「失われた30年」の重荷
- 2023年 3月 6日
- 時代をみる
- 加藤哲郎政治経済
●2023・3・1 「失われた30年」とは、新年の『日経ビジネス』によると、「バブル崩壊後の90年代初頭から現在までの期間を指す。この30年間は高度経済成長期や安定成長期のような成長が見られず、経済の低迷や景気の横ばいが続いている」とのことです。日本経済の世界では長く語られ、いまやGDP世界第3位がまもなくドイツに追い越され、一人あたりGDPではかつての1998年に2位とされていたものが、いまやシンガポール、香港に抜かれ、台湾、韓国にも本年中に追い抜かれそうな現27位といいます。冷戦崩壊後のグローバル経済に対応する1995年の日経連「新時代の日本的経営」以後、非正規雇用が増えていまや3分の1以上(女性では5割以上)になり、それが正社員の賃上げをも抑制し、実質賃金が上がらず、国内消費が増えない停滞を続けてきました。2月27日の「東京新聞」一面の30年前の提言者インタビューは、「円高で賃金が上がり過ぎたから下げるしかなかった。このままでは企業がつぶれるという緊急避難」「今ほど増えるとは思わなかった」と30年後の本音を引き出し、ジャーナリズムの矜恃を示しています。しかし、もう一方の当事者であるはずの労働組合・連合は、「労働組合員のため、賃上げを実現するには政府・与党と連携した方がいい」という既存権力への接近路線です。
● 「失われた」のは、日本経済だけではありません。そもそも「短い20世紀」を支配した東西冷戦、米ソ対立の一方(現存した社会主義)が自壊し、世界秩序が漂流したのです。日本は、それまでの日米安保と国連中心主義の2本足外交から、日米同盟一本へと舵をきりました。しかし、世界の方は、ソ連の崩壊で一時的に米国一国制覇にみえたものの、中国の台頭とアジア・中南米の工業化、中近東世界とアフリカ大陸での各国利害の対立の中で多様化・多極化しました。インターネット・SNSやICT革命、気候変動・温暖化から顕在化した地球的・人類的危機のなかで、既存の世界秩序では対応しきれない混沌が続きました。そこには、天災・自然災害や疫病の広がりも作用し、「失われた30年」には、2001年の米国同時多発テロとアフガニスタン・イラク戦争、2011年の日本の東日本大震災・福島原発事故と核エネルギー見直し、2020年からの世界的COVID19パンデミックと22年ロシアのウクライナ侵略戦争勃発、というある種の節目があり、その都度、リーマンショックに象徴された米国の衰退とBRICSの台頭、中国・インドの大国化、そしてロシアの再大国化へのバックラッシュを産みました。核戦争・第3次世界大戦への可能性を孕むこの過程で、米国追随一本の日本は、世界の「中心」から「半周辺」へと衰退し、存在感を喪失していきました。
● 世界的な「失われた30年」の中で、日本は、国民経済ばかりでなく「失われた政治」でも、典型国の一つになりました。ソ連・中東欧の現存した社会主義を崩壊させ、中近東・中南米・アフリカへと広がった民主化の波の中で、世界の「民主主義のかたち」も多様化し、かつての君主制か共和制か、独裁・一党制か多党制か、大統領制か議院内閣制か、一院制か二院制かといった制度的ちがいだけでは解けなくなりました。集権と分権、権力分立をどの程度徹底するか、国家暴力・軍隊や治安警察の政治性、権威主義的支配への歯止めの有無と強弱、世論やポピュリズムへの敏感性sensitivityと傷つきやすさvulnerability、市民社会の成熟度と中間団体の組織性・独立性、歴史的伝統とナショナリズムを包み込む政治文化等々、20世紀にはロバート・ダールの「ポリアーキー」概念(縦軸に公的異議申し立て・政治競争=「自由化」、横軸に選挙権・政治参加の広がり=「包括性」)で了解されてきた「デモクラシー」そのものが、再審されています。それはおそらく、20世紀を通じて「包括性」=普通選挙権・政治参加の広がりが当たり前になってきたもとで、改めて「自由・平等」の歴史的意味が問われているからでしょう。
● 日本政治が「失われた30年」の典型であるのは、そこでの「包括性」は男女平等自由な普通選挙権、18歳選挙権など世界水準に達してきたのに、1990年代の「政治改革」で政権交代を促進するとされた小選挙区制導入、政党交付金制度などの制度改革が裏目に出て、いわゆる「55年体制」とは異なるかたちでの自民党の長期支配、世襲政治化、世界に比してミゼラブルな女性議員比率、等々を招いたことです。しかも、その政治の内容が、日米同盟一辺倒の外交・安全保障、自衛隊増強と海外派兵、核兵器禁止条約への背反、福島原発事故を忘れたような核エネルギー再稼働・増強、国家安全保障の名での治安・インテリジェンス権力強化と情報管理、等々、およそ20世紀の日本国憲法の理念、いわゆる「戦後民主主義」の運用とはかけ離れた、実質的改憲の進行です。それが、世界に比しての「遅れ」なのは、各国で進む「包括性」政治参加の実質化、つまり女性やマイノリティの人権確認・権利拡大が弱く、「自由化」に照らすと、国会審議の形骸化、司法の憲法審査の回避、執行権力の肥大化と個人権力化、メディアの権力監視機能の衰弱が目立つからです。
● もちろん、国民生活のうえでも、少子・高齢化・人口減と貧富の格差拡大、中間層の分解と両極化、医療・社会保障・公教育領域の負荷拡大と財政圧迫、科学技術と大学への財政支出・投資減退、農業の衰退と食糧自給率低下、製造表の海外流出と都市化・過疎化の様相変化、外国人労働力の低賃金限定利用とインバウンド観光業による円安サービス業依存、そしてアニメとゲーム以外は輸出できないデジタル技術革新・文化の停滞ーー総じて「豊かさ」や「進歩」を実感できない長期の時代閉塞です。国家も国民も羅針盤を失い、その日暮らしの惰性が続きました。2010年代の「アベノミクス」は、「3本の矢」の情報戦とゼロ金利・円安政策のみが生きてきましたが、衰退の惰性を深刻にするだけでした。頻発する地震や豪雨災害、緊迫する朝鮮半島や香港・台湾情勢は、沖縄に集中する米軍基地の機能変化をもたらしましたが、むしろ、皇室と自衛隊の存在意義と役割増大の「国民」的容認に作用しました。日本国憲法改正も、その方向性は見えないまま、世論の上では、賛成が多数派になりました。
● 政党政治は、市民社会の社会関係・コミュニケーションの凝集であるとともに、社会と国家の架け橋で、国家の作用を社会に持ち込みます。日本政治の「失われた30年」は、いうまでもなく、政党再編と政治家の世代交代をも伴いました。1990年代に日本社会党が消滅し、小選挙区制のもとでの自民党は、統一教会や日本会議の力をも借りながら、公明党との連立政権で延命してきました。一時的な民主党中心政権が大震災・津波・原発事故に直面して崩壊した経験が、その後の、より権威主義的な安倍晋三長期政権に道を拓きました。1990年代の反自民野党は、民主党ほか幾度も分裂・競合・統合を繰り返し、今日の立憲民主党、維新の会、国民民主党、共産党などの林立状態をもたらしました。小選挙区制に即した野党共闘もないわけではありませんでしたが、自公連立の改憲連合が両院で増大しました。それどころか、改憲派は野党の維新の会、国民民主党を含み、立憲民主党の中にも勢力を持っています。
● 日本共産党はこの間明文改憲に反対してきましたが、「失われた30年」は、この党内部にも日米安保、自衛隊、天皇制などの基本政策をめぐって、20世紀冷戦時代とは異なる潮流・グループを生みだしているようです。世界の流れと社会の多様化、選挙区制等単位地域の流動性からすれば、それは当然です。ドイツの社会民主党・緑の党(赤・緑連合もありました)や左翼党のように、内部にいくつもの政綱・政策・地域主義をかかげた潮流・派閥があって絶えずオープンに議論している方が、「包括性」を高めた「国民代表」の流動化した政治のなかでは、活性化できるのです。「日本政治の失われた30年」の一角にある日本共産党の内部でも、そうした論争が始まったようです。すでに30年前に政治学者として問題の所在を示したことのある私としては、まるで20世紀の映画を巻き戻して見ている感じです。ハンガリー在住の盛田常夫さんと同じように、世界から見れば周回遅れの「20世紀社会主義の自己崩壊と共産党の自滅」を、静かに確かめる境地です。あるいは、マルクスやウェーバーのいう「アジア的停滞」の解読の一助になるでしょう。昨年の大病から徐々に快復し、先日の検査結果は良好で、リハビリ「経過観察」で、3度目の手術・入院は、5月の次の検査まで延期になりました。下記のゾルゲ事件関係から、少しづつ仕事に戻ります。
初出:加藤哲郎の「ネチズン・カレッジ』より許可を得て転載 http://netizen.html.xdomain.jp/home.html
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