共産党指導者は中国をどんな目で見ていたか ―――八ヶ岳山麓から(477)―――
- 2024年 7月 27日
- 評論・紹介・意見
- 「リベラル21」中国共産党日本共産党松竹伸幸阿部治平
松竹伸幸という人がいる。『シン・日本共産党宣言――ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由』(文春新書 2023)という本を出して、共産党から除名された人だ。わたしは松竹氏の安保防衛論に注目してきたので、氏のブログ「超左翼おじさんの挑戦――松竹伸幸 オフィシャル・ブログ」を時々読んでいる。
ところが、この7月22・23日の記事に、以下のよう内容があった。
いまから26年も前の話だが、1998年6月中国共産党からの働きかけで、日本共産党は文化大革命以来対立していた両党の関係を友好的なものに変えた。共産党は、それまで毛沢東主導の中共をことあるごとに社会主義の原則から逸脱していると批判してきた。改革開放政策によって市場経済を導入した中国は、当然社会主義ではないはずだった。
それなのに、通常の外交上の関係を築くというだけでなく、日本共産党は中共との論交流も開始したのである。これは大きな転換だった。だから、なぜそうするのかについて、当時の最高理論権威である委員長不破哲三氏は党本部勤務員に説明する必要に迫られた。松竹氏は当時共産党中央の政策委員会に属していたからその学習会に出席した。そこで、不破委員長は次のように語ったという。以下( )内は阿部。
「1つはチベット問題。(日本共産党は)チベットの独立を支持しないとして、(不破氏が)その根拠として挙げたのが、チベットはこれまでの歴史のなかで、『一度たりとも国際社会から主権国家として承認されたことがない』ということであった」
わたしは、これを見たとき息をのんだ。本当に不破氏は、このようなことを言ったのだろうか。ここは松竹氏の言葉を信じるしかないが、中国の少数民族問題に強い関心を抱いてきたものとして、これには強い衝撃を受けた。
1950年代末のチベット叛乱とダライ・ラマのインド亡命以来、中共はチベット人の民族運動に対して、反革命とか祖国分裂主義として苛烈な弾圧を加えてきた。それを日本の左翼政党は、社会党も共産党も見て見ぬふりしてきたのである。共産党がチベット問題を(民族問題ではなく)人権問題として取り上げるようになったのは、21世紀に入ってからのことだ。
レーニンの民族自決論からすれば共産主義者を自ら任じているからには、一も二もなくチベットはもちろん、ウイグルなどチュルク系やモンゴルの民族運動も支持すべものであった。なぜそうしないのか、わたしは共産党中央に手紙で問い合わせたこともある。
松竹氏のブログを見て、ようやく長年の謎が解けた。
おそらく不破氏はこの判断基準を近現代の話として語ったものであろう。そうだとすれば、第2次大戦後、辛苦の戦いの中からつぎつぎに独立をかちとったアジア・アフリカ・ラテンアメリカ・オセアニアの旧植民地諸国は、「国際的に主権国家として承認されたことはない」から、日本共産党はこの独立を支持しなかったのであろう。
これでは、共産党の最高指導者の民族問題についての考え方は、西欧列強・帝国主義とさほど違わない。これについて松竹氏は、私とほぼ同じ考えをブログに次のように記している。
「説明は不要だろう。欧米列強は、自分たちで国際法なるものをつくり、自分たちだけを主権国家として承認し合った。その基準に達しないアジア、アフリカの広大な地域では、それぞれの固有の国家が存在していたのに、国家として認めなかった。そして長年の間、植民地として支配してきたのである。『一度たりとも国際社会から主権国家として承認されたことがない』から植民地として支配したのだ」
「しかし、国際社会で主権国家として認められたかどうかを基準にするというのは、はっきり言えば植民地支配の論理である。それを基準にしてしまったら、国家が新しく独立することは不可能になる」
不破氏は、前述の学習会でもう1つ驚くべき話をした。
松竹氏によると、それは「中国は自国の経済発展のための平和な環境を望んでおり、戦争をする経済的な基盤はない」というものだったという。
松竹氏の言葉は短いので詳細はわからないが、おそらく「文化大革命によって破滅に瀕した経済立て直しのため戦争などやってはいられない」という中国側の発言を、不破氏は頭から信じた。そして中国が平和国家だという幻想を抱いたのであろう。これと似たあやまちはアメリカもやっている。アメリカは30年余り中国が民主主義国家に移行すると期待して、中国に甘い「関与政策engagement」を取り続けた。中国がアメリカに対抗できる強大国になるとは夢にも思わなかったのだ。
1949年の革命以来、今日までの歴史をみれば、事実は明らかである。朝鮮戦争から1979年の中越戦争まで、毛沢東時代でも鄧小平時代になってからも、中国には戦争をやる基盤はいつもあったのである。これについて松竹氏はこう記している。
「改革開放の初期、鄧小平はよく知られているように、韜光養晦路線をとった。『才能を隠して、内に力を蓄える』という外交・安保の方針であり、(中国の)本音をなるべく知らせないようにしたわけである。しかし、中国の軍拡路線は次第に鮮明となり、尖閣や南シナ海における野望もあらわになっていく」
松竹氏は「それを(日本)共産党の党首が鵜呑みにしてどうするんだ」という。それというのは、「韜光養晦」というまやかしのことであろう。
日本共産党は、2004年に党の綱領を改定した。不破氏はみずから中国・ベトナム・キューバについて「社会主義をめざす新しい探求が開始」され、「人口が13億を超える大きな地域での発展として、21世紀の世界史の重要な流れのひとつとしている」という文言を書きこんだ。そして、2009年の「日中理論会議」では胡錦涛政権を大いに持上げた(『激動の世界はどこに向かうかーー日 中理論会議の報告』)。
ところが、2020年の28回党大会では、志位和夫委員長とともに、中国は2008年以来、新しい大国主義、覇権主義の誤りに陥ったと、中国を厳しく非難したのである。
そして党大会は、最高権威不破哲三氏の言動の矛盾に何の疑問も抱かず、「中国は社会主義をめざす」という文言を綱領から削除したのである。
(2024・07・25)
初出:「リベラル21」2024.07.27より許可を得て転載
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