11月11日、集団的自衛権行使容認と、辺野古・高江の基地建設に抗議して日比谷公園で焼身自殺した「新田進」さんを記憶する
- 2014年 11月 24日
- 時代をみる
- 「ピースフィロソフィー」抗議自殺新田進
11月11日、日比谷公園で男性が焼身自殺した。安倍内閣による集団的自衛権行使容認「7.1」閣議決定と、これらと結びついた沖縄県辺野古と高江の基地建設に抗議してという理由だった。
6月29日、新宿で、安倍政権による集団的自衛権行使容認に抗議して焼身自殺未遂した人のことはまだ記憶に新しい。このときは安倍政権の7月1日の閣議決定直前で、集団自衛権行使容認についての集中的に議論されていた時期だったせいか、海外メディアがすばやく反応、日本メディアも反応は鈍かったが、全く報道しなかったNHKをのぞいて各社報道はした。
参考:ジェフ・キングストンのジャパン・タイムズ記事和訳
「安倍首相による日本の戦後平和憲法の転覆に焼身自殺行為で抗議」
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2014/07/japanese-translation-of-jeff-kingstons.html
今回、マスコミでの扱いは6月に比べたらさらに小さく、私がネットで確認したかぎりでは朝日、読売、共同、時事、英字紙ジャパンタイムズ、NHK、スポーツ報知、ANNなどが報道していたが、大きな扱いとは言えなかった。6月はすばやく大規模に展開した海外メディアも控え目だった。6月のときと比べてもさらに、すぐに握りつぶされたような雰囲気があった。よくニュースを見ている日本の友人でも知らない人もいた。
だから私は一発信者として、この事件を記録・記憶していきたいと思っている。
メディア報道はどこも、「11日午後6時55分ごろ日比谷公園で、火が出ているとの通報があり警察と消防がかけつけ、火に包まれている男性を発見、男性は病院に搬送したが間もなく死亡した。警察庁丸の内署によると現場には、集団的自衛権行使容認や、沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に反対する内容が記された抗議文があった。自らの撮影をしている録画状態のビデオカメラもあった」という同じような内容だった。
ANNの報道によると、現場のベンチに抗議文がはりつけてあったようだ。
この内容が画面からはっきり見えないのでもどかしく思っていたところ、
ツイッターで@commandercody7さんが共有した東京新聞11月15日朝刊の記事にはこうあったという。
ここには当初の報道にはなかった情報があった。焼身自殺したのは「新田進」というペンネームで活動する男性だということ。また、東京新聞に13日に抗議文が届いていたということだ。きっと各社に送ったがほとんど無視されたのではないか。
その後、「週刊金曜日」11月21日号(6ページ)でもこの事件が報道されていることを知った。
この抗議文の画像イメージをここに共有する。緑の付箋紙がはられ名前の部分が見えなくなっているのは提供してくれた会社の判断である。衆院、参院議長と安倍首相に送った書簡のコピーをマスコミ各社に送ったわけだからこの書簡は公開書簡としか思えず、送った人は明らかに報道を希望している。だから名前だけ隠す意味が私にはわからないが、ここには東京新聞の報道にあった「新田進」と書かれていたことが予想される。これが本当に本名かどうかなど知る由もないが、ここでは「新田進」さんと呼ぶことにする。、
政府への抗議手段としての焼身自殺の是非については論議があるだろう。命を粗末にするな、と批判する人もいる。しかし、この人は自分の責任で自分の死をもって、安倍内閣による憲法破壊行為と、沖縄へのさらなる基地建設の暴力に抗議したのである。やりたいことを行ったのだ。私はこれを、善悪の価値判断したり蓋をしたりするのではなく、それ以上のものでもなくそれ以下のものでもなく、「そのもの」として記憶したいと思っている。
日本における政治的焼身自殺は、1967年、弁理士でエスペランティストの由比忠之進氏が官邸前で、佐藤政権のベトナム戦争支持に抗議して行ったのが私が知る限りは最後である。
私は昨年までこの事件を知らず、これを知らせてくれたのが、由比忠之進についての本を書いた沖縄のジャーナリスト、比嘉康文氏に『我が身は炎となりて-佐藤首相に焼身抗議した由比忠之進とその時代』(新星出版、2011年)をプレゼントされたときであった。比嘉氏はこの本で「自らの生命を表現手段として使うことに疑問を感じないわけではないが、わが身を挺して、この国の最高責任者の佐藤栄作首相に抗議する事件が起こった日である。しかも、私が生まれた沖縄のためでもあった」と綴り、73歳だった由比氏が「政治資金規正法、ベトナム戦争、沖縄問題に対する佐藤首相の政治姿勢に怒った、まさに”死の抗議”だった。焼身自殺は、ベトナムの僧侶などが行っていた抗議手段だったが、この日本で発生したことに多くの国民がショックを受けた」(プロローグより)と記している。
6月29日の新宿の焼身自殺未遂事件のとき、日本のメディアは、三島由紀夫の1970年の自殺というコンテクスト的に比較しようのない事件を持ち出すところはあったが、この由比氏の67年の事件に触れるところはなかったことを非常に不自然だと思っていた。
そして、今回も、「新田進」さんの焼身自殺を報じたメディアは、6月30日の新宿事件にやはり全くふれず、唯一触れていたのを見たのは海外のAP通信であった。あたかも一つ一つの事件に歴史的関連性や意義をつけてはいけないかの暗黙の了解があるようにも感じる。
だから私はこの一連の事件の歴史的意義を自分なりに定義してみたい。
1967年以来、47年間もなかった政府への抗議行動としての焼身自殺行為が、この第二次安倍政権下だけで2度も起きたということである。
これは、この政権がいかに、憲法と民意に背いて、九条の最後の砦であった集団的自衛権行使禁止のタガをはらい海外で戦争ができるようにする国になるために暴走してきたか、そして沖縄の人権を蹂躙し民意を踏みにじって新基地建設を強行しようとしてきているかを象徴している出来事である。
そしてもう一つ重要なことがわかった。この新田進氏はどうしてこの日を選んだのかがずっと気になっていた。6月の事件のときは「7.1閣議決定」の直前だからタイミング的には理解できたのだが、今回はわからなかった。沖縄知事選を意識しているのかという想像はしたが。
そうしたら、上に書いた由比忠之進氏が焼身自殺した日が、同じく11月11日だということがわかった。
新田氏は、由比氏の焼身自殺を意識して、敢えて同じ日を選んだのかもしれない。
この事件は、沖縄では報じられたであろうか。私の知る限りではない(間違っていたら指摘してください)。「命どぅ宝」(命こそ宝)という価値観を大事にしている沖縄の市民たちにとっては非難すべき行為なのかもしれない。しかしこれが東京ではなく沖縄で、たとえば沖縄防衛局前でこのような事件が起こっていたら、どこまでの騒ぎとなっていただろうか、と想像する。
いずれにせよ、隠さずに長く「記憶」していく歴史的必要性を感じたことから、用意できた資料は全部ここに並べ、記してみた。
初出:「ピースフィロソフィー」2014.11.23より許可を得て転載
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2014/11/blog-post.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔eye2822:141124〕
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