《様々な共産党の研究、今、何故、日本共産党研究であるのか?》どぶ板選挙論前哨戦として。
- 2016年 4月 28日
- 交流の広場
- 武田明
そろそろ鬱屈した日本を変える「勝利の方程式」を提示していきたいと考えないわけにはいかない。
そんなものはあり得ないと言う重苦しい雰囲気の中にあるのは何故であるのだろうか?
資本の独り歩きは止められない。
熊本地震が起ころうとも活断層の話、列島の現在、誰もが感じている危険性の中での綱渡り、カタストロフィーの中で、それぞれのエゴイズムと無知の支配である資本主義に対抗するモラル、倫理、知性の側の結集として展開していく、
「破滅思考の資本主義」に対する最善ぎりぎりの抵抗、誠実なる訴えとしての場をどこからでも呼びかけ、諦めてはいけない事を訴えていきたいものだ。
生き証人が、それぞれの生涯を終えていき、語り継ぐ事がままらなくなった昭和の歴史を風化してはならない。
その抵抗、良心が「ちきゅう座」の中にもあり、決してこの現在の危機を考えているのは一人孤独ではないのだと言う発信、そして、連帯を訴え続けている知性の具体的あり方を示し続けているのではないかと僕は、それに、同意する。
ルネサンス研究所 連続講座(全3回) *ブルース・カミングスの朝鮮戦争論をめぐって
――戦後の東アジア冷戦体制の確立――
http://chikyuza.net/archives/61475
こちらでも述べたのであるが、現代の朝鮮問題、北朝鮮問題については決して、誰もが無関心ではいられないホットな問題であり、
「現代から過去の歴史へ戻りながら提起するなら学生にも若い人にも入り易いものがある」この視点が僕自身の「わかり易さ」の視点であるのだが、原発問題から北朝鮮ミサイル問題まで、情報の幅が半端ではなく、それを一人の人間の情報処理能力としてどうあるべきであるのか?
この「整理術」と「わかり易さ」の広報の方法論を確立しておきたいと言うのがいつもある僕自身の「対話」の基本となっている。
(時々、冗長に流れ、脱線もするのだが…その余裕も決して、無駄ではないのではないかとしてもいる)
では、現代から過去へ遡るとはどの様な在り方であろうか?
現在の視点は、「北海道五区」補選の教訓を生かしながら、夏の参議院選挙の「勝利の方程式」としての広報問題ではないだろうか?
この事を考えずにはいられない。
税金の無駄遣いであるW選挙の可能性は、熊本地震によって、目下具体的に国民が苦しんでいる状況に中で、二度目の強行をするとは常識的には考えられないのであるが、それであっても、資本主義的カタストロフィーとアベ政治の狂気の沙汰の選択肢、戦前全体主義に通じる末期的特定秘密保護法、戦争法、TPPに至るまでの政治状況に対する予測不能性は、地震だけではなく、暗雲としてありながら、手立てを持てない国民とインテリゲンチャー、文化人の巨大メディアの情報統制による危機、
上記、
情報を整理しきれず、広報、対話が、滞っているかなり以前から言われていた国民の白痴化無知化状況に訴えていく苦心と誠実、最善を尽くす事だけは生きている限り諦めてはならない事、それを繰り返し伝えなくてはならないはずである。
これを伝えながら、基本的な導入となる視点を如何に共有していけるのかを語りたい。
1.巨大メディアとちきゅう座言論の位置関係について
自由度ランキングが話題となり、
http://chikyuza.net/archives/62216
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20160427-00057111/
サンデーモーニング(24日)谷口尚子(慶応大学大学院准教授)
「日本を支配しているのはメディアだと言われ、メディアは、行政だと述べる」
それに引き続き、北海道五区補選があったのだが、
山崎行太郎氏、澤藤統一郎氏、植草一秀氏の以下の文章を読むと「野党連合」の在り方は、本当にこれだけで良いのかと思ってしまう。アベ政治打倒後の政治が更に重要であり、経済政策、外交政策として見通しを示さねば政治ではないからだ。
http://revolutio.exblog.jp/23100515/
票を割るだけで自民党の補完勢力として日本共産党批判もあったのであるが、今は、日本共産党の力なしではどうにもならない所にまで来ている。
しかし、かつては、民主党、社民党だけでも辛うじてであるが、政権を担える豊かさと余裕もあったわけであるが、いよいよジリ貧の状態が到来している中、野合と言われながらも、アベ政治自民党とのギリギリの戦いにある。
しかし、メディア操作、別の意味でのパラダイス、コマーシャリズム資本主義の中にあって、その緊張感の欠如と思考停止がある故の危機ではないかと感じ、真の良心、真の知性の展開をちきゅう座発からでも最善の抵抗を諦めてはならない段階に来ていると言うわけである。
山崎行太郎氏の述べている「似非左翼主義」=民進党とは何であるのか?
これは、逆説のようにも思える。
「似非」ではないとしても「左翼理想主義」としては、日本共産党も同じであり、それについての免疫なる思考実験の余裕が、国民に与えられていない問題点、時間不足の中で、「野党共闘」からアベ政治以後の政治としての具体性を語らねばならない猶予のならない状態の中で、学習会を展開し、必要であるなら出版物からメディアへの対抗を呼びかけていかねばならない段階にあるからだ。
山本太郎氏が、街頭質問に答えている様に、「今は、実際に、命を奪うよりも効果的な抹殺の仕方があります。社会的抹殺であり、スキャンダルです」
小沢一郎氏が、陸山会事件で葬られ、山本太郎氏も芸能界、メディアから干される立場となり、植草一秀スキャンダル、それ以下のシカト状況にあるやもしれない、ちきゅう座、阿修羅掲示板の場であり、国民や地方は、更に、隷属的状況に追いやられているのかも知れない。
フーコーの『言葉と物』のたとえではないが、発言する自由は、階級的に支配を受けているのであり、山本太郎氏が天皇陛下に直訴、手紙を渡す行為の様な位置づけに置かれている「格差」「階級」社会が、反民主主義的要素として、資本主義的であると窮屈さがあると言う図式の中で、巨大メディア、行政官僚の支配が、恒常化していると言う事である。
2.今こそ「日本共産党研究」が必要である。
成功した革命があった。
それが、中国であり、北朝鮮であり、キューバであったのだが、
日本の革命は、成功しなかった。キューバと同じ位置づけにありながら見通せずに、来てしまったのは何故であったろうか?
その根本こそが、リベラル勢力と日本共産党勢力の確執としての歴史だったのではないだろうか?
その様な状況に中で、「野党共闘」としての日本共産党に頼らざる負えない現実を明確に考察して、意見を交換していかねばならない段階に来ているのは確かである。
沈黙して語らない挫折の歴史がある。払拭できないイメージの傷がある。
レッドで語られる世界に他ならない。
http://revolutio.exblog.jp/23100621/
しかし、一方には、成功した共産党革命がある。
カストロ90歳
https://www.youtube.com/watch?v=DH1ZKgPf9_0
どぶ板選挙を行うために、「繰り返し同じ質問」に答えられる勇気を鍛えなくてはならない。
リベラルであるアソシエーション(自由連合)連携と日本共産党研究としての現在の「野党共闘」の決して野合ではない資本主義対抗の理論的基礎を明確にしていく必要があるのではないだろうか?
ロシア革命100年(1917-2017)
4月24日(日) 社会主義理論学会第27回研究集会「ロシア革命100年を前に」
(日本共産党をどう理解したら良いのか)
http://revolutio.exblog.jp/23100647/
日程の関係で、出席かなわなかったが、ロシア共産党から日本共産党に至る問題を立体的仕上げつつ、資本主義カタストロフィーに至るまで、徹底的になる分析を今必要とされているのは確かであり、着地点を示していかねばならない。
キューバ革命とカストロからも資本主義に対抗する共産党連携連帯としての場は、決して潰えていない問題意識であり、どぶ板選挙的に、答え続けなくてはならない、諦めない誠実、理性、知性の在り処であると考える。
書評 岩田弘遺稿集 追悼の意を込めて 「コミューン革命」論への軌跡 「資本主義と国家の廃棄」を追求し続けた岩田弘
http://chikyuza.net/archives/62245
「野党共闘」を「野合」としない理論的な後押しを実践的今、示していく事は、ちきゅう座からでもアソシエーション連携からでも可能な段階であり、夏の参院選を前に急務となっていると言うわけである。
4.30世界資本主義フォーラム 内容紹介 「ドル本位制」下の金融危機
http://chikyuza.net/archives/62328
ゴールデンウィーク中の学習会頭が下がるわけであり、出席が個人的にはこちらもかなわないわけであるが、大いに、さらなる展開に、期待しないわけにはいかない。
ちきゅう座は、この様に、最新の問題意識に支えられつつ、その魅力を巨大メディアに阻まれ、カタストロフィーに阻まれつつあるのだが、決して、忘れてはならない最善としての誠実、良心として展開出来て行けるならその努力は無駄とはならないはずである。
更に、『家族と言う病』として、爆報フライデー、W介護と子育て、元人気アイドル、高橋里華の紹介があったわけであるが、実は、「楢山節考」的スタンダードでもあり、〔人が、輝いているのは、一瞬であり、大部分は、自己犠牲としての家族維持に与えられている現状〕としてそれは、何であるのかの問いを仕上げる医学解放革命としてもキューバ革命から学ぶものが多い事を忘れてはならないように常に感じている。
出産後に妻が自殺することを、僕たちはどう止めるのか
http://bylines.news.yahoo.co.jp/komazakihiroki/20160426-00057067/
人生の隷属状況により、ちきゅう座的知的自由は、一種、贅沢品とされていたり、自己矛盾が指摘されたりするのだが、決してそうではない、人生の豊かさと社会主義的医学解放革命としての問いは、貧困と資本主義に対して答えを与えていると思わざるをえないのだ。
それに到達できない「貧困」そのものの今がもどかしいばかりである。
(28日子育てと介護Wケアの初めての報告があるとニュース23にて述べていましたね。)
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