《東京演義、現代三国志の構図について》苦闘する人生、知の断想について、その雑感から演義へ。
- 2016年 4月 23日
- 交流の広場
- 武田明
今回は、ただの雑感の域でしかない。申し訳ありません。
苦闘する人生から「恍惚の人」認知症医学の遅れについての広報図巻(文学博物館その1)
http://revolutio.exblog.jp/23085538/
時間を読み違えていました。
あっと言う間の2週間、23日が迫って来ていました。
僕としては、「もっと資本論を読みやすくしたい」それが念頭にあります。
ピケティも「概念的で、『21世紀の資本』の方が読みやすはずだ」と述べています。
しかし、歴史的手垢のついて来た呪縛のその古典をもう少し解体して、「誰でも読める本」へとしていきたい。
その作業が必要な様に感じていたのですがそれは、共同の場として行う事であり、宇野一人、柄谷一人、レーニン、スターリン、金日成一人、習近平一人でもないでしょうが、共同の「場」として広がっていかないのが、常に、歴史の悲劇であり、
富と権力が偏り、集中してしか、現代の難局も乗り切れないと絶望していたり、「蜘蛛の糸」「羅生門」状態の地獄をあちらこちらに作っている悲劇について、「民主主義」「共和制」基盤を作っていくべき段階の「社会主義的基礎体系」を必然的に、テキスト化していかねばならない段階に資本主義は、差し掛かっていると言うわけです。
再び、『現代三国志~東京演義』としての講釈を交えながら、わかり易く展開したいところであるのですが、
時間切れ、まずは、23日以後の展開としていくしかありません。
http://chikyuza.net/archives/61179
北一輝と二つの龍巻―中国革命と2・26事件(現代史研究会用レジュメ-補足修正版)
http://chikyuza.net/archives/62177
わいわいがやがや集まるだけでも意味があるのですが、刷新しながら、更なる実践へと結び付けていきたいところです。
残念、この後は、6月4日「現代史研究会」にはなんとか、予定が狂わなければ出席出来そうですが、貧乏暇なしなもので、身動きが出来ない難点があります。
出席したいのですが、申し訳ない。
もし、体が二つあったなら行きたいな。近況イベント抜粋。
4月24日(日) 社会主義理論学会第27回研究集会「ロシア革命100年を前に」
http://chikyuza.net/archives/62227
メール通信「昔あったづもな」 第61号 ー 講演会「子どもたちに幸せな未来を」 -
http://chikyuza.net/archives/62094
第11回ちきゅう座総会へのご案内
http://chikyuza.net/archives/62172
「近衛内閣のブレーン尾崎秀実の責任」 -日米戦争を止められず、ゾルゲに荷担した男― 出版記念講演会のお知らせ
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