駅頭で考える
- 2020年 7月 31日
- 評論・紹介・意見
- アベ小原 紘新型コロナウィルス
韓国通信NO645
作家の澤地久枝さんたちの提案に賛同、一市民として抗議活動を続けてきた。
「よく続きますね」と、からかわれることがある。私にとっては大切な表現の場であり、自分の気持ちを再確認する貴重な1時間になっている。
常連のメンバーは4名。原点は「脱原発」と「戦争法反対」だが、折々に選挙への投票の呼びかけ、「軍事費をコロナ対策へ」などといったプラカードも登場する。
マイクを持たず、黙って立っているだけ、ビラも配らないのでとても気楽。署名活動をしたことはあるが、とにかく不精な「政治運動」である。
気づかずそのまま通りすぎる人もいれば、話しかけてくる人もいる。頷きながら通り過ぎる人。若者たちは概して無関心。若い男女のカップルからはほとんど無視される。最近、「安倍首相には困ったもんだ」と話しかけてくる人が多くなった。安倍政権の支持率は今や30%台。「アベ政治を許さない」派が多数派だ。
立つ場所は常磐線我孫子駅南口のバス停のあたり。駅周辺の案内板と「白樺派の文人たち」という大きな銅板写真が埋めこまれた石碑があるあたりが定位置となっている。
石碑の前に立つと柳宗悦、志賀直哉、武者小路実篤たちから無言の励ましを感じるといったら、笑われるかも知れない。
毎月3日、「アベ政治を許さない」のステッカーを掲げて4年になる。<写真2020/7/06撮影
<白樺文芸運動と日本民芸運動の揺籃の地-我孫子>
民芸運動については過去、数回取り上げたことがある。
新型コロナウィルスによる社会不安が高まる現在、柳宗悦の民芸思想がかつてなく重要さを帯びてきた。
柳の「民」に対する まなざしは民芸品の素朴さが原点だ。芸術のための作品ではない、実用を目的に心を込めた作品の中に真の美しさを見出した。陶器や木工品から国や地域を越えた「民」の心を見出し敬愛した点で平和主義者であった。多様性と平等性を認めた点で真の民主主義者だった。日本、朝鮮、琉球各地に埋もれた陶磁器、絵画、木工、金工、布に美を見出し、作り、それを愛用した民を敬愛した。
コロナウイルスによって日本社会の人間軽視、偏見、差別、貧困が顕在化された。人間の在り方そのものまでが問われている。
仕組み(憲法上)では国民に由来する政治権力が、国民生活を圧迫している。特権階級は私腹を肥やし続け、庶民はおこぼれにあずかる構図。人権は「公共の福祉」の名目で細らされてきた。明らかな「ウソ」「ゴマカシ」をごう然と正当化する独裁政治。「ナチスのように」と公言する副総理、戦犯容疑の祖父を尊敬する首相が馬脚をあらわした。どや(、、)顔で緊急事態宣言をしたと思うと役立たずのマスクを配り、困窮の極みにある国民生活には「雀の涙金」で救済したつもり。「家にいろ」と命令したかと思えば、経済が大切だから「仕事をしろ」、「旅行に行け」と訳の分からないことまで言いだす始末。水戸黄門も絶対許さない悪代官の所業の数々だ。
感染者が急増しても、首相は「適切にやる」と言うばかりで、経済再生担当大臣にまかせっきり。艦長不在の日本丸はすでに漂流をし始めた。一揆が起きてもおかしくない「緊急事態」だ。
歴史は「白樺」も「民芸運動」も飲み込み、アジア侵略戦争から世界を相手に大戦に突き進んだが、白樺が目指した高邁な理想主義、民芸運動の実践は安倍政権のアンチテーゼ、対極にあるのは間違いない。
侵略主義に真っ向から反対した柳宗悦の平和思想は、民芸に触発された人間の平等への揺るぎない政治思想だった。これまで疑うことのなかった価値観と幸福感のメッキがはがれ落ちた。新自由主義、能力主義の結末は4割の非正規雇用労働者と貧困を生みだした。柳宗悦が生きていたらどう思うか。おのずと答えは明らかだろう。
その社会をコロナウイルスが直撃した。コロナの恐ろしさと社会の異常さに人々は気づき始めた。
駅前スタンディングで柳宗悦らに励まされているという勝手な思い込みが理解してもらえればと思う。
<小出裕章さんも松本駅で>
2015年に京都大学を定年退職した小出(こいで)裕(ひろ)章(あき)(元京大原子炉実験所助教)さんが、転居地の松本駅で「アベ政権を許さない」のステッカーを毎月3日掲げている。毎月3日の「全国統一行動日」に全国各地で同じことをやっている人がいると想像するだけで楽しい。
<東海第二原発は直ちに廃炉/オリンピックもやめよう>
小出さんは著作活動、講演活動をつうじて人間を不幸にする原発とそれに群がる「原発マフィア」を厳しく糾弾してきた。信州で「隠遁生活」を始めたとのことだが、現在も社会的な発言は健在だ。
コロナ騒ぎで忘れがちな原発の再稼働の動き、特に東海第二原発の再稼働に警鐘を鳴らす。世間の関心はコロナに向かいがちだが、東海第二原発の問題は地方の問題と済ますことはできないと警鐘を鳴らす。同じ研究所の元同僚の試算を引き合いに、「東海原発の事故による急性死者は、水戸市で21万人、日立市で20万人、勝田市(現ひたちなか市)で10万人、がんによる死者は南西方向の首都圏を中心に800万人。事故が起きたら首都圏は壊滅する」と説明。
茨城県議会は住民投票の必要を認めず、住民の民意を封じた。コロナと原発で首都は壊滅への道を歩みだした。黙って見過ごすことはできない。
経済を優先したアメリカやブラジルが多数の犠牲者を生んだように、電力業界と原発マフィアの利権のために、わたしたちは空前絶後の犠牲者を覚悟しなければならない。「おとなたちは命よりお金が大切なのですか」。事故直後に訴えた福島の小学生の声が今でも耳元に残る。
小出さんは原発事故を忘れさせようとするオリンピックには「徹底的に抵抗」すると宣言する。
ここに至り、オリンピック開催は不可能と堂々と発言する人はいない。この国の政治家もマスコミもどうかしている。
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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〔opinion9983:200731〕
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