「玉城知事は2年後、立ってられないほど弱っている」か? 沖縄県議選結果について
- 2024年 7月 25日
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- 「リベラル21」宮里政充沖縄選挙
16年ぶりの逆転
6月16日に投開票された第14回沖縄県議選挙は、定数48人のうち自民党など野党勢力が28人、玉城デニー知事の与党勢力が20人という結果におわった。これで自民党を中心とする野党勢力は、2008年の選挙以来16年ぶりに過半数を占めることとなった。6月28日に開会された県議会は早速、無記名の投票によって自民・無所属の中川京貴議員(61)を議長として選んだ。中川議員が26票、対立候補の山内末子議員(てぃーだ平和ネット)が20票だった。副議長は公明党の上原章議員(68)である。定例議会は7月30日まで続く。
野党側がYouTubeで盛んに流している県議会の中継を見ていると、与党攻撃の勢いにはすさまじいものがある。2年後の知事選までこの状況は続く。
県政与党の敗因
岸田内閣が「政治と裏金」で揺れ、本土からの応援もままならない状況で、デニー知事県政与党が大敗したのはなぜだろうか。
最も大きな要因は翁長雄志県政の力強い支援勢力であった「オール沖縄」が、次第に弱体化してきたことにあるだろう。「オール沖縄」を束ねていた翁長氏は自民党沖縄県連の幹事長や那覇市長を務めたことのある「保守中道」の政治家であった。その「オール沖縄」には、辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議・社会民主党・日本共産党・自由党・沖縄社会大衆党・那覇市議会新風会・沖縄県議会おきなわ(旧称「県民ネット」などの政党・会派が参加しているが、翁長氏の死後、「革新色」が強まり、保革のバランスを崩した。
今回の県議選でも、候補者を一本化できずに落選した選挙区がいくつかあった。翁長氏と親しい関係にあった「金秀グループ」(建設・鋼材・鉄工・不動産・商事・バイオなど手広く経営している)の呉屋守将会長は脱基地による沖縄の経済発展を目指す経済人であるが、現在の「オール沖縄」には見切りをつけた格好になっている。
沖縄自民党県連の島袋大幹事長は選挙結果について「中学生の給食費を、無償化する施策を突然打ち出したことや、水道代の値上げなどに対する民意が出たのではないか」と記者団の質問に答えている(06/17沖縄タイムス3面)。その分析が正しいとすれば、有権者は玉城県政に生活向上の期待が持てなくなっているということであろう。
だが、与党側の敗因はそれだけではあるまい。玉城知事が辺野古新基地に反対してきたが、国は裁判に訴えても拒否を続け、杭打ち作業は止めない。私は、沖縄県民の間に玉城県政へのあきらめや、「辺野古新基地・自衛隊配備反対」という主張だけで「台湾有事」に対応できるのだろうかという疑念が生じ始めているのではないかと疑う。今回の選挙の投票率が45.26%と過去最低であったのが、そのことを物語っているように思われる。
その状況下にあって、野党側特に自民党は、選挙区内外、県内外の70社に及ぶ企業に選挙応援を頼み込んだ。その結果、選挙事務所のスタッフや立候補者本人が知らない運動員が、入れ代わり立ち代わり出入りすることとなった。その効果はてきめんで、それまで保守系不毛と言われた地区で、当選圏に遠く及ばないとされていた自民党新人を当選させた。
県政与党側はその勢いに太刀打ちできなかったのである。中でも共産党は7議席から3議席に議席を減らす負けっぷりだった。
不安は解決されるか
選挙結果を報じる沖縄タイムス(6月17日)の12面には「沖縄戦 弟妹と生き別れ」の見出しで、喜屋武(きゃん)幸清氏(85)が那覇市牧志の公民館で行った講話の記事が載っている。喜屋武氏は沖縄戦が始まると祖父母、母、きょうだい4人で避難を始め、南風原(はえばる)の陸軍壕など南部一帯を転々としながら身を隠した。途中、祖父母は砲弾に倒れた。途中で合流した祖母は砲弾の破片が当たって腕がちぎれそうになり、かみそりで切ろうとしても切れない。最後は『水が欲しい』と言いながら息絶えた。摩文仁で壕に入ろうとすると日本兵に「泣く子どもははいれない」と銃を突き付けられ、喜屋武さんの母は3歳の弟と0歳の妹を壕の外に連れ出した。母一人で壕に戻ったが、しばらくすると弟が「お母さん」と泣き叫びながら追いかけてきたため再び母は壕の外へ出て行った。
記事は次のように続く。
「弟たちが戻ってこれないよう壕の入り口をふさいだ。母はどこか離れた岩陰にわが子を置いてきたのかもしれない」と想像する喜屋武さんは戦後長い間このことを誰にも話すことができなかったという。
終戦から9年後、38歳の若さで亡くなった母に対し、「毎晩のように泣き、死ぬ時まで子に謝っていたと思う。あの時壕の外で弟妹をどうしたのか。生前、母に怖くて聞くことができなかった」と語った。
一方で、今は当時の出来事を語ることは自身に課された使命だと捉えている。「天国の母が『あなたが話さなければ沖縄戦の地獄が伝わらないでしょう』と背中を押してくれているようだ。120歳になるまで語り継ぎたい」と、戦争の記憶の風化にあらがう考えを強調した。
私は喜屋武氏と同じ年である。私たち一家は北部のガマに隠れているところを米兵に助けられたが、祖父は米兵に背後から撃たれて即死、祖母は捕虜収容所でマラリアにかかり、小さくしぼんだまま死んでいった。
喜屋武氏同様、私は国家によって命と財産を守られたという記憶がない。むしろその逆だ。国家は生命と財産を奪っただけでなく、人間から人間の心を奪った。私たちはいま(遠い過去の話ではない!)ほとんど毎日のように戦争で住民が虐殺されていく現場をテレビを通して目撃している。子どもの命を奪い、親の命を奪い、息子や親を殺人者に仕立て上げ、住み家を破壊し、国土を廃墟にする。
「だから、そういうことにならないためにこそ、辺野古も自衛隊も必要なのだ」と答える人がいるだろう。だが、私たちは「目には目を、軍備には軍備を」という考えや政策が、戦争の抑止力になり得ていない現実をどう受け止めればいいのか。
野党側は当然、今回の選挙結果を2年後の知事選に繋げたいと必死だ。6月18日、自民党県連重鎮は記者会見の中で次のように言い切った。
「2年後、知事は立ってられないほど弱っているはずだ」
2022年7月に琉球新報、沖縄テレビ、JX通信社合同で実施した世論調査では、玉城県政支持率は59.7%、不支持率は29.6%であった。私は希望を込めて、次のように考える。
今度のねじれ現象によって、野党勢力は勢いづいている。本土の右派論客も鬼の首を取ったようにはしゃいでいる。だが、県議選と違って知事選では有権者は地元だけの利害関係からある程度解放され、沖縄全体の置かれている政治状況に目を向ける余裕が持てる。
上記の支持率のデータは2年前のものであるが、そこに示されている数値は県政与党勢力が「ぶちのめされる」ほど悲惨なまでに落ち込んでしまうと私は考えない。もちろん「ぶちのめされないために」、県政ではもちろん、国政レベルでも経済・外交・福祉政策など、身を削る努力をしなければならない。玉城デニー知事を孤立させないための与党間の支援体制は必須だ。
沖縄の県民は、戦争体験の有無にかかわらず、防衛力を期待する心と、基地の島であるがゆえに再び戦場と化すのではないかという不安を持っている。米軍機の墜落事故、相次ぐ米兵の性暴力事件、日米地位協定の越えられない壁の存在などは現実の不安であるが、それだけでなく、今後の不確定な要素が沖縄の状況を変える可能性は十分にある。たとえば、アメリカ大統領の選挙でトランプが当選したら日米安保や米中関係はどう変わるのか。沖縄の軍事基地、自衛隊配備はどうなっていくのか。不祥事を繰り返す自衛隊は本当に沖縄を守れるのか。「台湾有事」で中国はいつ軍事行動に出るのか……。
2年後に迫っている沖縄県知事選の結果はこれらのさまざまな条件の変化に左右される。かりに玉城知事が立てなくなるほどぶちのめされているとすれば、それだけ沖縄が「台湾有事」に巻き込まれる危険性が増大しているということではないのか。米軍基地や自衛隊配備の更なる強化を望む日本国家や県政野党の勢力を抑制する潜在力が、県民の中に潜在していることを私は心から願っている。
(2024/07/24)
16年ぶりの逆転
6月16日に投開票された第14回沖縄県議選挙は、定数48人のうち自民党など野党勢力が28人、玉城デニー知事の与党勢力が20人という結果におわった。これで自民党を中心とする野党勢力は、2008年の選挙以来16年ぶりに過半数を占めることとなった。6月28日に開会された県議会は早速、無記名の投票によって自民・無所属の中川京貴議員(61)を議長として選んだ。中川議員が26票、対立候補の山内末子議員(てぃーだ平和ネット)が20票だった。副議長は公明党の上原章議員(68)である。定例議会は7月30日まで続く。
野党側がYouTubeで盛んに流している県議会の中継を見ていると、与党攻撃の勢いにはすさまじいものがある。2年後の知事選までこの状況は続く。
県政与党の敗因
岸田内閣が「政治と裏金」で揺れ、本土からの応援もままならない状況で、デニー知事県政与党が大敗したのはなぜだろうか。
最も大きな要因は翁長雄志県政の力強い支援勢力であった「オール沖縄」が、次第に弱体化してきたことにあるだろう。「オール沖縄」を束ねていた翁長氏は自民党沖縄県連の幹事長や那覇市長を務めたことのある「保守中道」の政治家であった。その「オール沖縄」には、辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議・社会民主党・日本共産党・自由党・沖縄社会大衆党・那覇市議会新風会・沖縄県議会おきなわ(旧称「県民ネット」などの政党・会派が参加しているが、翁長氏の死後、「革新色」が強まり、保革のバランスを崩した。
今回の県議選でも、候補者を一本化できずに落選した選挙区がいくつかあった。翁長氏と親しい関係にあった「金秀グループ」(建設・鋼材・鉄工・不動産・商事・バイオなど手広く経営している)の呉屋守将会長は脱基地による沖縄の経済発展を目指す経済人であるが、現在の「オール沖縄」には見切りをつけた格好になっている。
沖縄自民党県連の島袋大幹事長は選挙結果について「中学生の給食費を、無償化する施策を突然打ち出したことや、水道代の値上げなどに対する民意が出たのではないか」と記者団の質問に答えている(06/17沖縄タイムス3面)。その分析が正しいとすれば、有権者は玉城県政に生活向上の期待が持てなくなっているということであろう。
だが、与党側の敗因はそれだけではあるまい。玉城知事が辺野古新基地に反対してきたが、国は裁判に訴えても拒否を続け、杭打ち作業は止めない。私は、沖縄県民の間に玉城県政へのあきらめや、「辺野古新基地・自衛隊配備反対」という主張だけで「台湾有事」に対応できるのだろうかという疑念が生じ始めているのではないかと疑う。今回の選挙の投票率が45.26%と過去最低であったのが、そのことを物語っているように思われる。
その状況下にあって、野党側特に自民党は、選挙区内外、県内外の70社に及ぶ企業に選挙応援を頼み込んだ。その結果、選挙事務所のスタッフや立候補者本人が知らない運動員が、入れ代わり立ち代わり出入りすることとなった。その効果はてきめんで、それまで保守系不毛と言われた地区で、当選圏に遠く及ばないとされていた自民党新人を当選させた。
県政与党側はその勢いに太刀打ちできなかったのである。中でも共産党は7議席から3議席に議席を減らす負けっぷりだった。
不安は解決されるか
選挙結果を報じる沖縄タイムス(6月17日)の12面には「沖縄戦 弟妹と生き別れ」の見出しで、喜屋武(きゃん)幸清氏(85)が那覇市牧志の公民館で行った講話の記事が載っている。喜屋武氏は沖縄戦が始まると祖父母、母、きょうだい4人で避難を始め、南風原(はえばる)の陸軍壕など南部一帯を転々としながら身を隠した。途中、祖父母は砲弾に倒れた。途中で合流した祖母は砲弾の破片が当たって腕がちぎれそうになり、かみそりで切ろうとしても切れない。最後は『水が欲しい』と言いながら息絶えた。摩文仁で壕に入ろうとすると日本兵に「泣く子どもははいれない」と銃を突き付けられ、喜屋武さんの母は3歳の弟と0歳の妹を壕の外に連れ出した。母一人で壕に戻ったが、しばらくすると弟が「お母さん」と泣き叫びながら追いかけてきたため再び母は壕の外へ出て行った。
記事は次のように続く。
「弟たちが戻ってこれないよう壕の入り口をふさいだ。母はどこか離れた岩陰にわが子を置いてきたのかもしれない」と想像する喜屋武さんは戦後長い間このことを誰にも話すことができなかったという。
終戦から9年後、38歳の若さで亡くなった母に対し、「毎晩のように泣き、死ぬ時まで子に謝っていたと思う。あの時壕の外で弟妹をどうしたのか。生前、母に怖くて聞くことができなかった」と語った。
一方で、今は当時の出来事を語ることは自身に課された使命だと捉えている。「天国の母が『あなたが話さなければ沖縄戦の地獄が伝わらないでしょう』と背中を押してくれているようだ。120歳になるまで語り継ぎたい」と、戦争の記憶の風化にあらがう考えを強調した。
私は喜屋武氏と同じ年である。私たち一家は北部のガマに隠れているところを米兵に助けられたが、祖父は米兵に背後から撃たれて即死、祖母は捕虜収容所でマラリアにかかり、小さくしぼんだまま死んでいった。
喜屋武氏同様、私は国家によって命と財産を守られたという記憶がない。むしろその逆だ。国家は生命と財産を奪っただけでなく、人間から人間の心を奪った。私たちはいま(遠い過去の話ではない!)ほとんど毎日のように戦争で住民が虐殺されていく現場をテレビを通して目撃している。子どもの命を奪い、親の命を奪い、息子や親を殺人者に仕立て上げ、住み家を破壊し、国土を廃墟にする。
「だから、そういうことにならないためにこそ、辺野古も自衛隊も必要なのだ」と答える人がいるだろう。だが、私たちは「目には目を、軍備には軍備を」という考えや政策が、戦争の抑止力になり得ていない現実をどう受け止めればいいのか。
野党側は当然、今回の選挙結果を2年後の知事選に繋げたいと必死だ。6月18日、自民党県連重鎮は記者会見の中で次のように言い切った。
「2年後、知事は立ってられないほど弱っているはずだ」
2022年7月に琉球新報、沖縄テレビ、JX通信社合同で実施した世論調査では、玉城県政支持率は59.7%、不支持率は29.6%であった。私は希望を込めて、次のように考える。
今度のねじれ現象によって、野党勢力は勢いづいている。本土の右派論客も鬼の首を取ったようにはしゃいでいる。だが、県議選と違って知事選では有権者は地元だけの利害関係からある程度解放され、沖縄全体の置かれている政治状況に目を向ける余裕が持てる。
上記の支持率のデータは2年前のものであるが、そこに示されている数値は県政与党勢力が「ぶちのめされる」ほど悲惨なまでに落ち込んでしまうと私は考えない。もちろん「ぶちのめされないために」、県政ではもちろん、国政レベルでも経済・外交・福祉政策など、身を削る努力をしなければならない。玉城デニー知事を孤立させないための与党間の支援体制は必須だ。
沖縄の県民は、戦争体験の有無にかかわらず、防衛力を期待する心と、基地の島であるがゆえに再び戦場と化すのではないかという不安を持っている。米軍機の墜落事故、相次ぐ米兵の性暴力事件、日米地位協定の越えられない壁の存在などは現実の不安であるが、それだけでなく、今後の不確定な要素が沖縄の状況を変える可能性は十分にある。たとえば、アメリカ大統領の選挙でトランプが当選したら日米安保や米中関係はどう変わるのか。沖縄の軍事基地、自衛隊配備はどうなっていくのか。不祥事を繰り返す自衛隊は本当に沖縄を守れるのか。「台湾有事」で中国はいつ軍事行動に出るのか……。
2年後に迫っている沖縄県知事選の結果はこれらのさまざまな条件の変化に左右される。かりに玉城知事が立てなくなるほどぶちのめされているとすれば、それだけ沖縄が「台湾有事」に巻き込まれる危険性が増大しているということではないのか。米軍基地や自衛隊配備の更なる強化を望む日本国家や県政野党の勢力を抑制する潜在力が、県民の中に潜在していることを私は心から願っている。
(2024/07/24)
初出:「リベラル21」2024.7,25より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye5301:240725〕
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