テント日誌12月12日
- 2019年 12月 15日
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経産省前テントひろば1807日後
文科省前の抗議行動に参加するメンバーも増えて 12月6日(金)
午前中は発熱した孫を看ていたため事務所に行くのは諦め、イロハネットのお姉さま方に願いし、私はお昼ぐらいに経産省正門前に到着した。既に椅子やテーブルは所定の位置にセットされていて、幟旗やバナーも見事に設置されていた。流石、イロハネットのお姉さま方だと感心した。感謝・感謝である。
今日は薄曇りで気温も高くならず、防寒対策としてホカロンを背中と腰に計4枚貼ってオーバーズボンを履いてみた。以前雨で体を冷やし股関節痛になって苦しんだので、同じことにならないように十分用心をしてみた。おかげで、今日は真冬の寒さだとの天気予報だったが、何とか無事に過ごすことが出来た。
僕らが座り込んでいると、上品そうな小綺麗な女性がカンパをしてくれた。急いでテント日誌など資料を渡して読んでもらうようにお願いをした。時々この様な嬉しいことがある。
4時からは文科省抗議のために、テントのメンバーを誘って場所を移動する。最近は常時10名前後のテントメンバーが文科省抗議に駆けつける。テント以外でも日本人のメンバーが確実に増えてきた。世論に訴えるためにはもっともっと日本人に訴えて行かねばならない。今日は十条の朝鮮高校生だけでなく神奈川の朝鮮高校生や朝鮮大学の学生もやってきて堂々と訴えていた。朝鮮人としてこの日本で堂々と胸を張って生きていきたいと発言していた。そんな姿には神々しさを感じた。来週も頑張ろう(S・S)
経産省に申入れ書「原子力発電を直ちにやめよう!」提出 12月6日(金)
17時に経産省(資源エネルギー庁)の原子力政策課の2人に申入れ書を提出した。入ったのは私と城田さんと斉藤美智子さんと亀屋幸子さん。まず、私が先週用意した申入れ書(日にちなど少し修正)を読み上げて提出した。
「原子力発電を直ちにやめよう!
1 原子力マネーの闇を明らかにしてください!
2 イチエフの廃炉・汚染水対策を抜本的に見直してください!
3 「原子力発電はクリーン」は大嘘、「原子力発電は死の灰を製造する」 !
4 トリチウム汚染水(トリチウム未処理放射能汚染水)を海に流してはいけません!」
続いて亀屋さんが双葉町の自宅が避難解除されていないにも拘らず今の東京の住まいを来年に追い出されようとしている、ひどい棄民政策だと訴えた。さらに、斉藤美智子さんが長年嘘で原発推進してきた経産省を責めたて方針転換を迫った。
以前に何度も入った(窓が無い)地下の会議室での短時間の申し出ではあるが、先週の木曜(11月28日)から電話連絡して、先週は上司と相談中と断られ、今週もなかなか対応がはっきりせず、何とか直接読み上げて提出し申し入れることができた。残念ながら抗議行動の場に出て来て受け取ってもらうことは適わなかったが。今後も、申入れ書をどんどん提出して経産省に方針転換を迫りたいと思う。
文科省前に続いた経産省抗議行動では、いつものように経産省の原発推進方針と安倍政治を糾弾、女川原発適合性審査合格糾弾、関電原子力マネー糾弾、上記申入れの報告など、既に日が暮れて真っ暗になって沢山の人たちが帰宅を急いで地下鉄入口に吸い込まれていく中で、原発止めろ・安倍止めろと訴えた。
寒さが少し緩む中で片付けし、峠の茶屋さんたちとバトンタッチした。 (K.M)
中村哲さんの死を悼む 12月7日(土)
曇りの予報は外れて雨。冷たい、冷たい雨。寒くてやりきれないけれどこれは涙雨。雨よ!もっと降れ。
〇中村哲さん 2019年12月4日
長年多くの命を支えてきた方の命が奪われた。武器よりも水、海外で憲法9条を実践されてきた方だった。言葉は何も浮かばない。ただただ目を見開いて直立不動するだけ。
アフガニスタンのカーム航空の旅客機の尾翼には中村哲さんの肖像画が掲げてあるという。少し気持ちが明るくなった。(O・O)
本当に悲しい知らせだ 12月8日(日)
12月8日っていえば自然に思い浮かぶのは太平洋戦争の開戦であった。12月14日の「忠臣蔵」というか、これもおとらないものあった。だが、最近は少し違う。人に言われないと、また、新聞などを見ないと12月8日も、12月14日も直ぐに何の日だったか気がつかない。自然に思い浮かんではこない。「…遠くなりにけり」という言葉があるが、これとはちょいと違って、記憶が反応しないのだと思う。これは何なのかといぶかしく思う。「年の瀬」という感覚も変ってきている。一年が過ぎゆく速さを実感することは年々深まるにしても。何の変哲もない日々にあるのだが、それにしても本当に悲しい知らせはあるものだ。中村哲さんの訃報である。
中村哲さんとは講演会のあと少し話したことがあるだけだが、彼のやってきたことには驚きと言葉に言い表せない感激をした。彼の活動についてはあらためてここで語る必要はないだろうが、彼の講演を聞いた人は、また話したことのある人は誰もが一様に感動し畏敬の念を持ったのだと思う。言葉なんぞいらないものだった。彼のやったこと、そして僕らが受けた感慨をいつの日か言葉にしたいが、今は、それは不可能である。ただ、彼の生前の姿をテレビなどで見るたびに、言いしれない悲しみが深まって行く。これは彼の存在と行為が何物にも代えがたいものだったことを伝えているのであろう。(三上治)
病院帰りの女性の差し入れは 12月9日(月)
今日は曇りで北風が強く座り込みには厳しく手袋なしではいられなかった。経産省前での座り込み準備は滞りなく終わり、早番のSさんは早速、道行く女人々にアピールを始めた。
その間に常連のOさんも来られ、程なくして関西からのお友達も到着された。待ち合わせしていたのかと思ったが、関西の方は昨日、神奈川の友人を訪ねてきて、今日はOさんがここにいるからと会いに来られたとのこと。その後ふたりで小一時間話をされて帰られた。
2時半過ぎ、虎ノ門の方から女性が来られたので、今日は寒いですね、と挨拶したら、次回の病院は来年なのでと言ってカンパをしてくださった。その時にカンパとは別により多くのお金を差し出されて、これで温かいものを食べてくださいと言われたので、今のカンパで充分ですからと断ったが、これも縁ですからと言われるので、これ以上お断りするのは失礼と思い有り難く頂戴した。他の人と相談した結果、温かい物を食べてくれと言っているのだからということで肉マンを人数分買ってきて美味しく頂き、残りはカンパ箱に入れた。
3時頃には右翼の街宣車がやって来たが、来年春に中国の習近平国家首席を安倍が招こうとしていることに対してアリバイ的に抗議をしにきたもので形だけの抗議行動なので一巡したらすぐに帰っていった。最後はレジェンドSさん。何時ものようにKさんに付き添われて4時半前に来られて、早番のSさんと共にトラメガによるアピールをされて今日の座り込みを終えられた。
今夜も、安倍の桜を観る会を追及する院内集会と官邸前抗議集会が5時から行われるとのことでM氏と鎌倉のM女史が4時前から座り込みに参加してくれました。(保)
今日は比較的暖かく楽な座り込みができた 12月10日(火)
今日は、比較的楽な座り込みでした。
セッテングする時には、うっすらと汗ばんだ程でした(何せ真冬支度で来ましたので)セット完了直後日曜日当番のKさんが、裁判所に用事があるのでその前に若干寄って下さり、帰りに又寄りますと言って行かれた。その後高島平のTさんが、今日は体調が良いので皆さんの顔を見に来ましたと言って、昼食のお弁当を食べながら暫く座り込んでくれました。
そのうちに、レジェンドSさんも、いつもの時間より早く到着して用意した椅子は満席になりました。14時過ぎに「原発被害者訴訟原告団全国連絡会」代表の鴨下さんが、群馬訴訟「福島第一原発事故損害賠償請求」事件の控訴審理で、豊かな国土を汚染し評価を落としたのはまさに国の責任であるのに、それを開き直り、避難それ自体が「居住する住民の心情を害する」などときめつけた国に怒り心頭のお話をしていかれました。
また一瀬弁護士さんが、裁判所の帰りに寄って下さり、一緒にいた中国語の通訳の女性の方がカンパをして下さった。撤収間際には中年男性お二人がカンパを、なんと今日は三人とも全てお札でした。撤収後はテント運営会議で、会議終了後は日曜日当番のFさんが、飲み屋さんの株主優待券があるのでどうですかという事で、皆でご馳走になりました。(Y・R)
南相馬20ミリシーベルトの裁判が夕方迄あった12月11日(水)
割と暖かいが、日陰に入ると寒い。今日は南相馬の20ミリシーベルトの裁判があるので、もしかしたら経産省前で抗議行動をするかもしれないと思って座り込みに入ったが、南相馬の裁判は朝から夕方まで証人尋問があって、経産省前には来られなかった。
まずは保さんから、朝からの、福島原発刑事裁判原告団による東京地裁前における情宣活動及び南相馬住民による20㎜シーベルト避難基準撤回訴訟裁判についての報告。
朝8時から福島原発刑事裁判原告団が地裁前で情宣活動を行うから参加して欲しいという要請を受けたので参加しました。福島から来た武藤さん一行と8時過ぎに合流して集会が開始された。私はビラ配りを担当した。法律に関係する人達のはずなのにビラを受け取っていく人は一割にも満たないていたらくである。自分にとって不都合な真実であっても賛成・反対に関わらず相手のビラを受け取って読むのが大人としての最低の義務であると思うのだが。不当判決!と大きく書かれているビラを受け取ったら裁判所内では変な目で見られるので受け取らないと決めているのか!
集会は福島原発刑事裁判原告団に続いて南相馬の人達による訴えに移った。朝3時にバスに乗って来られたそうだ。印象に残った発言は、我々が20㎜シーベルトを許したら、それが全国の基準になってしまうのでそれを許さない為に、全国の人々の為にも闘っています、という言葉でした。
10時半に傍聴のため並んだら全員入れるとのアナウンスで法廷へ。11時から始まった南相馬の裁判は今日一日かけて原告6人に対する本人尋問が予定されていて、午前中は原告団長さんに対するものであった。地域の区長さんをやっておられたのでそれについての質問が集中した。住んでいたところは山地なので家屋しか、それも玄関しか除染しないので山林や農地を除染して貰わないと生活できないと文句を言っても国からの指示だから出来ないと言われたとのこと。縦割り行政に翻弄された8年であったとのこと。危険な20㎜シーベルトの所に帰れ!帰らない者は見捨てる!と言わんばかりの国の対応に裁判に訴えるしかなかったと切々と訴えられて午前中の裁判は終わった。(保)
保さんは、午後は座り込みに入った。当番の者はちゃんと来て、元気を確認し合う。これも大事なことだ。倉田さんは経産省に向かって力を込めた演説。なにしろ、規制庁前には日の丸を持った若い人が来て、「原発は必要だ、ジジイ死ね」と毎回叫んでいるそうだ。倉田さんは「経産省は亡国の省だ。規制庁と経産省が汚染水の話し合いを持ったがなにも対策をたてられないで、結局は海に流すことを狙っている。汚染水をためる場所がなくなると言っているが、汚染水をためる方法はいっぱいあるはず。そういうことに頭を使え」怒って言っていた。通りがかりの人がカンパを入れてくれる。ニュースを差し出すとブログで見ているからいいと言われた。寒いから気を付けてと言ってくれた。 (T・I)
「桜を見る会」での安倍の行為を許さない 12月12日(木)
今日は、あの首相のように狂ったようなバカ陽気、事務所を出るときにはベストを脱いだ、座り込み開始の時には、コートはおろか上着まで脱いでも平気であった。座り込んでいる、すぐ近くの地下鉄の出入口付近より旧テントのあった所まで、電気設備埋設跡の復旧工事と称して、歩道表面を剝がして舗装工事が始まった(どう見たって税金の無駄遣いとしか見えない、他に緊急に工事をする所がいくらでも、あるだろうに)。
今日当番の、Iさんとヨーカンさんお二人と金曜日担当のKさんが呼びかけた、9日(月)夜の「桜を見る会」の国政・税金の私物化を許さない、首相官邸前 緊急行動が写真入りで、朝日新聞と東京新聞に掲載された話で盛り上がる。
来週の16日(月)18:00~19:00再度行うとそのチラシを頂きました。時間の都合が出来る人の参加を呼びかけます。レジェンドSさんは、電車を間違えたらしく、撤収間際に到着し片付けを手伝ってくれました。また今日は、長崎や鹿児島に行っていた人が戻ってきて、木曜日当番者が全員揃いました。(Y・R)
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原子力ロビーによる放射線被曝の押付けを拒否しよう! その25
甘すぎる被ばく防護を日本からロシアに輸出させるな
~杉原千文さんが暴く「フクシマを口実にロシアの被ばく防護基準をゆるめる画策」~
2019年12月10日 木村雅英
日本に「チェルノブイリ法日本版」を創る運動がある中で、何とフクシマを口実にロシアの被ばく者救済を緩めることを国際原子力ロビーたちが画策しているのだ。
杉原千文さんの長文<フクシマを口実にロシアの被ばく防護基準をゆるめる画策——「現存被ばくもどき」が行き来する日本とロシア>(「岩波科学11月号」)がそのことを丁寧に暴いている。
各項の標題は次のとおり。
◆ロシア放射防護科学委員会の提言:日本を見習ってチェルノブイリの被ばく基準緩和を
◆チェルノブイリ法の1mSv/年、5mSv/年基準
◆ロシア放射線防護科学委員会が導入を求める「現存被ばく状況」の「参考レベル」とは
◆チェルノブイリ被災地での基準緩和に向けた動き
◆ロシア放射線防護科学委員会、ICRP、IAEAの「悲願」をまず日本で達成
◆ICRP,IAEAがフクシマへ「現存被ばく」輸出:日本で動き出す「現存被ばくもどき」
◆日本でいつ非常事態は終ったのか
◆結論
日本では、100mSv/年で安全・20mSv/年で帰還が福島で適用されている。2011年から「現存被ばくもどき」導入に貢献したのは、M.I.バロノフ(福島事故時ICRP委員、元ロシア放射線防護科学委員会委員)やJ.ロシャール(福島事故時ICRP委員)やO.ナスビット(ウクライナ国家戦略研究所研究員、IAEAエキスパート)だ。
また、「現存被ばくもどきへの移行」のターニングポイントが2012年7月~8月で、同年7月17日に飯館村などの計画的避難区域が、居住制限区域(20~50mSv/年)、避難指示解除準備区域(20mSv/年以下)に再編された時だそう。私は、2011年に文科省の原子力損害賠償審査会で多くの委員が20mSv/年にこだわるので大声で不規則発言をして傍聴席から追い出されたことを思いだした。
杉原さんは<ロシア放射線防護科学委員会は「日本は現存被ばく状況」基準を導入したとの理解で論を進めている。そして、日本を見習ってロシアでも「現存被ばく状況」基準を法制化しようと提言している。>と結んでいる。
私たちがしっかりしないと、ロシア放射線防護科学委員会、ICRP、IAEAたちが、ロシアのみならず世界の放射線被ばく限度を緩めてしまうのではないか。広島・長崎を経験しながら「核兵器禁止条約」に参加しない日本が、100mSv/年で安全・20mSv/年で帰還の棄民政策を続けて、原発による世界への被ばくの押付けにも貢献してしまう。これを許してはいけない。
【案内】 首相官邸前緊急抗議行動~安倍政治を許さない!「桜を見る会」隠蔽を糾弾しよう!~
(木村(雅)です、緊急行動の案内です。
参加願います。拡散願います。)
首相官邸前緊急抗議行動
~安倍政治を許さない!「桜を見る会」隠蔽を糾弾しよう!~
「桜を見る会」の国政、税金の私物化を許さない。
12月9日に続き16日(月)にも首相官邸前で抗議行動をします。
今行動するのは大人の責任。未来を担う人々のために動く時。
嘘とごまかしの腐った政治をストップさせるためにみんなで声を上げよう。
日時 12月16日(月) 夜6時~7時
場所 首相官邸前
呼びかけ 片岡(03-3441-6274)、木村(080-5062-4196)、乾(090-9105-9469)
プラカードや鳴り物などを持参を歓迎します。
多くの市民、市民団体の共同行動を歓迎します
12月18日(水)17時~18時 抗議行動
被災原発女川2号機の再稼働を許すな!東北電力東京支社抗議
場所:東北電力東京支社前(丸の内トラストタワー本館)
東京駅八重洲北口5分 大丸東京本店隣 主催:再稼働阻止全国ネットワーク
12月19日(木)第55回総がかり行動「安倍9条改憲阻止」
場所;衆議院第二議員会館前を中心に 18時30分~
12月20日(金) 経産省前抗議行動 17時~18時
官邸前抗議行動【反原連】は6時30分から
【ダミアン追悼&偲ぶ会のお知らせ】 永瀬ユキ
希望のエリアの前身、ファミリーエリアの時代から、再稼働反対コールリレーのリードをし、ドラム隊として一緒に声をあげた、ダミアンこと村上勝さんが去る11月17日、お亡くなりになられました。
希望のエリア一同、心よりご冥福をお祈りいたします。
ダミアンに最後に会ったのは、彼が東京を離れる前に最後に参加した2017年5月の立パレでした。
その立パレ主催者であるKENさんが、
「ダミアンを偲ぶ会」を企画して下さいましたので、お知らせ致します。
12月20日(金)20時~
国会前希望のエリアpart2終了後、ダミアンのドラムを囲んで別れのドラミングをしたいと思います。彼と縁のある方ならどなたでも参加して頂きたいと思います。楽器持ってお集まりください。
こちらはちょうど6年前の今日、ダミアンのコールリレーです。↓
そしてもう一つ↓
12月22日(日)正午より 脱原発青空川柳句会
選者 乱鬼龍 12時より 経産省前テントひろば
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。