ていこう原理④ 教育と学び、人類文明史の認識変革
- 2022年 9月 13日
- 時代をみる
- 長谷川孝
◆学びを権力支配する学校教育
大学に入学した時、「教職課程は絶対に履修しない」と心に決めていました。教育に対する、小学校五年の二学期以来の強い不信感があったからでした。
五年生の当時、私は夏休み前には教科書を読み終えていました。その私が、まだ教師が教えていない知識を使ったことへの、たぶん教師にとっては小さな「しうち」による不信感でした。
その不信感は、私が自分で学んだことを、学校と教師は無視し否定する、という感じからのものでした。後の自分なりの理解では、次のようなことになります。
《学校で教師が教えた知識のみに価値がある。それをどれだけ素直に受け入れたかという受容度が成績。子どもが自分で勝手に学んだことには価値がない、という価値観を植え付けて、子どもの学びを権力支配している》。
「教育する」ことは、私にとっては〈悪い〉ことでした。私の学ぶ自由を侵害する行為と感じられたからです。それ故に常に、防御感覚を持っていたようです。
◆学びが主体の教育への認識変革
こんな不信感から学校での授業は、好きな科目はともかく、適当にやり過ごすという態度でした。成績について何も言わなかった親の態度は救いでした。学校への従属を強いなかったのですから。
憲法を学びたいと思っていた大学でも大教室での憲法の授業は、知識を与え施す「教育」で、授業への関心を失い、大学祭や学友会の活動を始めました。そんな大学生活で、学内を「浮遊」しながら感じ取ったのは、憲法を支えているのは労働三法に違いない、ということでした。
労働法ゼミを知り、労働法の「ろ」の字も知らぬのに拾い上げてもらえました。ゼミでは、労働法の知識以上に、学び方、考え方を学び、このゼミ体験が後の教育観の変革につながりました。
「主体的な学びに応え支え励ます教育」への認識変革です。この認識変革により、憲法を支えるもう一つが教育基本法だ汚いう気付きにもつながりました。
子どもたちの学びに寄り添い支え励ます実践者の教師にも出逢いました。郷土教育全協にも、そうした教師たちがいたのでした。
◆求められる人類文明への認識変革
今、学校教育でも、学びの大切さが語られています。国連子どもの権利条約では、教育への権利を「to receive」(受ける)抜きの「right to education」と定めています。
しかし学校教育の現状は、アベ教育再生政策による、教育基本法の大改悪、教科書への政治介入、教育の根幹に据えられた道徳教育、人材育成等々、国家・社会の開発と発展のための制度の色が濃くなっています。
この開発と発展に関しても、認識変革が求められていると思います。人類文明についての問い直しと言えそうです。人類活動の「過剰」が地球環境の危機をもたらしているという認識です。そして教育は、地球環境の危機をもたらした文明を推進した大きな力でもありました。
気候変動は地球環境破壊の現象の一つであり、CO2はその指標の一つだと思います。守るべき地球環境とは、人類を含む現生生物の生存環境であり、人類文化の存続環境です。生物が絶滅しても地球は滅びはしないはずなのです。(読者)
初出:「郷土教育753号」2022年4月号より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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