(全訳)イズラエル・シャミール: ロシア人は素早く馬に飛び乗る
- 2016年 2月 28日
- 時代をみる
- 童子丸開
バルセロナの童子丸開です。シャミールの新しい記事の和訳(仮訳)をお知らせします。
題名は「?」となるものですが、シリア戦争とそれに参戦するロシアについての、重要で興味深い記事です。私からは、いつも通り「翻訳後記」の形で書かせていただきました。
ご拡散のほど、宜しくお願いいたします。
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http://bcndoujimaru.web.fc2.com/fact-fiction2/Russians_Ride_Fast.html
(全訳)イズラエル・シャミール:
ロシア人は素早く馬に飛び乗る
前回の記事(「シリアに開く突破口」)に続き、ロシア生まれのユダヤ人作家イズラエル・シャミールの最新作を和訳(仮訳)してご紹介する。原文はThe Unz Review誌に掲載された次の記事である。
http://www.unz.com/ishamir/russians-ride-fast/
Russians Ride Fast Israel Shamir February 24, 2016
比較的短い作品だが、現在と今後の世界情勢を考える上で欠かすことのできない多くの興味深い事実が述べられている。特に最後に述べられているイスラエル(および米国イスラエル・ロビー)の役割は重大なものになると思われる。そしてそれが、私の住む欧州の未来をも変えていくことになるのだろう。日本に与える影響については、日本にいる人々に考えていただきたい。
訳文では、なじみの少ない固有名詞に原文の英語綴りを添えておいた。また訳文の後に私からの【翻訳後記】を添えておきたい。
2016年2月25日 バルセロナにて 童子丸開
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ロシア人は素早く馬に飛び乗る
イズラエル・シャミール 2016年2月24日
モスクワ中央の地下鉄駅付近の区域は空爆後のアレッポのような姿である。廃墟、壊されたビル、這いずりまわるブルドーザー。いや、モスクワがテロリストに襲われたわけではない。これは、何百もの小型だが小さすぎるわけでもない掘立小屋の、計画的な撤去作業なのだ。それらは悪名高い「90年代」に地下鉄の駅付近に(都市計画の規則を無視して)建てられたものだ。その時代には法律が曖昧でちょっとしたカネで簡単に買収できたのである。その最も大きなものはプーシキンスカヤ(Pushkinskaya)駅の上を覆うピラミッドだが、今週になって取り壊された。かつての所有者たちが信じられないという面持ちで見つめている間に、市の作業員たちが素早く壊れた建物の名残を取り除いたのである。
所有者たちは不法に作られたスラム街に対する市役所の攻勢に驚かされた。一部の者達は最後の瞬間まで建物の売買を続けていたのである。彼らは2、3か月前に警告と取り壊しの命令を受け取っていたのだが、市が実際にその命令を実行するだろうとは信じなかった。そして最後の瞬間には命令が取り消されるだろうと確信していた。そうならなかったのだ。何百もの建物が一夜のうちに引き倒された。
これは、ロシアの当局者たちが、表向きには空虚に映る話を長々と続けた後になって、行動ができるということの、衝撃的な警告だった。ロシア人たちは馬に鞍を置くのに時間をかけるが猛烈な速さで馬に飛び乗る。ロシアのことわざを引用してこう語ったのはドイツの宰相ビスマルクだった(彼はロシアの宮廷で働きロシア人について一つか二つのことを知っていた)。あまりに多くの支配者たちや反乱者たちが、長々と続く鞍のしつらえに気を許してしまい、このロシアについての警告を信用しなかった。そして大概はそのことを嘆くはめになったのだ。
モスクワっ子たちはこの取り壊しを喜んだ。それらの不様な建築物群は見るからに醜く、地下鉄駅に忙しく出入りする人々にとって邪魔だったのである。もっと悪いことに、それらは人々にエリツィンの無法な時代を思い起こさせた。その時代にそれらのガラクタ建築群が建てられたのだ。スターリン時代の最高の建築家たちによって作られたこれらの駅の面影が古典的なスタイルで表に現われ出て、今や、はるかにましなものに見えてきたのである!
このいきなりの撤去作業が持つ、別の公表されない理由について考える人はあまり多くない。モスクワの地下鉄駅は戦争時に空襲からの避難所になるという二重の目的を持っていたのだ。あれらの不法なガラクタ建築群はこの目的の邪魔になるかもしれなかった。それらの取り壊しの後で、何百もの地下鉄駅が、攻撃された場合に市の人口を受け入れるように整えられた。
同時に、ロシア陸軍と空軍が突然、この国の南方で軍事作戦を実行した。TVニュースが軍の動きを意味ありげに放送した。ロシアはまだ平和の方が優勢であるという期待を持っているのだが、指導者たちはそう思う機会を得ていない。シリアの代理戦争によって全面的な戦争が開始される危険性があるのだ。
敵対の停止
ロシアは、シリアでの戦闘停止(というよりも敵対の停止)というアメリカの提案を受け入れた。ロシアは同様の提案を2、3週間前に行っているので、これはその思考の延長線上にあるものだ。ロシアはシリアで巨大な成功をおさめている。ほとんど損失なしで驚くべき予想以上の勝利を達成した。
それは軍事的な勝利であると同時に名声における勝利だった。ロシアは国際的にどん底の状態でシリアの戦争に参加した。EUとアメリカはロシアの熊に対して貿易と金融と外交の面での厳しい戦争(「制裁」)を仕掛けた。ロシアは西と南から孤立していた。ルーブルは崩壊し、ロシアが侵略者としてあらゆるし方で非難され続けてきたため、ウクライナへの実力の介入ではなく騒乱から(ロシア人分離主義者への非常に限られた支援を除いては)身を遠ざけるプーチンの賢明な決定に対して、ロシア社会は憤りと不満に満ちた。
シリア戦争への参入は不信と疑念に出くわしてきた。ロシア軍は故国からそんなにも遠い場所で成功するのだろうか? ロシアの航空機は飛ぶのか?戦車は走るのか? それらはソヴィエト後の手抜きでぼろぼろになっているので分解するのではないか? 国の中や外の予言者たちがそれに対して「泥沼」「ベトナム」「アフガニスタン」になるだろうと告げ、そして兵士を入れる数多くの棺を予告した。しかしそうにはならず、どこに進んでもバラ色だった。軍はすばらしい活躍をした。航空機とミサイルと戦車はその値打ちを証明した。バシャール・アル・アサド政権は救われ、反乱者たちは逃げ出す最中である。ロシア人たちは敵対の終了によってその勝利を打ち固めることができるだろう。
あらゆる戦争において、停戦が交渉されるときには「完全勝利まで続く戦争」を求める声が起こる。私は、自分が1973年戦争(第四次中東戦争)で若いイスラエル軍兵士だったときのことを思いだす。キッシンジャーが停戦をもたらしたときに、軍事解説者たちは、我々がスエズ運河の東岸に追い詰められた第三エジプト軍の全滅を許されないことに怒り狂った。もしそんな攻撃が行われたなら我々がどれくらい多く死ぬことになるのか、誰が知っていただろうか?
シリア戦争も例外ではない。シリア軍は明らかな勝利の戸口に立っていると好戦的な軍事専門家たちが言う。反乱者たちはアレッポで包囲され、そのトルコへ続く生命線は断たれており、今こそ脅威を取り除きシリアから聖戦主義者たちを一掃するときなのだ、と。しかしながら、追い詰められた敵を全滅させることは人命の点で、特にファナティックで上手に塹壕戦を戦う敵について言う場合には、非常に高くつくものでありうる。反乱者によって起こされたダマスカスとホムスの酷い自爆攻撃は、反乱者たちがその先輩であるアサシン団同様に 凶悪なものだということを明らかにした。チンギス・ハンのモンゴルだけがそのような敵を破壊できた(そしてそうした)。いずれにせよロシアは、一部の穏健派の反乱者たちを含む連立政権作りを交渉し、そうやってアサドの基盤を拡大させることを好んだ。
敵対停止前の最後の何日間かで、アサドの軍はアレッポ地域の幾分かの土地を手に入れ、南部戦線の方に切り替えることができるだろう。私は彼らが今から数日の期間でパルミラを奪うだろうとは予想しない(ほんのちょっとだけは考慮するが)。
ところが、この段階になって停戦は不明瞭な目標に変わってしまった。反乱者たちは「敵対の停止」に嫌々ながら同意したが、停戦が意味を持たなくなってしまう多くの条件を付けた。政府軍もまた戦いを止めることには気が進まなかった。その間に彼らの前進は順風に恵まれた。ロシアは「テロリスト」に対する作戦を止める気は無い。アメリカがそれに同意したが、誰がテロリストで誰が「穏健派」なのかが、交渉の中ではっきりさせられなければならない。国連安保理事会はダエシ(Daesh=ISIS)とアル・ヌスラ(アルカイダのシリア分派、アル・ヌスラ戦線)を「テロリスト」だと宣言した。今のところはまだ良いのだが、しかしそれは見た目ほど単純なものではない。アブドゥラー・アッザム(Abdullah Azzam)旅団からジャマアト・アブ・バナト(Jamaat Abu Banat)に(後者は国連のテロリスト一覧に「シリアの都市アレッポとイドゥリブ(Idlib)の周辺部で活動し、地元のシリア住民から資金をゆすり取り誘拐と公開処刑を行っている」と書かれる)いたるまでの、それらと提携する何百もの小組織がある。それらは停戦の名の下で保護されるべきなのだろうか?
「穏健な」(つまりサウジアラビアに支持される)反乱者たちはそうせよと言う。彼らはヌスラ系列の組織も停戦の準備メンバーに含めるように望む。ヌスラが無くなれば彼らは負けるだろうからだ。これはシリア政府とロシアの同盟者たちにとっては受け入れられない。アメリカは嫌々ながらヌスラを、少なくともアレッポの中では、その案に含めようと試みた。我々はじきにこのパズルがどのように解かれるのを見ることになるだろう。たとえ少しではあっても。
モスクワの地下鉄駅に続く通路の整理は、トルコとの戦争の危機に備える程度を超えていた。トルコは、限られたものとは言え、シリアのクルド人への砲撃で戦争に突入した。ロシア人たちはトルコとの武力衝突に身構えたが、それはただ全面的なトルコの侵入に対する対応としてだけである。この軍事的な準備(それにはアルメニアのロシア空軍基地への重火器の空輸を含むが)とNATOの声明(もしトルコが戦闘を開始してもNATOは戦わないという内容)のおかげで、トルコ風の解決は頓挫させられた。ロシア人は国連安保理事会に行き、トルコを非難するように求めた。そこで安保理は、ロシアが求めたような決議としてではなく声明の形でそれを行った。それでもこの声明はトルコと頭を冷やしたのだ。彼らの侵略とアレッポの確保という願望は消えて無くなったように思える。サウジの部隊は、私が予想したように( 前回の記事 を見よ)、いまだにその形を成していない。
こうしてシリアの戦争には、終了には程遠いにしても、3月1日までに何らかの停戦合意が地上で実現できる良い機会が訪れている。もし反乱者たちがこのチャンスをつかみ連合政権作りのための真剣な交渉に入るのなら、平和は可能である。もし彼らが、「打倒アサド」という古臭い呪文で武装してジュネーブに乗り込むなら、その機会は無駄になるだろう。もし仮に(ほぼあり得ないことだが)ロシアが平和のためにアサドを犠牲にするような事があったとしても、そうする手段が無い。アサドは強い人物であり強力な指導者だ。ロシア人は彼を除外することができない。つまりアサドは、好むと好まざるとにかかわらず、大前提である。私の目から見れば、彼はこのような時期には良い指導者なのだ。
ここで二つの注目すべき変化がある。一つ目は、アメリカの主流メディアの中で、シリア紛争に対するより事実に沿った見方が登場してきたことだ。ボストングローブ紙に“ On Syria: Thank you, Russia! ”と“ The Media are misleading the Public on Syria ” というステファン・キンザー(Stephen Kinzer)の二つの記事が掲載されたことは、第一級の衝撃度を持つ革命的な出来事だった。アメリカの主流メディアの読者が生まれて初めて次のようなことを学んだのだ。「3年もの間、暴力的な武装戦士たちがアレッポを蹂躙してきたのだ。彼らの支配は波のように押し寄せる抑圧で始まった。彼らは住民に対する警告の通知を投かんした。『子供たちを学校に行かせるな。もしそんなことをしたら、我々はお前たちの財産を没収しお前たちは棺桶に入るだろう』と。次に彼らは工場を破壊したが、それは失業者たちが戦士になるより他に生きる道を失うことを期待してのことである。彼らは機械類を根こそぎ取り払い、トルコに運んで売り払った」。キンザーは一つの力強い結論にたどり着いた。「もし我々が以前に導入されたロシアの外交政策に従っていたのならば、一つの国として人々はより安全に過ごしていたのだろうし、より安定した世界に貢献していたかもしれなかったというのに」。具体的にはアフガニスタン、イラク、そしてシリアにおいてである。世界は実際に別の姿を見せるのかもしれない。たぶん我々は、こういった記事の公表と、トランプやサンダースに対して優先的に投票する行動に現われるアメリカ人の新しい風潮とを、関連付けることができるのだろう。
第二の注目すべき変化は、シリアでの停戦に反対し、アサドに反対し、ダエシとヌスラに賛成するイスラエルの露骨な姿勢である。長い間この姿勢はイスラエルの識者たちと政治家たちによって曖昧にされ続けた。イスラエルは、アラブ人たちが互いに殺し合うことを喜び続けてきた。今や戦争の終結が地平に上り、イスラエルは声を上げた。アモス・ハレル(Amos Harel)はイスラエルを代表する軍事解説者で高位の人々に通じる者だが、 はっきりと次のように語った。「シリアでの戦争は今までイスラエルの利益に膨大に貢献してきた。いま行われている戦闘はシリア軍を以前の能力の影ほどに消耗させてきた。そしてヘズボラーは、北方におけるイスラエルの主要な敵だが、戦闘で毎月数十人ずつの戦士を失っている。イスラエルは、双方にとっての成功を、それらがもう何年かの間明らかな勝者が無く流血の惨事に反対しないままでいることを、静かに期待し続けてきた」。しかし今や、ロシアによる成功裏の介入の後で、イスラエルはあからさまに次のように述べる。「アサドの勝利はイスラエルにとってまずいことだから」、西側に「比較的過激ではないスンニ派反乱者たちに本物の軍事的支援を送る」ように呼びかけるのだ。
このように、イスラエル、およびアメリカのイスラエル・ロビーの意思は、ステファン・キンザーによって明快に表現されたような人々の意思を、真っ向から拒絶するのである。あなた方は自国内にいるイスラエル・ロビーの導きに従うこともできるし、あるいは平和と安全を手にすることもできる。しかしあなた方はその両方を同時に行うことはできない。単純な話だ。
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【翻訳後記】
ヨーロッパでは、各国首脳や内務閣僚たちが額を寄せ集めて「難民問題」への対処を語り合っている。その一方でフランスが今までよりももっと激しい「難民」の元を作りかねないリビアでの「隠密軍事作戦」を行っているという報道もある。ヨーロッパの政策決定者たちはどこまでも愚かな連中だ。「難民問題」を例えて言うなら、近所の家に放火して(主犯は隣町の友人だが)大きなうちわでさんざん炎を煽って喜んでいるうちに、火の粉がこちらに押し寄せてきて自分の家が燃え始め、火を消そうともせずに「どうしよう、どうしよう」とうろたえるばかり・・・、まあそんな具合か。
宇治拾遺集の中に、芥川龍之介の「地獄変」の元ネタにもなった絵仏師良秀の話がある。隣の火事が我が家に燃え移ったというのに、中にいる妻子をほったらかしにして、燃え盛る炎をじっと眺めながらニヤニヤ笑っている。不動尊の光背に立ち上る炎の描き方の重大なヒントを手に入れて悦にいっていたのだ。この良秀は家人を犠牲にしながらも「よじり不動」の作品を後世に残した。果たして現在ヨーロッパの政治家たちは、今後、自国民と外国人を大混乱と社会崩壊の中に放り込む代わりに、いったい何を残してくれるのだろうか。
少なくとも良秀は自宅を包む炎のあるがままの姿をリアルに見つめていた。ドイツとEUの指導者たちはヨーロッパを焼き尽くす炎からひたすら目をそむけ、あるいはそれをあたかもモーゼが目撃した神聖な輝きででもあるかのように思いこんで有り難がっている。馬鹿なやつらだ。こいつらには荒廃したヨーロッパ社会以外の何物をも残すことができまい。我々はそんな中で住み続けることになる。残念ながら。
北部シリアの大都市アレッポ奪回とトルコからの兵站補給路であるアザズ(Azaz)回廊の奪取作戦が開始されて以来、10万人を超える新たな難民がトルコ国境に押し寄せた。もちろんだが西側メディアと愚かな西側の識者たちは、これを独裁者アサドの残虐さを改めて見せつけるものとして、大々的なキャンペーンを繰り広げた。しかし、イズラエル・シャミールが引用したステファン・キンザーの記述にある通り、アレッポ住民のかなりの男性たちが、ダエシ(Daesh=ISIS)とアル・ヌスラのためにテロ戦士として働くことによってしか、その家族を養う術が無かった(奪い取られていた)のだ。これらの市民たち(やむなくテロリスト協力者として働かされた者たちとその家族)が押し寄せるシリア軍を恐れて難民と化した責任は、全面的にダエシとアル・ヌスラ、そしてそれを肥え太らせたアメリカ、イギリス、トルコ、サウジアラビアと湾岸諸国にある。
イラクとリビアは、「独裁者」が排除され「民主主義」が導入された結果として、最も凶悪なテロリストの拠点へと変わった(リビアは変わりつつある)。しかし、以前にも述べたとおりだが、不満に凝り固まる者や何らかの宗教や思想の狂信者はいつの時代にもどの国にもいる。それがスッカンピンで包丁かこん棒以上の武器を持たず、大声で叫ぶよりましな宣伝道具を持っていないうちは、せいぜい横町で殺傷事件を起こすくらいで終わるのだ。この狂信の「源」を追及することなど風邪の病原体を探す程度に無益なことだろう。病原体がいても身体が健全なら風邪をこじらすことはない。最大の問題は、このいかれた連中に大量の武器と大量の物資と大量の資金を与えて肥え太らせたのは誰か?この「病原体」に思うがままに世界を支配できるかのような万能感を持たせたのは誰なのか?ということだ。
ダエシやアル・ヌスラにたっぷりと兵器やカネを供給し続けたのは、アメリカとイギリス、トルコとサウジアラビアおよび湾岸諸国に他ならない。この点に疑問を挟むほどの無知な「識者」は、もう世界中のどこにもいないだろう。特に、アレッポを支配し続けたアル・ヌスラを露骨に(トルコを通して)支援し続けたのはアメリカ・ネオコン勢力だ。そしてその背後にいるのが、シャミールが記事終盤で語るイスラエルである。アメリカとヨーロッパはひとえにイスラエルの「安全保障」を引き受けているわけである。
イスラエルとそのロビーは、今から全力を上げてアサドとロシアの悪魔化に励みシリア和平への妨害に精を出すことだろう。もちろんだが西側マスコミのほとんどはイスラエル・ロビーの支配下にある。しかしシャミールがこの記事で語るアメリカの中で変化しつつあるように見える流れが、本物であることを祈らざるを得ない。それがヨーロッパの政治指導者たちの愚かさを少しでも救う力になるかも知れないからだ。
【翻訳後記、ここまで】
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