ソンタルジャ監督の映画「巡礼の約束」を見る
- 2019年 12月 4日
- 評論・紹介・意見
- 宇波 彰
去る2019年11月14日に,私はソンタルジャ監督の中国映画「巡礼の約束」(2018年)を試写で見た。この映画では、ソンタルジャ監督自身が主役の男を演じている。男には妻がいるが、彼女は前の夫と死に別れ、二度目の結婚であり、男の子を連れての再婚である。この「連れ子」は新しい父親、つまり継父にまったくなじまず、反抗的であり、自分の部屋に閉じこもっていたりする。その子役の少年の演技はすばらしいものである。もちろんそれは監督の指導にもよるであろうが、少年の一瞬の鋭い目つきに私はたじろいだ。
妻は、実は病気をかかえているのだが、どうしてもチベット仏教の聖地ラサへ行きたいと主張する。監督はチベット人であるが、この映画の舞台は、四川省西部である。映画のなかで「成都」とか「四姑娘山」といった四川省にかかわる地名が出てくる。そしてそこからラサまでは500キロメートル以上もあるらしい。当然のことながら、彼女はチベット仏教信者の伝統的な「五体投地」で進む。この宗教的な身体技法では、一日にせいぜい5キロメートルしか進むことができない。夫は彼女のために「五体投地」で使う木製の手袋状のものを松の木を削って作る。彼らは車や鉄道で行くのではない。粗末なテントを担いで歩いて行き、文字通りの「路傍」で野宿を重ねる。もちろん食事はレストランや食堂でとるのではなく、持参した鍋での自炊である。
この映画には、さまざまな物語・歴史・思想が含まれている。妻は前夫と死別したのだが、二人で撮った写真は離さずに持っている。巡礼をする3人の相互関係はなんとなくぎごちない。そのほかに家に残してきた足の悪い夫の老父もいる。したがってこの映画は、まず第一に「家族の劇」である。妻はなぜ「巡礼」をしようと思い立ったのか? 亡くなった前夫の「供養」のためかもしれないし、チベット仏教の信者ならば、一生に一度はラサに行くのが義務かもしれない。いずれにしてもその理由は「宗教的なもの」としかいいようがない。私はいまフランスの社会学者マルセル・モース(1872~1950)の『贈与論』(森山工訳、岩波文庫、2014)を読み返したところであるが、彼の贈与論の中心は、「贈与することと、その返礼」という交換の作用が社会を作っているということである。これは単に物の贈与・返礼というプロセスに限定されるものではない。今村仁司が『交易する人間』のなかで説いたように、われわれの存在そのものが、ある絶対的なもの(神とか佛など)によって「贈与」されたものであり、人間はその贈与に対して返礼をしなくてはならない。『巡礼の約束』の妻は、自らに与えられたものを、佛に「返礼」しに行こうとしたのではないであろうか?
この映画を見あと、私はチベットに関する2冊の本を読んだ。多田等観『チベット』(岩波新書,1942)、青木文教『秘密の国 西蔵遊記』(中公文庫、1999、初版は1920年刊)である。多田等観と鈴木文教は、いずれもチベット仏教の研修のためにチベットに滞在した仏門のひとたちである。彼らが見て報告しているチベットは、辛亥革命直前の1910年頃のチベットであり、もちろん現在のチベットではないが、しかし、この二冊によって私は当時のチベットの状況をかいま見ることができた。それは清との関係を断って独立した国家を目指した当時のチベットの状況をかすかに反映している。辛亥革命によって成立した中華民国は、チベットの独立を認めなかった。その歴史的過去が、この映画の裏にある。
2019年11月28日の東京新聞は、次のように報じている。「チベット亡命政府のあるインド北部ダラムサラで27日、チベット仏教の高僧が集まる会議が開かれ、チベット仏教最高指導者ダライラマ14世(84歳)の後継者選出方法はダライラマだけが決められるという決議を採択した。」それは中国政府が決めてはいけないという意味である。「中国政府はダライ・ラマに対し、チベット独立を図る<分裂主義者>と批判、後継者の決定権を主張している」のである。また同じ11月28日の毎日新聞には、「プラハ市 北京市と仲違い」という記事が載っている。プラハの市長が台湾びいきのため、北京市との姉妹都市関係を解消したという報告である。プラハの市長は就任後、市庁舎にチベット亡命政府の旗を掲げたという。それはあからさまな反中国的行動である。つまり「チベット問題」があちこちで見えつつある。もちろんこの「巡礼の約束」では、政治的なものは全く見えない。しかし、何も見えないという状況こそ、真実を示すものであろう。この映画が「中国映画」であり、上海の映画祭で賞を得たということには「裏」の意味があるのだ。(2019年12月4日)
初出:ブログ「宇波彰現代哲学研究所」2019.12.4より許可を得て転載
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〔opinion9235:191204〕
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