「国家安康」と元号の「安」
- 2019年 3月 18日
- 交流の広場
加藤哲郎先生の「元号は入らない」を読みながら、ふと、京都の方広寺にまつわる釣り鐘(鐘銘)事件を想い出した。言わずと知れた、歴史的事件のことである。
方広寺鐘銘の「国家安康」という文字が徳川家康の「家康」を引き裂いているという理由で、徳川方から難癖をつけられた豊臣秀頼(西軍)との間で起きた「大阪冬の陣」のことだ。
この事件を想い出したのは、加藤先生もご指摘の、安倍の「安」という文字を新元号に入れるかどうかにかかわってのことであり、たわいない話である。
しかし、例えば「国安背倍」(こんな言葉があるかどうかは無学にして分かりかねるが、日本国はますます安っぽくなり、民心はますます安倍から遠ざかると読んでほしい)から新元号を「安国」(=「暗黒」に通ず)とでも名付ければ、二重の意味で今日のわれわれの気持ちを表しているように思えるのだが、いかがだろうか。もちろん、安倍を二つに割る(分裂)ということと、衰退一途の日本社会、そして安倍政権の暗黒の未来ということである。
天皇制無要と同じく、元号も安倍政権ともども無要のものだ、というのがここでの結論である。
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