21世紀ノーベル文学賞作品を読む(2―下) 『ミゲル・ストリート』(岩波文庫、小沢自然・小野正嗣:訳)を著したV.S.ナイポール(英国、2001年度受賞)の人となり――抑圧的な歴史を直視させた功績
- 2024年 9月 24日
- カルチャー
- 「リベラル21」V.Sナイポール書評横田 喬
訳者の小沢自然氏(台湾・淡江大学英文学科准教授)は「訳者あとがき」にこう記す。
――インド移民三世V.S,ナイポールは1932年、イギリス領トリニダード・トバゴに生まれた。『ミゲル・ストリート』は、彼の事実上のデビュー作に当たる作品。物語の舞台となっているのは、1940年代、未だイギリスの植民地だった、カリブ海はトリニダード・トバゴ(注:人口140万人弱、アフリカ系とインド系が半々)の街ポート・オブ・スペインだ。
アメリカ軍の基地が造られ、そして戦後に撤収されることからも判るように、第二次世界大戦はその影を落としていた。が、世界のそうした激動はなんだか他人事のように感じられている、小さな島の小さな一角ミゲル・ストリート。
毎日同じことを飽きもせずに繰り返している人がいて、ガリ勉少年の試験答案が「本国」イギリスに送られることには、感嘆の声が一斉に上がる。どこかのんびりとしている場所だ。と同時に、口は悪くても相手の心の痛みが判っていたり、女性たちが交代で赤ん坊の面倒をみていたりと、かなりしっかりとした仲間意識が息づいている。
そんなストリートで、彼らなりの人生を懸命に生きている個性的な住人たちと、彼らに感受性豊かに反応しながら成長していく主人公。それを、連作短編のかたちで実に魅力的に描き出すことで、若きナイポールは作家としての本格的な成長を成し遂げたのだった。
歴史をごく大雑把に振り返ってみると、イギリスを始めとするヨーロッパの国々が、近代の初期からカリブ海地域を奪い合うようにして植民地化した理由の一つは、そこがサトウキビの栽培に適していたことだった――ヨーロッパで人々が楽しみ始めた砂糖を作るために、サトウキビの需要は時とともに益々高まっていく。
当初、サトウキビのプランテーション栽培に必要な労働力として「輸入」されたのは、アフリカ人の奴隷だった。ところが、一八世紀後半から奴隷制度を批判する声が徐々に高まり、1838年にイギリスは植民地における奴隷を全面的に解放することになる。
その結果、労働力不足に悩まされることになったイギリス領カリブ海地域は、新たな労働者を他の植民地――特にインド――に探し求めた。こうした歴史的経緯があって、トリニダードのサトウキビ農園で年季契約労働者として働くために、ナイポールの祖父は一九世紀末にはるばるインドから移住してきたのだった。西インドの(東)インド人というナイポールの出自は、イギリスの植民地の歴史と切っても切り離せない関係にある。
ジャーナリストとして生計を立ててはいたものの、本当は作家になりたかった父親の影響を受けて、ナイポールも早くから文学を志すようになる。学業優秀だった彼は政府の奨学金を得て、1950年にイギリスのオックスフォード大学に入学する。折しもイギリスは、戦後復興に必要な労働力を植民地から大量に受け入れ始めていた。
大学を卒業したナイポールはその後もイギリスに留まり、やがて1957年に、『神秘な指圧師』で作家としてデビュー。その後、本書『ミゲル・ストリート』(1959年)を含む、故郷トリニダードをコミカルに描いた幾つかの作品で、着実にその評判を高めていく。
1961年には、初期作品の代表作で彼の最高傑作とも言われる『ビスワス氏の家』を発表し、作家としての地位を不動のものにした。だが、その次の作品『中間航路』(1962年)で、ナイポールの文学は大きな転換点を迎えることになる。
この作品はナイポールが初めて手掛けた旅行記なのだが、その中で彼は、独立を控えたカリブ海地域の政治的・文化的「未熟さ」をつぶさに観察し、容赦なく批判したのだった。「歴史とは偉業と創造を中心として形成されるものだが、西インドでは何も創造されてこなかった」と彼は言い放つ。
そして、これ以降のナイポールは、インドやアフリカといったいわゆる第三世界が、独立以後どのような混乱を経験しているのか、そうした混乱に人々がいかに翻弄されているのかを、小説でも、そして紀行文でも、描き続けていくことになる。
切れ味の鋭い文体で描かれたこれらの中期以降の作品は、混乱する非西洋世界に対する、権威ある文化的コメンテーターとしてのナイポールの地位を確立すると同時に、彼の文学的名声をさらに強固なものにしていく。1971年には『自由の国で』でブッカー賞を受賞。1990年にはイギリス政府からナイトの称号を授与されるなど、時と共にその評判はいよいよ高まり、遂に2001年にはノーベル文学賞を得たのだった。
ポストコロニアル文学の初期の目標の一つは、植民地支配を受けていた人々が、植民地化の歴史の中で抑圧されていた自らの声や物語、そして文化的な自信とプライドを取り戻すことにあった。だとすれば、『ミゲル・ストリート』はある程度、この目標を達成していたと言えるだろう。
初出:「リベラル21」2024.09.24より許可を得て転載
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