前口上/廣松『〈近代の超克〉論』研究会(10月5日)によせて
- 2019年 10月 4日
- 評論・紹介・意見
- 合澤 清廣松渉
著者がこの著述によせた思いは、大きく三つの面から構成されているように思われる。
第一は、天皇制ファシズムの思想的バックボーンであった「大東亜共栄圏構想」、この思想を根底から批判しつくすことなしに、ただ時間の過ぎゆくままに忘却放置するだけでやり過ごすなら、この類似の思想は、悪夢のように繰り返しわれわれを襲ってくるであろうという警戒心である。そして現に廣松のこの予感は、今日的中しているように思える。
第二に、哲学プロパーの問題がある。「大東亜共栄圏構想」にも一定の影響を与えたと考えられる、当時の京都学派を中心とする「近代の超克論」、それにどのように対峙するべきかの思想的問題である。現在の世界においても依然として根強い欧米文化中心主義、かなり綻びを見せているとはいえ、経済、政治、文化の面での彼らの覇権(ヘゲモニー)。その根底には、依然として西欧の伝統的な「実体主義」的世界観(問題構制)が幅を利かせている。20世紀に入り、哲学はもとより、物理学その他の領域で、この世界観そのものが重大な危機(逼塞状態)に立たされていること、また、京都学派の「近代の超克論」がその批判的考察に一石を投じながらも、結果としては天皇制ファシズムに利用されることになってしまったこと。この事態を真摯に反省しつつ、それに代るべき、「関係主義」的世界観(「事的世界観」)―まさに廣松が終生追い求めてきたテーマであるが―をどう打ち立てるかの問題である。
第三は、この両者を統合するかたちで、哲学的には実践哲学(晩年の廣松には『哲学の越境』という著書もある)として、新たな方向性をどのように提示出来るかの問題である。戦前・戦中の「大東亜共栄圏構想」のもつ歪な面(特に天皇制・国体の縛り)を批判しながら、従来の欧米至上主義をも止揚すべく新しい地平をどう構想すべきか、廣松ご本人の生き様としては、資本主義社会の桎梏が明らかになった今日、未来社会を目指すべく「共産主義世界革命」への足掛かりをどういう方向でつけていくかという課題と直結している。この領域で、彼の眼が仏教の思想と東北アジア、特に中国へ向けられていたことは確かであろうと思う。
しかし、ここではあくまで「前口上」としての領分を守り、詳細な報告は講師の小林敏明氏にお任せして、この書物と研究会への誘いを、多少のエピソードを含めて試みるにとどめたい。
廣松は律儀な人である。彼はどこまでも自分の思想的、実践的な営為(彼自身の生き様)に一定の決着をつけたいと真剣に取り組んだのであるが、その中間的な総括がこの書であろうと考える。
廣松が晩年よく、口癖のようにいっていたのは「最後のご奉公」という言葉であった。また、「今の一年は、今までの十年にあたる。この五年ほどの内に、何とか目鼻をつけなければならないだろう」と。これはわれわれ後進への叱咤激励でもあったであろう。
或る時、なにかの話のついでに「ところで君は、ナチズムに対して批判できますか」と聞かれたことがあった。
あまりに唐突な質問でもあり、また相手が大哲学者廣松渉だということもあり、実際に答えに窮してしまった。「もちろん、ナチが大量のユダヤ人らを虐殺したことは、到底許されるべき問題ではないけど、今はそのことを仮にペンディングにして、彼らが実際に行った政策などについて、君はきちんと批判できますか」と重ねて聞かれたのである。
まさか、マルクス主義者・廣松をして、いまさらナチ(国民社会主義)を云々することはないだろうから、これは僕をからかっているのだろうか、と一瞬訝しく思った。
しかしその後、廣松さんが言ったことが、今にして思えば、先にあげた第一の問題点に結びつくことに気が付いた。この本の中でも、評論家・松本健一の言葉(「黄昏のなかの蝙蝠と鴉」(『週刊読書人』1061号))を引用して次のように述べている。
「『いまファシズムの危機を喋々したり、軍国主義の兆候を叫んだりしている手合いの多くは、一朝ことあればそのままの位相で、ファシズムの担い手にな』りかねない…『それは本人たちによって当面ファシズムと呼ばれることはないだろう。それは新しい何かとして登場するだろう。歴史がまったく同じ状態を再現することは考えられないからである。ただいえることは、その新しい何かはファシズムを否定するかたちで歴史の舞台に登場してくるだろう、ということだ。このとき、現在唱えられているファシズム否定論は、ほとんど役に立たないにちがいない。むしろこれは、これらファシズム否定論の多くをじぶんの味方にひきいれつつ登場してくるはずである。知識人はこれを思想』の次元においても撃破し、思想的にも『敗退せしめねばならない』と唱導されるとき、筆者はここに共鳴の意を表し、本稿の荷う課題意識の一斑を表明しておく次第である」(講談社学術文庫pp.84-5)
「われわれとしては、この際、『大東亜共栄圏』なるものを哲学的に理屈づけた京都学派の論理構制の諸契機が嘗つての左翼インテリにとって陥穽たり得た事情を分析していく必要があるし、また、それが今日の自称“左翼”にとっても躓きの石となる可能性をもつことを併せて剔抉しておく必要がある」(同書p.79)
実際にも、廣松がこの本の中で見事に整理引用している、鈴木成高(ランケ史学の権威)、高坂正顕、西谷啓治、高山岩男(いずれも西田幾多郎門下の哲学者)あるいは三木清の現状認識を含む一連の議論は、「天皇制・国体」という側面を一応棚上げすれば、一瞬にしてわれわれを絡め取るほどの力量を未だにもっている。
「民主主義、資本主義、自由主義」の行きづまり、言い換えれば「人間疎外」の状況をいかに打開すべきか、この問題を全面に掲げて議論が展開されている。
「抽象的一般的に、原理的な場面でいうかぎり、京都学派の哲学における近代的“人間疎外”の超克―『近代』の超克―の論議は自己閉塞を免れておらず、東洋的無を持ち出した論議も托宣以上のものではなかったと評されうる。しかし、我々としては、それが原理的にはいかに短見であろうとも、日本帝国主義のイデオロギーとしてそれがいかに“日本の国体”ひいては“日本の世界政策”のイデオローギッシュな理屈づけになっていたか、この間の事情を分析しておく必要がある」(同書pp.56-7)
議論の詳しい展開は直接廣松のこの書物、及び小林敏明の『廣松渉―近代の超克』(講談社学術文庫)などにあたって頂きたい。
ここでは次の点にのみ触れてとりあえずの結びに代えたいと思う。それは、彼の最晩年の小論「東北アジアが歴史の主役に」(1994.『朝日新聞』)に関してである。
廣松が晩年にその情熱の一斑を注いでいたのは、「歴史学」の領域だったと記憶している。それは、いいだももが主宰していたある研究会で、板垣雄三、三木亘、富岡倍雄という錚々たるアラブ学者から受けた「アラブ史」の講義などの影響もあったのではないだろうか。
この小論の中にそのことが直接反映したとは思えないが、『近代世界を剝ぐ』(平凡社1993)という廣松自身の著書を含むシリーズ「これからの世界史」の中で、新たな世界史への展望が試みられていたことは確かであろう。
そしてこの論文に見られるように、廣松が当面その軸足を「東北アジア」、特に日本と中国に定めようとしたこと(これは彼自身の未来社会へ向けた運動の戦略的基点とも考えられる)、しかし同時にそこに留まらず、アラブ世界の胎動、ソ連、東欧の旧社会主義圏内部の再編などへも十分な目配りを見せていたことも併せてみるべきではないかと思う。
「事的世界観」(関係論)と仏教との問題に関しては、吉田宏晢氏との対談(『仏教と事的世界観』朝日出版)が興味深い。
廣松は、吉田宏晢氏との対談でも、この『〈近代の超克〉論』の中でもたびたび西田幾多郎の「無の思想」に言及してはいるが、いずれの場合もそれをそのまま受け入れてはいない、というよりは批判的である。例えば、以下のようである。
「原理的には、氏(高坂)の近代超克論は西田哲学の埒をそれ自身として踏み出る類のものではなかったし、所詮は東洋的『無』に一切が託される構図になっている」(p.48)
「東洋的無を持ち出した論議も托宣以上のものではなかったと評されうる」(p.57)
或いは、高山岩男に関して、「…氏の立場は、要言すれば、『自然と人間との呼応的合致』『環境と主体との呼応的合致』において現成する条理、この意味での『天人合一論』に帰趨する」(p.65)
因みに、高山のこの「天人合一論」は「梵我一如」に通じているが、吉田師はこれは仏教ではないと断じている。
惜しむらくは廣松が、西田の「無の思想」とも仏教思想とも異なった、ましてやキリスト教伝来の思想ではない、関係論としての「事的世界観」を未完成のまま逝ったことである。
完成は後事に託されている。
第313回現代史研究会(「廣松渉没後25年」記念研究会)
日時:10月5日(土)1:00~5:00
場所:明治大学駿河台校舎:研究棟第9会議室
テーマ:「〈近代の超克〉新論」
講師:小林敏明(ライプチッヒ大学名誉教授)
司会:石井知章(明治大学教授)
参考文献:廣松渉著『「近代の超克」論』(講談社学術文庫)
小林敏明著『廣松渉-近代の超克』(講談社学術文庫)
資料代(参加費):500円
主催:現代史研究会/共催:情況出版(136-0071江東区亀戸8/25/12)
連絡先:090-1771-4601(中澤)
現代史研顧問:石井知章、岩田昌征、内田弘、生方卓、岡本磐男、田中正司、西川伸一、(廣松渉、栗木安延、岩田弘、塩川喜信)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9058:191004〕
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