没船の記録(下) 500 プロジェクト猪 全共闘白書 資料編 501 別冊情況 68年のスピノザ 502 別冊情況 レーニン<再見> 503 全集 ファブリ世界名画全集 9冊 504 世界四大文明 中国文明展 505 世界四大文明 エジプト文明展 506 世界四大文明 メソポタミア文明展 507 世界四大文明 インダス文明展 508 高口 英茂 東大全共闘と社会主義 国家と戦争、そして暴力 509 高口 英茂 東大全共闘と社会主義 所有および差別の起源と家族の来歴 510 高口 英茂 東大全共闘と社会主義 資本制社会の形成とその発展 511 高口 英茂 東大全共闘と社会主義 戦後資本主義化の進行と持続 512 高口 英茂 東大全共闘と社会主義 東大全共闘運動の総括と社会主義社会への展望 513 弓削達 素顔のローマ人 514 山崎耕一郎 マルクスと日本人 515 伊丹清 ハナミズキ 516 松原一枝 改造社と山本実彦 517 朝日新聞特別取材班 プロメテウスの罠 明かされなかった福島原発事故の真実 518 朝日新聞特別取材班 プロメテウスの罠 2 検証!福島原発事故の真実 519 朝日新聞特別取材班 プロメテウスの罠 3 福島原発事故、新たなる真実 520 松平武彦 資本主義終焉の実相 521 服部良一 「いのち」の政治へ 522 島上善五郎 昭和史の証言 523 塩見孝也 さらば赤軍派 私の幸福論 524 徳田球一 徳田球一全集1 525 徳田球一 徳田球一全集2 526 徳田球一 徳田球一全集3 527 徳田球一 徳田球一全集4 528 徳田球一 徳田球一全集5 529 徳田球一 徳田球一全集6 530 続・新左翼の労働組合論 531 洲之内徹 絵のなかの散歩 532 島崎藤村 島崎藤村集 533 宮沢賢治 賢治童話 534 全共闘白書 535 1970年闘争の概要 536 北一輝 著作集第一巻 537 北一輝 著作集第二巻 538 河内山典隆 日本海員風雲録 539 小島敦夫 世界の海洋文学・総解説 560 雑誌情況 差別分断支配の根源へ 592 雑誌情況 物象化・批判理論 605 廣松渉 世界の協働主観的存在構造 606 W/H/ライカー 民主的決定の政治学 607 長谷川宏他 ヘーゲル 時代を先駆ける弁証法 608 丸山眞男 日本政治思想史研究 609 丸山眞男 現代日本の政治過程 610 思考の臨界 超越論的減少額の徹底 611 ニューヒストリーの現在 612 マックスヴェーバーの犯罪 613 牧野英二他 廣松渉カントの「先験的演繹論」 614 ドゥルーズ・ガタリ 哲学とは何か 615 配色ガイド 616 カラーチップ事典 617 反原発運動全国連絡会 反原発運動マップ 618 石塚省二 哲学の原像 ルカーチと 619 編集必携 620 新版 現代経済入門 621 現象学の理念 622 守田典彦 革命の革命 623 牧野英二他 カント 624 ヘーゲル 大論理学 上巻 625 ヘーゲル 大論理学 中巻 626 ヘーゲル 大論理学 下巻 627 マルクス経済学講座 1 マルクス経済学入門 628 マルクス経済学講座 2 現代帝国主義論 629 マルクス経済学講座 3 国家独占資本主義論 630 鈴木鴻一郎 マルクス主義経済学原理論 631 原 秀成 日本国憲法制定の系譜 632 星野安三郎他 世界の中の憲法九条 633 マンガ 日本経済入門 634 資料 戦後学生運動5 635 資料 戦後学生運動4 636 資料 戦後学生運動3 637 資料 戦後学生運動2 638 資料 戦後学生運動1 639 経済学と弁証法 640 藤原てい 旅路 中公文庫 641 永井路子 歴史をさわがせた女たち 文春文庫 642 酒井順子 負け犬の遠吠え 講談社文庫 643 木田元 ハイデガーの思想「存在と時間」の構築 岩波現代文庫 644 森本和夫 デリダから道元へ ちくま学芸文庫 645 ロラン・バルト 表徴の帝国 ちくま学芸文庫 646 木田元 現代の哲学 講談社学術文庫 647 プラトン パイドン 岩波文庫 648 デズモンド・モリス 裸のサル 動物学的人間像 角川文庫 649 高橋哲哉 戦後責任論 650 森口 最後の学徒兵 講談社文庫 651 NHK「東海村臨界事故」取材班 朽ちていった命 新潮文庫 652 上田閑照 西田幾多郎哲学論集1 岩波文庫 653 浅田彰 「歴史の終わり」を超えて 中公文庫 654 ニーチェ ツァラトゥストラはこう言った(上) 岩波文庫 655 ニーチェ 悲劇の誕生 岩波文庫 656 西田幾多郎 禅の研究 岩波文庫 657 竹田青嗣 現代思想の冒険 ちくま学芸文庫 658 デカルト 哲学原理 岩波文庫 659 アルチュセール、ランシェール 資本論を読む 上 ちくま学芸文庫 660 スピノザ エチカ(下) 岩波文庫 661 デカルト 情念論 岩波文庫 662 藤原正彦 祖国とは国語 新潮文庫 663 スピノザ エチカ(上) 岩波文庫 664 上田閑照 西田幾多郎哲学論集Ⅱ 岩波文庫 665 上田閑照 西田幾多郎哲学論集Ⅲ 岩波文庫 666 マルクス・エンゲルス ドイツイデオロギー 667 カエザル ガリア戦記 668 タキトウス ゲルマーニア 669 ホメロス イリアス(上) 670 廣松渉 物象化論の構図 671 ホメロス オデュセイア(上) 672 ホメロス オデュセイア(下) 673 ルソー 社会契約論 674 新社会館 675 プラトン ソクラテスの弁明・クリトン 677 中江東民 三酔人経綸問答 678 ヘシオドス 神統記 679 井上ひさし 小林一茶 680 三好行雄編 漱石文明論 681 落合恵子 積極的その日暮らし 682 グロチウス 683 般若心教・金剛般若教 684 フッサール デカルト的省察 685 安丸良夫 日本の近代化と民衆思想 686 サイード オリエンタリズム上 687 サイード オリエンタリズム下 688 福沢諭吉 文明論之概略 689 ヘロドトス 歴史(上) 690 ヘロドトス 歴史(中) 691 ヘロドトス 歴史(下) 692 トーマスペイン コモン・センス他 693 ドナルド・キーン 日本語の美 694 和辻哲郎 日本精神史研究 695 オルテガ・イ・ガセット 大衆の反逆 696 ニーチェ この人を見よ 697 キルケゴール 死にいたる病 698 マルクス・エンゲルス ドイツ・イデオロギー 699 吉本隆明 言語にとって美とはなにか1 700 矢野健太郎 数学物語 701 ディケンズ ディケンズ短編集 702 広瀬隆 東京に原発を! 703 白取 「聖書」がわかる! 704 公方 一日一話の般若心経 705 廣松渉 唯物史観と国家論 706 長尾龍一 リヴァイアサン 古代国家の思想と歴史 707 富永健一 マックス・ヴェーバーとアジアの近代化 708 梅原猛 精神の発見 709 岡義武 吉野作造評論集 710 宮村 丸山眞男「日本の思想」精読 711 白雪姫(グリム童話集Ⅰ) 岩波文庫 712 スペイン民話集 713 玉城 四郎 東西思想の根底にあるもの 714 イタロ・カルヴィーノ 魔法の庭 ちくま文庫 715 ヘーゲル 政治哲学 上 716 ヘーゲル 政治哲学 中 717 ヘーゲル 政治哲学 下 718 戸坂潤 日本イデオロギー論 719 大君の都 下 720 舩渡与一 大地の牙 満州国演義6 721 大君の都 中 722 戸川伊佐武 素顔の昭和ー戦後 723 夏目漱石 こころ 724 マックス・ウェーバー 職業としての学問 725 山中 六 指先に意志をもつとき 726 マックス・ウェーバー 職業としての政治 727 フロイド 性と愛情の心理 728 ロンバロストの乙女 729 カミュ ペスト 730 市古貞次校注 方丈記 731 マックス・ウェーバー プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 岩波文庫 732 二葉亭四迷 浮雲 733 桑田 石田三成 734 ヨハン・ベックマン 西洋事物起原 735 木田元 現象学の思想 736 ホッブズ リヴァイアサン Ⅰ 737 ローザ・ルクセンブルグ 岩波文庫140.3 738 ホメロス イリアス(下) 739 藤田紘一郎 身体にいい寄生虫 740 藤田紘一郎 笑うカイチュウ 741 嶋田洋 佐賀のがばいがあちゃん 742 バターフィールド 近代科学の誕生(上) 講談社学術文庫 743 バターフィールド 近代科学の誕生(下) 講談社学術文庫 744 丸山眞男 戦中と戦後の間 745 植草一秀 日本の独立 746 松本健一 開国・維新 747 本村他 世界の歴史5 ギリシャとローマ 748 池上他 世界の歴史10 西ヨーロッパ世界の形成 749 ソ連崩壊とマルクス主義 レーニン最後の闘争とその後 750 飛石なぎさ 菜っ葉料理健康法 751 津本陽 則天武后 (上) 752 津本陽 則天武后 (下) 753 佐野真一 だれが「本」を殺すのか 754 矢部宏治他 本土の人間は知らないが沖縄の人はみんな知っていること 755 小嵐九八郎 シリーズ60年代、70年代を検証する2 日本赤軍 756 永山則夫 無知の涙 757 守屋武昌 「普天間」交渉秘録 758 野村保惠 本づくりの常識・非常識 759 ダグラス・ラミス 憲法は、政府に対する命令である 760 三上治 憲法の核心は権力の問題である 761 加藤晋平他 森を負われたサルがち 人類史の試み 762 畠 基晃 沖縄問題・基礎知識 763 戸田亜里 狼擬 日本人北方起原説の 764 下山保 生協の逆襲 生協は格差社会の共犯者か 765 寺山修司 藁の天皇 犯罪と政治のドラマツルギー 766 小宮山量平他 戦後精神の行くえ 767 河野正史 英国旧植民地とクラウン。エイジェンツ 国際援助の先駆者 768 丸山圭一郎 ホモ・モルタリス 769 金芝河 民衆の声 770 林竹二、灰谷健次郎 対談 教えることと学ぶこと 771 浅田光輝 激動の時代とともに 772 楊 国光 台湾人の軌跡ー楊春松とその時代 773 戦後日本思想大系 科学技術の思想 774 門野薫子 銀色ラッコのなみだ 775 梶谷行男 僕の悩み 776 坂野潤治 帝国と立憲 日中戦争はなぜ防げなかったのか 777 木幡ますみ他 原発立地・大熊町民は訴える 778 小山修三他 三内丸山の世界 779 三上治 吉本隆明と中上健次 780 中宮寺 薫 数学通になる本 781 境家史郎 憲法と世論 戦後日本人は憲法とどう向き合ってきたのか 783 マーク・ローランズ 哲学者が走る 人生の意味についてランニングが教えてくれたこと 784 小坂修平 哲学通になる本 785 ピーター・ゲラード 忘れらた王国 1930~40年代の香格里拉 786 草川 俊 野菜の歳時記 787 小野田襄二 生と死ー一八歳の証言 終末医療の安楽死をみつめる 788 細野豪志 証言 原発危機500日の真実に鳥越俊太郎が迫る 789 内田樹 日本の反知性主義 790 若竹千佐子 おらおらでひとりいぐも 791 稲垣栄洋 雑草はなぜそこに生えているのか 792 宗左近 小林一茶 793 小出裕章 原発のウソ 794 植村和秀 ナショナリズム入門 795 臼井聡 国体論 796 小川潔 日本のタンポポとセイヨウタンポポ 797 歴史学研究会 社会的結合と民衆運動 798 小川潔、倉本宣 タンポポとカワラノギク 799 上岡 直見 原発避難計画の検証
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