ジェノサイド語のインフレーション――ユダヤ人インテレクチュアルがボスニア・セルビア人と協力し始めた理由――
- 2021年 8月 5日
- 評論・紹介・意見
- ジェノサイド岩田昌征
『ポリティカ』(2021年7月10日)に「スレブレニツァはアウシュヴィッツではない」と題する論説がスウェーデン・ウプサラ大学教授シェル・マグヌソンによって発信されていた。要約紹介しよう。
前回の私の小文(『ジェノサイド(族戮)罪――多民族戦争を多面的に考察させない概念装置に堕落させない為に――』 http://chikyuza.net/archives/112975 )で述べたように、BiHセルビア人軍総司令官に対する旧ユーゴ国際刑事法廷の最終判決=終身禁固に対して、裁判長ニャムバ女史(ザンビア)が少数意見書を書いて反対していた。
シェル教授によると、その内容は次の如し。
ムラディチ総司令官以前にスレブレニツァ集団殺害事件で訴追されていたセルビア人被告達がジェノサイド罪を逃れるために検察側と司法取引に応じ行った証言だけを重視して、弁護側の新証拠、国連軍・国連要員の現場観察記録を全く考慮しておらず、法廷の原則と規則に違反しており、再審必要あり。
シェル教授の判決批判は次の如し。
今次のボスニア戦争(1992-95年)でボスニア・ムスリム人の3.4%が死んだ。ところで、第二次大戦の旧ユーゴスラヴィアにおける戦争で、クロアチア人の6%、ムスリム人の9%、セルビア人の17%、ユダヤ人の77%が死んだ。こう見ると、ハーグ法廷のジェノサイド罪判決は、ホロコースト=ジェノサイドの重み・深みを減殺する方向に効果を発揮している。ジェノサイドではユダヤ人の50%、あるいは60%が殺害されたのであり、あるヨーロッパの国の場合、ユダヤ人の90%が殺害された。
旧ユーゴ国際刑事法廷開設以前に個々の地域における集団虐殺をジェノサイド(族滅・族戮)と考える法律家・法学者はいなかった。アメリカの法学教授アフムド・シェリフ・バシオニが発案した考え方だ。バシオニ教授は、「ジェノサイド条約に従えば、ボスニアではジェノサイドは行われていない。局地的ジェノサイド概念を許容することで、我々は前進する事が出来る。」とアメリカ下院で証言した。
シェル・マグヌソン教授によれば、アメリカ国家の工作なしに、ハーグ旧ユーゴ法廷にこの種の考え方が入り込む事はなかった。それに加えて、大陸法になじまない英米法の司法取引(検察に有利に証言する代わりに、自分の罪を軽減してもらう事)が導入された結果、ジェノサイド罪が成立しやすくなる。シェル教授は、この小論で触れていないが、もう一つ英米法の「共同犯罪謀議罪」、いわゆる「共同謀議罪」の採用も忘れてはなるまい。
結論として、ジェノサイド(族滅・族戮)は、1941-45年のヨーロッパに起こったが、1991-1999年のバルカン半島には起こらなかった。ジェノサイド条約を離れて、ジェノサイドを語る事は、現実のジェノサイド、ヨーロッパ・ユダヤ人のそれを相対化する事になる。「スレブレニツァはアウシュヴィッツではない。」
ここで上述スウェーデン人学者の見方から、独立に、かつ賛意を表しつつ、私=岩田の所感を述べる。1937年・昭和12年12月の南京事件の犠牲者数は次の如し。東京裁判検事側の主張は、34万人余。東京裁判判決は20万人余。旧陸軍将校団体偕行社が認める中国人犠牲者数は3万1千人。歴史家の秦郁彦によれば、3万8千人から4万2千人である。スレブレニツァ事件に関して犠牲者ボスニア・ムスリム人の主張する8千人の4倍から40倍。加害者ボスニア・セルビア人の語る数字に比すれば10倍から100倍。松井石根大将は、東京裁判でその責任をとらされ、極刑・最高刑の死刑で処刑されている。その場合、ジェノサイド罪なる概念はなかった。スレブレニツァ事件の裁判では、ラトコ・ムラディチ将軍は最高刑の終身禁固(死刑は存在せず)である。ジェノサイド罪の故である。
ところで、東京裁判、その他のB級C級戦犯裁判で連合軍兵士捕虜数千人を即決処刑した罪で裁かれたとしたら、その人物は最高刑の死刑になっていたであろう。論理的には、ハーグ裁判においてもジェノサイド罪がなくても、捕虜大量処刑に最高刑を課すことが出来たはずだ。
それでは何故にアメリカ国家や北米西欧市民社会は、ハーグ法廷にジェノサイド罪を特注的に導入したのか。私見によるならば、旧ユーゴスラヴィア多民族戦争勃発以前に全世界的に定着したナチス・ドイツによるジェノサイド・ホロコーストの極悪非道悪魔的イメージを北米西欧市民社会(カトリック・プロテスタント)に異質なセルビア人勢力(東方正教会)の所業に刻印して、世界的宣伝戦に勝利する事を意図していたからであろう。世界的マスメディアに影響力を持つユダヤ人達もそれに協力した。特にボスニア戦争中それは目立っていた。東方正教会の主力は、勿論、北米西欧市民社会が厭う権威主義ロシアである。
このようなジェノサイド罪活用戦略が成功しすぎた。戦争後の裁判でスレブレニツァはジェノサイドだ、プリイェドルもジェノサイドだ、フォウチャもジェノサイドだ、・・・となると、アメリカ支配層の戦略に協力して来たユダヤ人知識層に不安が湧き上がる。これでは、「ジェノサイド」のインフレーションだ!自分達の祖父祖母世代の圧倒的多数者が体験した真のジェノサイドが空語化しつつある!!更に、ドイツの若い世代のグリーン派達も、「ボスニアにコソヴォにアウシュヴィッツをさがせ、アウシュヴィッツを爆撃せよ」とアウシュヴィッツの真実を矮小化し出す。この空語化は、ドイツ人に一種の安らぎをもたらすであろう。
これは、私の心配しすぎかも知れないが、中国の若い知識人が「南京大虐殺」を「南京ジェノサイド」と語り始め、それに反撥して、日本の一部知識人が「通州虐殺」(昭和12年・1937年7月、通州において中国の保安隊が日本人居留民2百人以上を惨殺)までも「通州ジェノサイド」と呼び始める恐れがある。ハーグ旧ユーゴ国際刑事法廷の検察側基準によれば、「南京」も「通州」もジェノサイドになるだろう。判決基準によれば、「通州」は拒否されるが、「南京」は認められてしまうだろう。
しかし、これではかえって、そこで無念の死をとげた人々の死の姿と意味・無意味は、私達に伝わらないであろう。貨幣のインフレーションよりも言葉のインフレーションの方がもっと怖い。最近時では、「新疆ウィグル人ジェノサイド」言説だ。
民族間衝突で起こってしまった不幸な諸事件をいつでもジェノサイドに引き寄せないと批判できないとしたら、それは社会科学的知性の脳軟化症であろう。
令和3年8月3日
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion11172:210805〕
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