ジェフ・イェン
- 2020年 9月 23日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
「連続鋳造機メーカに押しかけたら」の続きです。
一人の中国人抜きには日本支社の製鉄向けドライブ・システムの市場開拓は語れない。
知っている人にとっては当たり前のことが、知らない人にとっては貴重な情報や知識だったりする。ちょっと想像してみればいい。自分と全く同じ人がいたら、その人と話すことによって、自分では得ようのなかった社会観や物事に対する姿勢や視点、あらためてなにか得るものがあるか? 何からの共通点があるから、話にもなるが、すべてが同じだったら、気の合った知り合いにはなれるだろうが、それ以上はなにもない。会うたびに、この当たり前のことを、繰り返し教えてくれたのがジェフ・イェンだった。
ある日、アメリカ本社から、なんのことかと思うメールが届いた。
「Jeff Yien(ジェフ・イェン)が奥さんもつれて日本に一週間ほど滞在する予定だから、テイクケアしてくれ」
経緯の説明もなければ滞在の目的もない。来るというだけで、どこからというのもない。そもそもJeff Yienとは何者なのか。そんな名前きいたこともない。まあ、一万人以上いる会社だから、どこかの事業部の人なんだろうけど、テイクケアと言われても何をしろというのか見当がつかない。何か用意するものは?と思って返信メールを送ったが、いってきた本人も、誰かに言われてメッセージ送ってきただけなのだろう、何もいってこない。
十一時もまわった頃、電話がかかってきた。何?もしかしたらと思ってとったら、ジェフ・イェンだった。
「Good morning. Is this AC Tokyo? May I speak to Mr Fujisawa?」
きれいなアメリカ英語だが、どことなく中国なまりのアクセントが残っていた。
予定通り着いたらしい。新橋のホテルに泊まってるが、昼飯に出てこれないかという電話だった。なんでそんな面倒なところに泊まってる。ホテルは箱崎のロイヤル・パークがお決まりじゃないか。ロイヤル・パークなら歩いて十分かそこらなのにと思いながら、手を空けられないわけでもなしと出かけた。茅場町から日本橋で乗り換えて、また思った。面倒な奴だ、なんで新橋なんかに泊まるんだ。
ホテルのカウンターから電話してもらったら、支度はできていたのだろう、直ぐにでてきた。どことなく違和感のある二人で、イェンは分からないが、奥さんはいかにも中国からの人という感じだった。
アメリカ人のなかには人の手を潰す気かと思うほど力いっぱい握ってくるのがいるが、中国も東南アジアも握手が軽い。相手の軽さよりこころもち強めに握り返すようにしていたが、軽すぎるというのか、添える程度ですまされると、
そんな握手なんかしないで、頭を軽く下げるまでにしておいたほうがいいのにと思うことがある。握手の軽さでアメリカのビジネスとの距離がわかる。イェンは、出の良さを感じさせる強さで、間違いなくアメリカの握手だった。
どこにいくかと相談しようとしたら、ちょっとそこまで歩くけどいいかって。なんだオレよりよっぽど詳しいんじゃないかと思いながら付いていった。JRのガードをくぐって、昼飯にここかよというちょっと重い中国料理屋に入っていった。
あいさつした時に気がついたが、奥さんは英語はYes、Noぐらいで全くといっていいほど分からない。まるで戦前の日本婦人のように、微笑みを絶やさずにイェンの後を付いて歩いているだけで、何を思っているか想像もつかない。
二階のテーブルに通されたが、昼飯にはうすっ暗らすぎる。何か食べられないものはないかと聞かれて、なんでも大丈夫と答えたら、奥さんに確認しながらイェンが慣れた調子で料理を頼んでいった。何がテイクケアしろだ。こっちがされてる。
おいおい、お前、ここは日本で昼まっからビールはないだろうと思いながら、でも奥さんは飲まない。二人だけのときもニコニコしてわけじゃないだろうが、言葉は通じないし、なんともやりにくい。
「日本はバケーションか」
イェンがちょっと顔をしかめた。なんで? わるいことを聞いてしまったわけでもないだろうに。さっきまでとはちょっと違うトーンで、
「せっかくだからハワイにと思ったんだけど、女房のビザが下りないんだ。こいつは中国人だから」
えっ、お前も中国人じゃないか? 分かったんだろう。
「中国人」だからと言ったときとは、別人のような口調で、ちょっと胸を張ったようにみえる。
「オレは北京で生まれて、台湾によって、インディアで育ったアメリカ市民だ」
こんなところで自出なんか聞かされても……、なんか歴史のありそうなヤツだなと改めて顔を見た。髪の毛は随分寂しくなっているが、同世代、四十そこそこに見える。
「ハワイに新婚旅行のつもりだったんだけど、こいつのビザがとれなくて、日本にしか来れなかった。まあ、一週間で京都と奈良までいけば十分だろう。上海の事務所も立ち上げなきゃならないし」
あちこちで話がずれている。上海にはChina ACという中国企業との合弁会社があったはずで、いまさら何を立ち上げようとしてるんだと思っていたら、自分のことを気にしているとでも勘違いしたのか、堅い口調で宣言でもするかのように言いだした。
「蒋介石側の高官の家系だ。おかげで台湾に逃げて、台湾にいてもしょうがないってんで、アメリカに移住した二世だ」
大変だったろうなとは思うが、そこでなんでまた英語のえの字も分からないのと結婚したのか。その年まで独身だったということもないだろう。いつもだったら、何度目だって冷やかすところだが、奥さんの手前、ちょっと引き気味に聞き返した。
「ところで奥さんとは」
二世はいいけど、英語が全くダメな奥さんとどうしてって思うなといわれても、気になるじゃないか。
「ああ、こいつ。xxx」
最初の挨拶で名前は聞いていたが、聞き取れないし、覚えらない。
「もう三ヵ月、いやもう四ヵ月になるかな、上海の展示会で逢ってさ。オレも中国に帰りたいしで結婚した。いまさらアメリカの時代ってわけでもなし、これからは中国だ。フジサワさんもそう思って追いかけてんだろう」
なんだこいつ。それで日本に新婚旅行か。慌てて奥さんに、
「Congratulations on your marriage」
と言ったが、ぽかんとしてる。
中国語なんかできやしない。えっと思ったときには日本語がでていた。
「結婚、おめでとう」
英語ならまだしも、日本語なんかわかりゃしない。とっさのことにしても、なぜなのかわからない。言ってしまって、イェンの顔を見た。
英語につづいて日本語だから、何を言っているのかわかる。イェンがちょっと恥ずかしそうにしていた。可愛いところあるじゃないか。
イェンが奥さんに中国語で通訳してくれたのだろう、奥さんがとって付けたような微笑みで何か言ってきたが、分からない。イェンは面倒くさいのか、恥ずかしいのか、訳すまでもないのか、しらっとしていた。
イェンと奥さん、速度が違いすぎる。イェンは良くも悪くも頭の回転は速いし切れる。でも話というのか思いが飛びすぎる。まあ、そのくらいじゃないと新しいことは始められないだろうけど……。
ちょっと待て、どこでオレの話を聞いたんだ。
「追いかけてんだろうって、どこで何を聞いた。どうせろくな話じゃないだろうけど、メコンか」
「いや、本社には行ったけど、メコンには行ってない。ACにくるまでは台湾リライアンスでカントリーマネージャやってた。パデュー出からずっとリライアンスだ。アメリカにいてもしょうがないし、台湾までってわけにもいかないじゃないか。どうしても上海にって、ACに転職した」
転職まではわかるが、それで知り合ってたかが三四ヵ月で結婚までするか? くっついたり離れたりが日常茶飯事のアメリカかあ。まあ、中国人というよりもうほとんどアメリカ人だし。でも先々、英語の不自由な奥さんじゃ、大変だろうに……。
なんという映画だったか忘れてしまったが、スポーツバーのシーンを思い出した。
そこで出会って話をしていた三十半ばの女性が、さりげない口調でイケメンに訊いた。
「ねぇ、ところで結婚してるの?」
訊かれたイケメンのするっとした台詞がなんとも絶妙で忘れられない。一度でいいから言ってみたい。
「Ya, sometimes(うん、ときどきはね)」
上海にはいいが、この先どうなるんだろう、この二人。まあ個人のことで心配してもしょうがない。
パデュー(Purdue)大学、日本ではなじみがないが、インディアナ州にある名門公立大学で、ACにも卒業生が何人かいるはずで、大学の話を聞いたことがある。
リライアンスは単体のモータやドライブ製品だけでなく重厚長大産業向けのドライブ・システムでは老舗だった。事業規模はACより大きく、従業員も多い。なんだ、ドライブ・システム専門のお前からみたら、オレなんか鼻たれ小僧にしか見えないんだろうなって思いながら、どこまで何を知っているのか気になる。
「オレの噂なんてクリーブランドかメコンしかないだろう」
「いや、オレACの人間ほとんど知らない。知ってるのは台湾の何人かと本社のHuman ResourceにBill Fletcherぐらいだ」
「なんだ、Bill Fletcherと面接したんか。Fletcherなんか言ってたか」
「Fletcherからも聞いたけど、日本リライアンスの方が多い」
Bill FletcherはACのSenior Vice Presidentの一人で、海外市場全般を担当していた。日本でもミルウォ―キーでも会議でのこともあったし、廊下で立ち話もしていた。Fletcherは分かるが、なんで日本リライアンスが?
「なんで日本リライアンスがオレのことを知ってるんだ」
そんなことも知らないのかという呆れ顔で言われた。
「なんでてって、フジサワさん日鉄のレールの熱処理ラインやってるじゃないか、それに日造でCCも追いかけてるだろう」
やってるというようなもんじゃない、もう命がけに近い。なにがなんでもとってやると事業部と日鉄の間を機織り機のシャトル(飛び杼)のように行ったり来たりしていた。
「だからなんで、リライアンスが知ってるんだ」
「あたりまえじゃないか。あの類の仕事は歴史的にリライアンスの仕事で、代理店経由の単体売りが専門のACが、まさか日本でドライブ・システムに出てくるなんて、誰も考えたこともなかったからな。日鉄からACがでてきる。フジサワってのがものすごい勢いで動き回ってるって聞いて、林さんも若林さんも慌ててるぞ。台湾にいても聞こえてきたぐらいだから」
「なに、そんな話になってるのか」
「おい、その林さん、若林さんって誰のことだ」
「あれ、知らないのか? 林さんは日本リライアンスの社長で、若林さんは重厚長大、まあ鉄と紙がほとんどだけど、営業部長だ。この世界で知らない人はいなんじゃないかな。フジサワさん貴重な存在だぜ」
なにが貴重な存在だ。ただの駆け出しってことじゃないか。大関相手に新入幕の三下がなんとか乱戦に持ち込めればとごちゃごちゃやっていたが、最後は勝負にならないかもしれない。ダメならダメでしょうがない。ただやれることもやりきらないで失注だけは嫌だった。
なんでイェンが新橋に宿をとったのか、通いつけのようなメシ屋があるのかが分かった。リライアンスの日本支社は大門にある。何度もきて、勝手知ったる新橋界隈、朝まで飲み歩いたような顔をしていた。
もう三時も回って、さすがに事務所に戻らなきゃならない。
「これから何か予定あるのか。何か手伝うことは……」
イェンは切れる。言葉とは違うことを言っていることぐらいの見当はつく。
「ちょっと女房連れて、秋葉原にと思ってんだけど、二人で行けるから」
なんの助けもいらないのは分かっていても、じゃあなとも言えない。日本に来るたびに秋葉原も何度も行ってよく知ってるのだろう。でも今回は自分の興味ではなく、白物だ。結婚すると、同じ秋葉でも行く店も違えば、フロアも違ってくる。
「行き方わかってんだろう?」
「大丈夫だって、なんども行ってるから。それより仕事に戻らなきゃならないだろう、もうすぐ三時半だぞ」
「じゃあ、ここで失礼するけど、明日、夕飯にでもいくか。適当なときに電話もらえるかな」
イェンが伝票を持とうとした。
「おい、ここはオレのホームグランドだ。これはオレが、どのみち会社の金だ」
翌月、日造から急な話で宝山鉄鋼の技術検討会についてこいと言われて、慌てて出ていった。
八十二年に日立精機を辞めて手にした退職金六〇万円で、上海から桂林を回って北京から帰国するパッケージ・ツアーにのった。十年勤めて溜まった垢を中国という異国の地で全部きれいさっぱり洗い流してやろうと思っていた。個人旅行が許可されていない堅苦しい時代で、上海は薄汚れた暗い町の印象しかなかった。あれから十年、上海も大きく変わったんだろうな。新しい中国の息吹を感じられると期待していた。
アメリカに行くのとは違う。ビザをもらいに領事館にでかけて、確か五千円だった。
宝山鉄鋼の技術検討会に行くことになった。そっちで会えないかとイェンに電話した。怖いもの知らずのイェンだと思っていたが、宝山鉄鋼にはならないらしい。
「何しに宝鋼にいくんだ。宝鋼傘下で実績を積まないと、オレたちなんかが行っても相手にされないぞ」
言ってることはわかる。常識ではそうだろう。でも定石通りに傘下の十社もある製鉄所をまわっていったら、十年かけても宝鋼に辿り着けないかもしれない。そんな悠長なステップを踏むつもりはない。度を超えた力仕事になるのはわかっているが、限られた時間と戦力でなんとしても要を射抜く。宝鋼を落とせば、後は十でも二十でも向こうから転がり込んで来る。傘下なんか知ったことか、宝鋼一本釣りで押していくつもりだった。
ちょっとした沈黙をぬけて、イェンが半信半疑の口調でいった。
「まさかお前、見積もってんか」
「オレが、まさか。見積もってるのは日造で、オレは日造にドライブ・システムを見積もってるだけだ」
なんだ、そのほっとしたような感じは。口には出さないが、ふーんというのか先を越されているのが気になるのだろう。言葉がでてこない。
「賓館に泊まれっていわれてんだけど、敷地内に軟禁されるみたいな感じがするし、朝めしも夕飯も日造の偉いさんと一緒ってものなー。お前だったらどうする」
「そりゃ絶対よした方がいい。日本の会社だと、おとなしく宝鋼のいうままに泊まるだろうけど。こっちで適当なのを用意しておくから、心配するな。色々話もあるしな、夜は空けておけよ」
「ああ、お前どこかで聞いたことあるだろうけど、宝鋼から日本やアメリカには電話するなよ。全部聞かれてると思った方がいい。特に見積の金額だけは絶対口にしちゃだめだ。分かってんだろうな」
「ああ、日造から聞いてる。交換台を通さないと海外には電話できないし、そこで全部聞かれてるって。直接ダイヤルすると六回かそこら呼び出しただけで、つながってないのにバカ高い国際電話料金請求されるって言ってた」
上海のエアポートについて驚いた。八十二年に着いたときは、木造の大きな体育館というのか倉庫みたいな、どこか同情を誘ううら寂れた感じだったのが生まれ変わっていた。新しいエアポートは、こういっちゃ失礼になるが、伊丹空港よりよっぽど輝いていた。十年前に来たエアポートは上海虹橋国際空港で、着いたのは上海浦東国際空港だったのを後で知った。
一人でもほっつき歩けるようにと、イェンが気をきかせて上海の繁華街の真ん中にあったフランス系のホテルを予約してくれていた。
翌日、タクシーでChina ACに出かけていった。ここをベースに資料を用意すればと思っていた。上海に来て、現地の支社に顔をださないわけにもいかないし、ちょっとした事務仕事をするにも事務所の方が都合がいい。
どこをどう走ったのか分からないが、タクシーが薄汚れた路地に入っていった。まさかこの路地の奥ってことはないよなと思っていたら、ゴミだらけの古びた安普請のビルの前で止まった。本当かよと建物に入ったら、手作りのようなネームプレートが一階のドアの上に張ってあった。恐る恐る立て付けの悪いドアを開けたら、うすっ暗い蛍光灯の下に机が見えた。机はならんでいるが、事務員なのか数人椅子に座っているだけで、営業拠点にはあるはずの活気がない。ドアが開いて、人が入って来たのに誰も気にしない。
一歩入ってドアを閉めて、誰か出てくるはずだろうと思って待っていた。前もってメールで連絡しておいた通りに事務所には着いた。時間にすればたかが一分かそこらだろうが、随分長いあいだ立っていたような気がする。しびれを切らして、三四メートル先の事務員?に聞こえるように、ちょっと大きな声で、
「As informed you previously, I just arrived at Shanghai yesterday. Fujisawa from AC Japan」
物理的には聞こえたのだろう、何人かがこっちを見てる。それはまるで何か、変なのが入ってきたけどという視線だった。
まさか、間違って違う会社に入っちゃんたんじゃないだろうなと心配になって、表に貼ってあったネームプレートを見に出ていった。間違いない。ここがChina AC。何なんだと思いながら、ドアを開けて入ったら、若い女性がたどたどしい英語であいさつしてきた。
会議室らしき部屋に案内されて、こんなところで仕事になるのかと気にしていたら、偉そうな人が入ってきて変な流暢さの英語で挨拶された。きちんと勉強した英語なのに何か違う。どこか違う社会で話されている、取って澄ましたような、それでいて農作業で日に焼けた人たちの世間話の抑揚がある。上っ面のなめらさを超えるざらざら感が残っている。官僚英語なのか口ぶりが癇に障る。
昨日の夕方上海について、明日から二日間、宝山鉄鋼に連続鋳造機の技術検討会に出る予定であることを伝えた。メールで日程も宿泊先も連絡してあるから、予定の確認でしかない。資料をコピーしなければならない。事務所のコピー機を使わせてもらいたいとお願いした。
宝山鉄鋼といっても何の反応もない。どのようなビジネス展開をしているのか聞いても、何もない。でてくるのは、三流外交辞令ともつかない世間話だけだった。仕事の話でなければ、話すこともない。ものの十分程度で切り上げて、とりあえず机を一つ貸してもらった。
検討会で提出する資料を十部ほどコピーしなければならない。近くにいた社員に身ぶり手真似でコピーしたいことを何とか伝えたら、ついてこいという感じで歩いていった。奥まった倉庫のような部屋に、触ると手が汚れるんじゃないかという年代物のコピー機があった。ほとんど壊れている。原稿がトナーでぐちゃぐちゃになった。万が一のことを思って二部もってきてよかった。夜、ホテルのビジネスセンターでコピーするしかない。ちょっと高くつくがそんなことをいってはいられない。
コピーもできないし、これといってやることもない。どうしたものかとぼんやり眺めていたら、会議室?で五六人がお茶を愉しんでいるよう見えた。距離があって話声までは聞こえてこないが、大笑いでもしているような顔からは、世間話でもしているようにしか見えない。なんなんだろうと思っているのに気がついた一人が、お茶はどうだと言ってきた。言葉は分からないが身振りから、キッチン?に付いていった。そこにはネスカフェの空き瓶のようなのとキャップがセットになって並んでいた。どれでも好きなのを取れといわれて、どれも同じじゃないかと一つ手にとったら、そこに置けと指さされた。瀬戸物の壺の蓋を取って、お茶っ葉を一つかみビンに入れてお湯を注いでくれた。キャップを閉めて、お茶っ葉が開いて沈んだら、ビンの口からすするようにと身振りを交えながら教えてくれた。お茶をいれるのに急須を使わない。急須を洗う手間もかからないし、合理的っていえば合理的だが、なんとなくそんなお茶かという気がする。休み時間の短い日本じゃ、お茶っ葉が開いて沈むまでに休み時間が終わってしまう。
二人でビンを片手にみんなが世間話に興じている会議室に入っていった。何か話しかけれても分からない。困って紙に漢字で書いてみたら、これが驚くほど通じる。漢字の世界のありがたみを感じたが、意思の疎通なら、身ぶり手真似の方が手っ取り早い。立ち上がってファスナーのところに手を持っていけば、ああトイレはと聞いてるんだぐらいのことなら誰でも分かる。
会議室の窓から事務所を見渡せば、あっちでもこっちでも何人か集まって、ビンからお茶をすすりながら、話している。十時過ぎから、イェンがくるまで五時間ほどの間に電話ひとつかかってこないし、かける人もいない。ざっと見たところ十五人はいるが、誰も仕事という仕事をしているようには見えない。いったいここはなんなんだ?China ACとはなんなんだと呆れかえっているところにイェンが入ってきた。
軽く挨拶はしても、遠くからイェンを、まるで相容れることのない異物として見ている。イェンも相手をする気はないという姿勢を敢えてとっているようにさえ見えた。ちょっと表にと言われて、建物から出て道の反対側に渡った。建物を前にして道を左右に見ながらイェンが吐き出すように言った。
「こんなゴミのなかで仕事になると思うか」
たしかに道には果物の皮や野菜くずに混じってオムツまで散らばっていて、スラムの臭いが漂っていた。
「あいつらで何かできると思うか」
「これが中国の実態だ。外資は中国政府の出先機関との合弁でなければ事業を始められない。でも合弁にすればやる気もなければなんの能力もない役人連中を押し付けられて、その使いものにならないヤツらが、変にアメリカかぶれしないようにって、監視役が社長としてふんぞり返っている会社ができあがる」
そこまで言って、ひと息ついて続けた。
「あそこで、英語でなんとか意思が通じるのは、あの支配人、まあ支社長と秘書だけだ。二人とも党員で、いらないからって追い出された役人どもの監視役だ。仕事する気もなければというより、仕事ってのはなんなんだとうところから、無限ループにでも入ってしまったかのような哲学論議みたいな話になっちゃう。そんな話、百年したって一ドルにもなりゃしない。だからAC Chinaを別につくってて話になってる」
まあ、そこまで言われなくて、一時間も事務所にいれば、どうにもしようがないことぐらいわかる。ただ、中国でビジネスをしようと思えば、多かれ少なかれあの人たちと似たようなのとどう折り合いをつけるかが、実の仕事以上に難しい。アメリカの合理性と日本の合理性には違いがある。それでも経済合理性という視点では共通する部分が多い。ところが、中国となると、何が合理性だという、その何は何なのか、そしてその何なのかは誰にとっての何なのかという、傍からみれば禅問答のような言い合いが始まってしまう。
当時よく「為人民」を耳にした。それは「人々の為に」という奉仕の精神だということらしいが、誰が人民なのか?それはオレたち働いている人たちのことじゃないか。会社や上司はオレたち、人民のために奉仕しなきゃならないんで、オレたちが会社や上司に奉仕するなんておかしいだろうという主張が聞こえてくる。特に外資にはこの正論?が押し付けられる。
こっちはそんなところに足を踏み入れるつもりは端からない。機械や装置メーカ、あるいはエンジニアリング会社に任せて、前面に立つ気はさらさらない。
日本支社から人が来たといういい口実ができたのだろう、社員全員そろって歓迎会という晩餐にありついた。次から次へと料理はでてくる。それは、昼飯にとってくれたお弁当とは違って料理だった。料理は料理だが、なかなか手を出そうと思うものは出てこない。これならいけるかなと思ったら、隣にいるイェンが小声で、「それはあぶないからよせ」と言ってくる。
せっかく食べられそうなのにと思っても、
「中国じゃ魚も貝も海からじゃなくて、そこらの川からもってくるのが多い。環境汚染がひどいから」
なんだ、そりゃないだろう。ここでそんなこと言い出したら、食う物ないじゃないかって顔をしていたのだろう。
「食いたきゃ食えばいい。でもオレは食わないからな」
向こうにいて、こっちに目を光らせている支社長とその隣に座っているお目付け役しか話ができるのがいない。出てくるのは、地の人たちにはごちそうなんだろうなってものばかりだった。
早々に引き上げて、ビジネスセンターに駆け込んだ。
2020/10/11
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〔opinion10133:200923〕
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