死刑廃止論へのプレリュード (2)
- 2013年 5月 31日
- 交流の広場
- 山端伸英
10.ソクラテスが死刑判決を受けたのは都市国家(ポリス)においてであった。彼は死刑を享受した。もちろん、自分の身の丈を知っていて「無知の涙」なんて書かなかった。ものをチャカチャカ書く奴にろくな奴はいない。正々堂々と死刑を承った。このおかげで後世から顰蹙を受けたのは当時のギリシャのポリスであって、ソクラテスは何の著作も残さなかったにもかかわらず、知的にはキリスト以上の扱いを受けている。小田実はソクラテスの称揚者であったが、天の星ほど、あまりにもたくさん書きすぎた。あんなに書かなかったら佐藤栄作でさえもらえたノーベル平和賞は確実だったかもしれない。彼には生きていて欲しかった。ソクラテスはそんな人間だった。なのに、アテナイ市民は彼を見殺しにし、彼はそれを恥じることもなく死刑を受けた。あなたに死なれて僕たちはどうなるのだ。しかもどうだ。あのプラトンによれば、あなたはなんと毒人参の毒をあおって自殺したそうじゃないか。。。。別にうそつきのプラトンの言うことを信じる筋合いはないけれど、ソクラテスよ、もしかしたら、あなたは自殺したのか? 死刑判決の後にあなたに毒を渡したのは誰なのか? アテネ社会のその時点での「死刑」の内容がはっきりしないのだが、もしかしたら「ソクラテスに死罪を申し告げる」という判決は意外にかなりラフな死刑執行制度を伴っていたのかもしれない。そして貧困と対話の戦いのなかで老年を迎えていたソクラテスにとっては、また、神々への崇敬を捨てたことのないアテナイ人としてのソクラテスには、アテナイ国制の内部で「死罪」を受けて死ぬことには不条理を越えた自分の伝統社会における運命」を感じることもできたのかもしれない。どちらにせよ、「死罪」の判決を受け、その後に毒を仰いで「自殺、あるいは死刑自己執行」したソクラテスの死には、生きることを閉じるという奇妙な「ソクラテスの生」の論理が見えてくる。新約聖書の終結部分にはソクラテスのこの「伝統社会における生の論理」を受け継ぎ、最終的には否定するところがある。そして、もちろん彼らを死へと追いやる「裁判」の状況はそれ以前それ以後の世界の裁判の歴史を照射するものであろう。
11.現代の日本でしばしば生じる死刑囚の自殺は、あまりに表面的に解釈されすぎてはいないだろうか。死刑囚の前にはだかる日本という国家空間は、彼を殺すに値するほどの普遍性を誇示できるのであろうか。そして刑務所の外にいる日本国民は、その民族性=文化創造性をいまだに国家の中に閉じ込めているのではなかろうか。
12.ソクラテスの死は「主権者の死」ではない。「アテネ社会」の階級の中での死に戻っていった。そこではアテナイ人としての矜持を彼が示したことと見ることもできる。僕は国外にいる日本人として国籍を取り上げられる瀬戸際にいる。おまえなんか主権者じゃないよ、と大使館の連中の顔が雄弁を極めていた。実は国籍は主要な問題なのであろうかと自問している。日本の外務省は当方が危機にあって助けを求めている際には何もしてくれなかったが「他国における国外追放を避けるためにとった市民の行動」を自分たちは助けも相談にも乗らずにいたのに、今度は手のひらを返すように「おまえは非国民だ、国籍を離脱せよ」と迫ってきた。その職務感覚に乏しい公僕が勝手に作り出した「内敵」は「日本社会」の外で彼らの都合しだいで「始末」できるという事実が、ここにある。「死刑」は邪魔物の放逐も兼ねている。つまり、その集団社会あるいは責任空間からの異質分子の「放逐」が「死刑」の機能でもある。
11.スウィフトによれば、あるいはガリバー氏自身によれば、ガリバー氏はリリバット国で宮廷内で禁じられている放尿によって消火を行ったり、その他の非常識な振舞いで政敵から「死刑」を求刑されていたが、ガリバー氏をかばう皇帝側は彼を「死刑」から免れるように計らって御親切にも彼の視力を奪うだけで許すという判決にこぎつけた。ガリバー氏自身にはこれが同国を離れる動機となったようだ。
小林多喜二の「一九二八年三月一五日」には、とてもわが皇帝の善意とは思えない拷問の描写がある。彼自身がそれこそ悪意に満ちた帝国日本に彼の描写のごとく拷問にあっている風景が、それを読んだころ幾度か夢の中に現れた。
僕の叔父はお人よしにも人から頼まれてビラを配り逮捕され、拷問を受けた。片目を義眼にし、歩行の自由を奪われた。不具なからだをそれ以後引きずって生きた。しかし、叔父は恐ろしく潔白に戦ったのだ、と思いたい。その他の不幸に対しても彼は僕の知る限り冷静に対処して行った。彼は九六歳まで生きた。穏やかな性格をもって、きちんとした佇まいを持続していた。百年に四年足りず亡くなったのが少し残念であるに過ぎない。
孤児の境遇から四六歳で出世を極めたスウィフトには、ガリバー氏の生へのこだわりを描くことは楽しいことだったに違いない。どのような不幸も、災難も、ひん曲がった性格も、虐げられた生も、長く生きることと生きることへの肯定を携えていけば克服されるのではないか。
この一節を書くのに僕は多くの時間を費やし多くの文章を消してしまった。「死刑」は彼のからだの機能の一部をつぶすことではない。「死刑」は苦痛を与え続けることよりはましかもしれない。しかし、「死刑」は歴史の中に彼が生きることを拒否している。そして、何よりも「死刑」は「拷問」や「強制労働」を含め「罪の有無に関わらず権力の越権行為」なのだ。
13.「死刑」は軽すぎないか、という立場があっても不思議ではない。殺せばそれまでではないか。痛みも辛さも、良心の呵責が万一あったとしても、殺せばおしまいではないか、という立場である。だから戒めを持って生かせしめようという「非人道的」な、人間の尊厳を無視した論理が「死刑廃止論」の味方をしてもおかしくはない。またガリバーをかばった皇帝たちのように目をつぶしたり、拷問をしたりということに及ぶかもしてない。
14.そのような尊厳の問題については「殺人」そのものから出発するべきだろう。「殺人」は殺す理由の共有されない「私刑」としての「死刑」であるかもしれない。単なる自暴自棄で殺す場合には「私刑」の意識すらない事故のような死になる。僕の耳には、いろいろなところからの怒号が聞こえる。彼らはこのように言っている。「ぶち殺すぞ、この野郎!」
15.「戦争」を始めても、今の日本人は自衛隊だけが死の危険に直面するとタカをくくっている風があるが、多くの市民が死んだ場合には「大量殺人」「虐殺」だと言うのだろう。戦争の相手を責めても、戦争を始めた連中を責めないのは片手落ちであり、同時にそれを許して無為であった自分たちの日常に対する無反省もそこで生じた「殺人」を条件付けている。そこで生じる「死」については、そこで失われる「生」同様の安売りが行われている可能性がある。そこでは、かなりの場面で「殺す」ことは「罪」と感知されなくなっている。そこで、「戦後法廷」の正義の論議が改めて生じてくる。勝てば官軍であるわけだ。「死刑」はすなわち、きわめて政治的な行事なのである。
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