書評 近藤誠氏のがん治療関連著作
- 2014年 12月 24日
- カルチャー
- がん書評盛田常夫近藤誠
近藤 誠著『抗がん剤は効かない』(文芸春秋、2011年)、同『がん治療で殺されない七つの秘訣』(文春新書、2013年)、同『がんより怖いがん治療』(小学館、2014年)
1990年代初頭から現代のがん治療にたいする疑念表明と問題告発を続けてきた放射線医師、近藤誠氏の最近の著作である(初期の著作は、1994年に発刊された『がん治療「常識」のウソ』朝日新聞社、1996年に発刊された『患者よ、がんと闘うな』文藝春秋)。近藤氏の著作は相互に重複する部分が多いが、最新著『がんより怖いがん治療』は、定年まで勤め上げた慶應大学を退職した後に書かれたもので、かれこれ20余年間に、大学や学界から受けた圧力や嫌がらせを詳細に記述したところが、これまでの著作にない部分である。
以下、近藤氏の主張の主要部分を私なりに解釈・紹介しつつ、私見を記したい。
抗がん剤はなぜ効かない
心臓から送りだされる人間の血液は40秒前後で体を一巡する。だから、点滴された抗がん剤もまた、40秒前後で体をくまなく巡る。薬剤ががん組織に長時間、留まることはない。とくに血流が激しい肝臓や肺などの臓器に薬剤が留まることは難しい。がんの種類ごとに、抗がん剤は多数存在するが、どの抗がん剤をとっても、どれほどの分量が腫瘍組織に入り、そこにどれほどの時間留まるのかについて、誰も答えることができない。確かなことは、抗がん剤という毒薬が体全体に散らばることだけである。要するに、がん組織に薬剤が効く効率は非常に悪い。だから、抗がん剤を体内に入れれば、健康組織が壊れるか、がん組織が壊れるかの競争になる。
抗がん剤が直接作用する白血病や悪性リンパ腫のような血液がんに抗がん剤が有効なことは理屈に合う。しかし、幼児期の白血病が「寛解」と判断されても、成人した後に抗がん剤使用の副作用が出る事例が報告されているから、抗がん剤という毒剤を体内に取り込むことは、「寛解」と判断されても、完全に無害で副作用がないとは言えないのだろう。
抗がん剤の効率性の悪さから、「分子標的薬」と称した抗がん剤の開発が進められているが、実際のところ、がん細胞だけに作用する抗がん剤は存在しない。「分子標的薬」も劇薬指定されており、肺がん治療の「夢の」分子標的薬と宣伝されたイレッサが、死亡事故を起こして訴訟問題になっていることは、周知の事実である。
近年、抗がん剤の使用を拒否する人々が増えている。補完的な治療法や統合治療、あるいは生活の質(QOL、quality of life)を重視する考え方が、医師の間でも広がりつつある。「がんは縮小しました、しかし患者は苦しみながら亡くなりました」というのでは、本末転倒の医療行為だからである。
「がんもどき」論
良性腫瘍と悪性腫瘍(がん)の区別は簡単ではない。良性腫瘍とは転移しない腫瘍であり、自然に消滅するものもある。人間の細胞の生成(DNA転写)過程において、転写ミスがそれなりの確率で生じることが知られている。加齢とともに転写ミスの確率も高まるが、免疫システムが有効に機能していれば、転写ミスによる細胞変異が淘汰され、生体機能を脅かすことはない。しかし、免疫システムが弱化し、変異した細胞を淘汰できなくなれば、それが制御不能な悪性腫瘍に転化すると考えられる。
さて、問題はここから始まる。現代のようにがん検診制度が盛んになると、良性か悪性かの区別ができないまま、腫瘍が発見されればすぐに治療が開始される。組織の病理検査のために生体検査が行われる、あるいは良性腫瘍でも、一定の大きさがあれば、医師はすぐに手術や抗がん剤治療を勧める。ほとんどの人は「まだがんが小さいうちに治療するのが最善」と考えるが、治療が不要なものに手術や抗がん剤を施せば、副作用に苦しむことになる。
近藤理論の一番重要な点は、転移しない良性腫瘍は治療しないで、放置しておくのが最善の治療法だという点にある。このような転移しない良性腫瘍は「がんもどき」と名付けている。「がんもどき」は治療する必要はなく、可能な限り、副作用のない治療法や対症療法で十分だというのが、近藤理論の核心である。
検診不要論
近藤理論が医学界に与えた最大の脅威の一つに、「がん検診不要」論がある。現代の医療ビジネスの中で、「がん検診」の占める位置は大きい。ところが、近藤理論を認めれば、がん検診は無駄だということになる。なぜなら、転移する悪性腫瘍であれば、検診で発見される大きさになるはるか前に転移が始まっているから、発見部位を治療しただけでは、がんを治療したことにはならない。また、検診によって、良性腫瘍に不要な治療が施され、それが生活の質を下げたり、治療の副作用によって、かえって健康を崩してしまう可能性がある。
最近の欧米の研究では、種々のがん検診で、検診を受けたグループと受けなかったグループの間のがん死亡率に、有意な違いが認められないと報告されている。ところが、日本では、逆に、検診対象のがんの範囲を広げる方向に進んでいる。
近藤氏が「がんもどき」論を発表された後に、所属の慶応大学医学部教授会から論文撤回・謝罪を求める働きかけがあり、近藤氏が対応に苦慮した状況が詳細に描かれている。幸い、暗黙の辞職勧告はあったが、暴力的に近藤氏の言論活動を圧殺することはなかった。不遇の中の唯一の救いである。
がんは局所的な病ではない
近藤氏の「がんもどき」論は、がんという疾病の本質を突いている。「がんもどき」論を別の形で表現すれば、「がんは局所的な疾病ではなく、生体の組織全体にかかわる疾病である」と言い換えることができる。もしがんが局所的な疾病であるなら、その部位を治療すれば済むが、そうでないところに、がん治療の難しさがある。
もし良性腫瘍であれば、これは局所的な疾病だから、全身に毒を入れるような抗がん剤治療は百害あって一利なしだ。腫瘍が大きくなって生活に不都合が出た段階で、対症療法的な治療を施せばよい。
ところが、悪性腫瘍の場合、発見された時にはもうすでに転移が始まっているから、局所的な治療では治療の効果は期待できない。ただ、この場合も、転移がすぐに生命を脅かすことはなく、生命維持の中枢臓器の機能が弱り始めてから、生命が脅かされる危機段階に入る。問題は、転移が確認されたらすぐに抗がん剤治療を始めるべきか否かである。近藤氏はもちろんこの段階でも、抗がん剤や外科手術のような標準治療が延命効果をもつとは考えない。逆に、苦しむ時間を増やすだけだと考える。
それなら何もしないのだろうか。これまで、近藤氏は相対的に副作用の小さい放射線治療を勧めてきた。しかし、近藤氏は今その放射線治療からも撤退している。それほど優位点が認められないからである。
近藤氏がもう一つの代替療法と考えているのは、焼灼(しょうしゃく)法である。近藤氏はこの分野に明るくないらしく、「ラジオ波による焼灼法」で具体的な何を指しているのか説明していない。
いずれにしても、がんが局所的な疾病でないとしたら、腫瘍組織が一時的に縮小したことだけで治療の効果を測るのは、まったく無意味だ。局所的治療で転移を留めることはできないし、抗がん剤を止めれば再び腫瘍が大きくなる、あるいはいったん外科手術で除去したはずの腫瘍が再発する。このため、最近では、免疫療法を謳う治療法が幅を利かせるようになっている。自らの血液を採取して培養し、癌細胞にたいする抗がん細胞を増殖してから、再び患者の体内に戻す免疫治療法だ。しかし、現在のところ、それほど成果がでていない。免疫療法のみならず、最新治療と称するもののほとんどが非常に高価で、その割に効果がないのが現状である。
がんとどう向き合うか
一昔前は、がんと診断されると人生の終わりだと思われたが、今は患者の考えも変化しつつある。若い人が悪性腫瘍に罹患するのは悲しいことだが、年配者ががんと診断されても、無暗に悲しむことはない。人の死はいろいろある。交通事故で突然亡くなることもあれば、くも膜下出血、脳溢血、心筋梗塞で突然に死ぬこともある。徐々に命を失っていくのが良いのか、突然に命を失うのが良いのか、人それぞれに思いは異なるだろう。しかし、少なくとも、突然に亡くなるより、一定の時間的猶予があり、残された時間のなかで人生を整理し、必要な事柄を家族に伝えて死んでいく方が、本人だけでなく家族にとって幸せではないだろうか。突然に失われた命には、常に後悔が伴う。
がんという疾病が加齢に伴う必然的な現象だとすれば、それとどう付き合っていくかという人生観や終生観が必要なだけだと思う。少なくとも、生命維持にとってクリティカルな臓器に転移し、その状態が悪くなるまで、がんは人を殺さない。治療で苦しんでも治るなら良いが、治療しても生きる時間が限られているなら、もっと生活の質を維持して死にたい、無駄な手術で苦しむことを避けたいと考えるのは、自然なことである。
近藤氏は、本物のがんなら、早期に発見されるよりは、末期に発見された方が良いと主張する。ぎりぎりまで人生を全うすることができるし、緩和ケアを行えば老衰のように死を迎えることができる。すべてがそういう訳にはいかないだろうが、大切なことは、がんという病にたいする理解を深め、がん治療にたいする明確な意思をもつことである。
温熱療法の可能性
近藤氏は大学を定年退職して、「セカンドオピニオン外来(http://kondo-makoto.com/)」を開いた。治療をおこなわず、がん患者への相談とアドヴァイスを行っている。既述したように、近藤氏は一定の留保を付けて、焼灼法の有効性を認めている。ただ、その内容が明瞭でない。
焼灼法は対象部位を焼き切る技術である。広義にはアブレーションと呼ばれる高温による組織の焼灼技術であるが、腫瘍の焼灼に有効なのは、腫瘍に複数の電極を挿入して、直流(ガルバーニィ)電流を流して腫瘍部位を焼き切る方法である。体内の腫瘍組織を焼く場合には開腹手術が必要だが、これは患者に大きな負担を与えるし、悪性腫瘍が局所的なものでないとしたら、腫瘍部位を組織破壊(ネクローシス)しただけでは外科手術と同じ効果しかもたない。ここにも、がんという疾病の難しさを見ることができる。
がんに侵された組織を熱で破壊するという医療行為は、ヒッポクラテスの時代から存在するもっとも古いがん治療法である。中世では焼きごてを表面がんに近づけて、放射熱で治療する方法が存在した。しかし、電磁気理論が確立される19世紀までおよそ2500年間、温熱療法はプリミティブな域を出るものではなかった。現在もなお、プリミティブな理解が蔓延している。
現代の温熱治療は、開腹することなく、体内の腫瘍組織に熱を発生させることを目的としている。しかし、悪性細胞のみに熱を作用させるという集束性の実現は、技術的に非常に難しい。日本のメーカーが京都大学工学部の先生方と30年前に開発した高周波温熱がん治療器は、がん組織を高温で組織破壊(ネクローシス)するものだが、高い出力は患者に大きな負担を与え、かつ周辺組織をも熱してしまう。また、腫瘍組織近辺の温度を測定するために温度センサーを刺し込むことを奨励している。ハンガリーの物理学者サース・アンドラーシュが開発した加温技術(オンコサーミア)は低出力・非侵襲的な方法で、がん組織への熱エネルギーの集束性を高め、がん細胞のアポトーシスを誘発する手法である。体に優しいがん治療器として、世界30カ国で治療に使われている*。
がん治療に奇跡的な手法は存在しないが、自然の摂理にかなう方法で、がん細胞のアポトーシスを促す温熱療法は、痛みを和らげる副作用のない治療法である。アポトーシスの復位が、免疫効果を活性化させることも分かっている。このような体に優しい現代技術に、もっと注目すべきだろう。近藤氏にもこの分野への視野を広げてもらいたいものだ。
* 千葉大学付属病院では2年前から末期の食道癌患者にたいするオンコサーミア温熱治療の臨床研究が行われている。また、来年2月からは富山大学付属病院で、呼吸器系腫瘍、消化管・消化器系腫瘍、乳癌・産婦人科系腫瘍、耳鼻咽喉科領域の腫瘍、整形外科領域の5つの診療科で、臨床研究が始まる予定である。
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