韓国通信NO757 「ぼりばあ丸」事故を覚えていますか
- 2024年 11月 18日
- 評論・紹介・意見
- 「ぼりばあ丸」事故「リベラル21」小原 紘韓国通信
1969 年に沈没したジャパンラインの大型貨物船(54,271 重量トン)。乗組員 33人のうち31人が死亡した。大きな衝撃を与えた事件だが、記憶する人は少ない。1984年に発行されたルポ『巨船沈没』(晩聲社刊)を読んだ。技術の粋を集めた大型船が何故、一瞬のうちに沈没したのか。伊東信氏が事件の顛末を描いた。
それまで海難事故といえば、大半は自然災害扱いにされてきた。納得できない遺族 6人がジャパンラインと造船会社石川島播磨を相手どり事故の原因と責任を求めた裁判の物語である。敗戦後、日本は海運業再建のために官民が一体となって大量の造船と巨大化をはかった。裁判では国策による粗雑な計画と設計ミス、手抜き作業が次々と明らかになった。遺族たちの悲しみと怒りが巨大企業と裁判所を追い詰め、13年の年月をかけ、責任を認めさせ決着した。
高等商船学校卒業、機関士経験者という特異な経歴を持つ浦田乾道弁護士の奮闘が苦難の裁判闘争を支えた。彼は被告側の「感性なき知識」「道徳なき商い」「人間性なき科学」を俎上にあげて厳しく追及した。当初、高を括っていた被告側は敗北を認めざるを得なくなった。本書を読み、初めて事故の全貌を知ることができた。断捨離をしなくてよかった!
<安全だから、安全か?!>
「飛行機だって落ちるのだから、原発事故も起きる」。これは私が地元我孫子市議会に提出した東海原発再稼働反対の請願に対する議員の反対意見である。ぼりばあ丸沈没事故は被告が船の欠陥を認めて多額の賠償金を支払い解決したが、原発事故を交通事故並みに扱われてはたまらない。政府も電力会社も原発は安全と胸を張るが、嘘も繰り返されるといつの間にか安全になってしまう異常さである。
今まで原子力規制委員会が原発の安全を保証したことは一度もない。ただ基準に合格したと述べたに過ぎない。曖昧さは許されない。安全対策は原発をなくす以外にはない。 戦争被爆国の日本が核抑止を主張し、事故を起こしてなお原発に固執する姿は今や世界の笑いものだ。電気は足りている。サヨナラ原発。
<浦田弁護士のこと>
ぼりばあ丸事件で大活躍した弁護士の浦田さんは青春をともにした仲間だった。1926 年京城(ソウ ル)に生まれ。戦後、海から陸にあがって弁護士に。利権弁護士とはほど遠く、正義派のビンボー弁護士だった。営業に訪れた銀行員の私と意気投合して始めた韓国語の勉強会は25年続いた。教材が乏しい時期に韓国語を教えてくれた5人の韓国人留学生から浦田さんは父親のように慕われた。
彼は、私を初めて韓国に連れて行ってくれた人だ。太平洋単独航海をした小林則子さんとヨットで朝鮮通信使の道、玄界灘を帆走した。韓国留学の夢は果たせなかったが、いつも青年のように夢を追い続けた。韓国人の刑事事件の国選弁護人を買って出た。浦田さんは、多くの人たちの記憶の中に今も生き続ける。
初出:「リベラル21」2024.11.18 より許可を得て転載
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