市民と職員の努力と熱意と参加、その 継承が権利を活かす ――川崎「子ども夢パーク」の西野博之さんに学び考える
- 2024年 10月 17日
- 評論・紹介・意見
- 子どもの権利条例長谷川孝
◆子どもの権利の啓発に「うんこドリル」も活用!
川崎市のこども未来局青少年支援室は、子どもに人気のある「うんこ先生]とコラボした『川崎市×うんこドリル 子どもの権利』を作成しました。A5判、20㌻のカラー刷りで、2万部を発行。無料で配布し、市内各地でワークショップなどを開き活用し、子どもの権利についての啓発・普及に役立てたいとのことです。
「ありのままの○○でいる権利」など、うんこ先生の出す問題に答える内容で、全部で7問。答えてしまうと、「安心して生きる権利」、「ありのままの自分でいる権利」、「自分を守り、守られる権利」」、「自分を豊かにし、力づけられる権利」、「自分で決める権利」、「参加する権利」、「個別の必要に応じて支援を受ける権利」で、子どもの権利に関する条例の基本的な権利なのです。
同支援室では、このほかにも、「条例めいろ」や、どんなときにどんな権利があるかを考える「条例あてゲーム」なども開発。子どもだけでなく大人にも、権利条例を知り理解を深めてもらいたい、としています。
川崎市が、全国に先駆けて「子どもの権利に関する条例」を制定したのは、2000年12月。それから24年目となった今も、子どもの権利の啓発・普及のための努力を続けているのです。権利条例制定から今年で10年目の相模原市が、せっかくの条例の周知・普及と活用に努力していないのは、なんとしても残念です。
今年は、国連で子どもの権利条約が採択されて35年、日本が批准してから30年の年です。相模原市をはじめ多くの自治体が子どもの権利条例で、国連で条約が採択された11月20日を「子どもの権利の日」としています。相模原市でも、10年目の記念日に向け権利条例を積極的に活かすための取り組みを始めてほしいものです。相模原市は、「人権尊重条例」を市民の声を「無視」して制定しましたが、子どもの権利条例はいわば「子どもの人権尊重総合条例」です。子どもの権利条例をきちんと実行せずして、なにが「人権尊重」か、と言わずにはいられません。
◆川崎「子ども夢パーク」は《子どもの権利の実践場》
昨年、オープン20周年になった川崎市の「子ども夢パーク」。公設民営のプレイパーク(冒険あそび場)ですが、ただの子ども公園ではありません。社会教育施設としての子どもの居場所であり、活動拠点です。さらに、「学校の中に居場所を見いだせない」人たちのためのフリースペース「えん」もあります。つまり、登校している子たちと登校できない子たちが、一緒に過ごす機会もある場でもあります。
子ども夢パークは、「川崎市子どもの権利に関する条例」の制定当初から、その実施ともかかわりながら構想されたと言えるようです。条例制定に向けて、子ども会議などに取り組んだのが社会教育(生涯教育部)の担当者たちだったとのことです。子ども夢パークの用地は当時、中央図書館建設予定がありながら見通しが立たず放置状態だった工場跡地で、ここに冒険あそび場をつくろうと動いていたと言います。つまり、条例と一体化した形でスタートしているようなのです。
子ども夢パークの中に入ると、昔のままの「原っぱ」が広がっていて、ともかくほっとします。風景だけでなく、時間も空気も、利用者たちの雰囲気も、です。
もちろん(と言いたいほどに)、ここには整備された遊具などは見当たりません。遊具を作るのも改造するのも直すのも、いわば遊びのうちだからです。それでここでは、古い材木や工具なども目につきます。「児童公園」ではなくプレイパークなのです。
「えん」の部屋や交流スペース、音楽スタジオ、全
(写真:子ども夢パーク構内の子供が集まる前の原っぱ) 天候広場(スポーツ場)、ミーティングルームなどを備えた建物があります。条例に定めのある子ども会議の事務室も、ここにあります。ある日の昼前の「えん」の部屋をのぞくと、数十人の子たちでいっぱい。調理場があり、何人もの子たちが料理に励んでいました。今日はカレー50人分などの声も。じつは、子ども食堂の役割も果たしているのです。
当然に「禁止」の張り紙はありませんが、構内の木には「かくれがをつくろう」などの張り紙があったりもします、禁止の張り紙がないのは、「みんなが自由に遊べるように」考えて判断するのも、子どもたち自身だからでしょう。
子ども夢パークのパンフレットには、「ありのままの自分でいられる場」「つくり続けていく場」「自分の責任で自由に遊ぶ場」「子どもたちが動かす場」「多様に育ち学ぶ子どもの場」という理念が並び、《自分らしく/遊ぶ/出会うーー大事にしたい子どもたちの育ちの場》とも掲げられています。子どもの権
(写真:20周年を記念して、理念をかかげた看板が園内に) 利条例の内容そのものです。遊ぶ・学ぶ・ケアの環境づくりが大人の役割、という説明もありましたが、このケアとは「おたがいさま」だとのことでした。
子ども夢パークの来園者は、年間に約8万人とのこと。スタートから22年目で150万人を突破したそうです。「えん」の登録者は、2022年が114人。見学や視察で訪れる人も多く、文部科学相なども視察に来ていて、いわば全国区の子ども夢パークで、川﨑の子どもの権に関する利条例の象徴(シンボル)とも言えるよ》うに思います。
◆3つのフリースペース その運営と理念の維持⇒継承への努力
このフリースペース子ども夢パークと「えん」を運営しているのが、認定NPO法人フリースペースたまりば。そのリーダーが西野博之理事長です。いわば、フリスペース・居場所づくりの開拓者と言っていいでしょう。
たまりば開設から30年余の多彩な経験から、相模原市で子どもの権利条例を活かすにはどうしたらよいか、何が必要かなどについて「教えて」もらおうとお話を聞きに行ったのですが、もっぱら話してくれたのは、たまりば、子ども夢パーク、「えん」という3つのフリースペースを、その理念を守り発展するように運営してきた努力や姿勢、思いについてでした。あらためて、自分のことは自分で考え決める……という、子どもの権利条例の大事な理念を思い出しました。
たまりばのスタートは1991年。「フリーライター西野の仕事場」としてアパートを借りてのスタート。近くを流れる多摩川(たまリバー)から「たまりば」と名付け活動を始めたものの、居場所活動を受け入れる場所は少なく、場所探しに苦心しているときに子どもの権利条例づくりの動きと、プレイパークづくりの取り組みとに出会ったといいます。条例づくりには、西野さんも参加、されているのです。
夢パークでもかつては、近隣住民の反対、校長経験者らの自由への反発と管理の主張、ヤンチャの子たちのいたずらなど、多くの難問もありました。住民には、騒音や焚火などへの不安もあったのです。しかし、対話と実践を通して理解を得られるようになり、最寄り駅のホームから見える夢パークの看板は、地元町会の住民が設置してくれました。ヤンチャな子たちは、やがて協力者に育ちました。NPOの運営にも市民参加を続けたり、後継者の養成に力を入れたり、努力の姿勢は変わりません。
西野さんは言います。「子どもたちには、自分の意志でやりたいことがいっぱいあります。それを奪ったのが社会、そして学校です」「不登校の子って、学校嫌いじゃないのです。学校に行きたいけど行けなくて、困っている子です」「自分は自分でいいんだということに気づいた子どもたちの姿に励まされてきました。遊びを中心に、子どもたちの認知能力を高めたぃ」。
また、西野さんの話から、相模原市の子どもの権利条例をめぐる問題点や課題に気づかされました。まず条例そのものに関して、川崎市や小金井市、泉南市のように条例制定のプロセスに子どもが参加していないこと、それゆえに「おとなが子どもに与える条例」となっていないか。条例の施行に関しても、市民参加の手掛かりがないこと(例えば、子どもを含めた市民参加の権利委員会の設置など)。そして、条例制定に努力した人たちの取り組みを継承できなかったことや、条例を積極的に活かそうとする市民の活動が弱いこと、などです。
子どもの権利条例を制定できずに来た横浜市では5月25日に、市議会に「こども・子育て基本条例」案が提出されました、条例名にも条文にも「権利」の語を一切使わず排除した、議員提案の条例案で、79人の議員がずらりと名を連ねています(議員定数は86人)。成立しそうですが、旧統一教会の家庭教育の主張との共通性も感じられ、影響が心配です。それだけに、権利条例を知り活かす市民の活動が求められます。
初出:「季刊 相模原市民がつくる総合雑誌 アゴラ」109号(2024夏号)より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion13912:241017〕
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