「いかなる社会も自衛軍は必要」か?再批判:岩田昌征氏の「戦争のできる国」と「戦争をしない国」
- 2017年 6月 19日
- 評論・紹介・意見
- 矢沢国光、世界資本主義フォーラム
岩田昌征氏の5月22日ちきゅう座「『戦争のできる国』と『戦争をしない国』」http://chikyuza.net/archives/72907
に対する私の5月25日ちきゅう座掲載の批判http://chikyuza.net/archives/72983
にたいして、岩田昌征氏が6月15日、再論:「戦争のできる国」と「戦争をしない国」http://chikyuza.net/archives/73534を書いた。これを読んで、岩田昌征氏が何を主張したいか、明らかになった。私なりに整理すれば:
(1)いかなる社会でも、自衛のための「軍」は必要である。
(2)日本社会は、悲惨な戦争体験と軍部に対する反感から、「軍」そのものを拒絶するようになってしまった。
(3)日本社会はまた、軍に対する文民統制の自信がなく、自衛隊を米国の支配下に置く方が安心だという弱音に陥っている。
「…日本市民社会は、米軍による日本戦闘力の包摂によりも、『自衛隊の国軍化』の方により強く皮膚感覚的恐怖感をいだくらしい。」「『軍』なき社会はどこかに不健康な臭いを感じさせる」
という岩田昌征氏の皮膚感覚がどこから来たのか私にはわからないが、中江兆民『三酔人経綸問答』の豪傑君(侵略派)、洋学紳士(不戦派)、南海先生(自衛派)を引用して「自衛国軍」の正当性を主張しているところを見ると、どうやら上記の(1)いかなる社会にとっても自衛のための軍は必要、という前提から出発しているようだ。
「自衛のための軍」をこのように超歴史的・抽象的にとらえてよいのだろうか。
まず、「自衛」というが、日本社会を何から――どのような脅威・攻撃から――守るのか?今日の日本にとっての「脅威」とは具体的に何か、問いたい。
●日本社会を何から守る?
中国?中国が日本を武力侵攻しないことは、アメリカが日本を武力侵攻しないことと同じくらい確かなことだ。中国が海軍を増強し南シナ海への米海軍の接近・領海支配を拒否する体制を強化しようとしているからといって、それを日本への武力侵攻に結びつけるとしたら[安倍政権はそれに近いことをしている]、日本社会を守るためではなく、日本を「国防軍をもつ普通の国家」にするための、ためにする言動とみるほかない。
北朝鮮?北朝鮮の核爆弾・ミサイル開発は、アメリカよる金正恩政権抹殺を危惧する北朝鮮の対抗措置であり、北朝鮮が日本社会を攻撃する理由はない。唯一考えられる危険は、アメリカの北朝鮮に対する先制攻撃が、北朝鮮の在日米軍基地への攻撃を誘発することだが、いったん発射されたミサイルを確実に防ぐ方法はない。日本の米軍基地をすべて撤去してもらうしかない[米軍基地撤去が日本の「安全保障」をいささかも危険にさらすものでないこと、ぎゃくに、米軍の暴発によるリスクを減ずるについては、別途論じたい]。
北朝鮮の核・ミサイル開発は、アメリカが北朝鮮政権を主権国家として承認し、朝鮮戦争の終結・平和条約を結ぶことによって解決するしかない。金正恩政権が非民主的な独裁政権だからといって外国軍による武力打倒が解決にならないことは、ブッシュ政権のイラク戦争の失敗が示している。
●歴史における「自衛国軍」
「将来の脅威に備えて自衛国軍が必要だ」というなら、少なくとも20世紀初頭にさかのぼって、世界体制の大きな変化――戦争と革命の時代としての20世紀から不戦と経済グローバル化の21世紀への変化――を押さえ、その上で「国の安全保障」と「自衛国軍」の関係について考えてみる必要があるのではないか。
18世紀末、ナポレオンは、世界史上初の徴兵制国民軍を率いて、ヨーロッパの帝国主義的支配をめざした。ナポレオンの帝国主義的支配への抵抗・復仇から、こののち、軍事強国プロイセン=ドイツ帝国が生まれることになる。
ナポレオン没落後の19世紀の世界は、海洋国家イギリスの世界戦略が仏・独・露等のヨーロッパ大陸諸強国を巧みに分断・牽制して主権国家間の勢力均衡をつくりだした。パクス・ブリタニカ(イギリスによる世界平和体制)である。と同時に、ヨーロッパ主要国家間の領土・植民地・経済権益をめぐる角逐が激化し、各国は競って重工業の発展と軍備の拡張に努めた。19世紀末には後発の日本も「富国強兵」でこの軍拡競争に参加した。資本主義による工業生産力の飛躍的発展が、戦艦、銃砲、戦車、航空機、鉄道、通信手段等の生産力を高め、20世紀の「総力戦」を準備した。
20世紀の戦争は、国民を軍事産業と兵力に総動員し、「戦場」が軍隊の後方、つまり国民の生産・生活の場にまで広がった。戦争は、「軍隊と軍隊の戦い」から国民の生活と生産力のすべてを巻きこむ「国家と国家の総力戦」へと転化したのだ。そのけっか、戦争の終結は19世紀的な戦後処理――領土の割譲と賠償金――では終わらず、敗れた国家それ自体の崩壊にいきつく。ロシア帝国の崩壊はロシア革命を生み、ドイツ帝国の崩壊は短命に終わったいくつかの州革命政権と不安定なワイマール共和国政権を生み出した。講和に際してウィルソン米大統領は国際協調を提唱したが、19世紀的旧外交の論理によって退けられた。世界は、大恐慌・経済ブロック化・ナチスの台頭を経てふたたび世界大戦に突入した。
こうした両度の世界大戦の結果は、「国家の安全保障」が自国の軍事力の強化や同盟関係の構築では実現しないこと――各国の国民生活の経済的安定による国際社会全体の安定が究極の「安全保障」であることを示していたのだ。ウィルソン大統領の14箇条の理念は、アメリカ議会の「国際連盟」否認で葬られてしまったが、このことを予知していたとも言える。
第二次世界大戦は、ヒトラーの欧州制覇を阻止するために英米ソが連合して闘ったというかたちになったが、その当然の結果として、戦後の世界秩序は戦勝国連合――イギリスに代わって経済的にも軍事的にも資本主義諸国のリーダーとなったアメリカと、ナチスドイツとの闘いを事実上一身に引き受けて最大の犠牲者を出したソ連の二大強国がその中心となる――が主導することになり、「国連」がその機構として設立された。戦後の安全保障問題の中心はヨーロッパの「ドイツ問題」であり、米ソを中心とする「国連による集団的安全保障」が戦後世界の秩序を維持すると構想された。
だが、ソ連の東欧進出は「米ソの協調による世界秩序」といったローズヘルト構想を打ち砕き、世界は「共産圏封じ込め」の冷戦体制へと移行した。朝鮮戦争と核兵器開発が冷戦体制への移行・固定化を決定的にした。
資本主義世界はNATO大西洋条約、SEATO東南アジア条約機構、日米安全保障条約等の軍事同盟によってアメリカを頂点とする軍事的政治的国際秩序に組み込まれた。同時にブレトンウッズ国際通貨体制、マーシャル・プランによって、これもアメリカを頂点とする経済的枠組みが作られた。こうして第二次世界大戦後の資本主義世界は、パクス・ブリタニカに替わるパクス・アメリカーナとなった。
このパクス・アメリカーナにおいて、アメリカ以外の各国の「国軍」はどのような意味を持ったのか?(1)ソ連・東欧の地上侵攻に備えてNATO軍が組織されたが、英・仏・西独等の軍は、米軍を頂点とするNATO軍の一翼を構成した。と同時に、(2)英仏は19世紀末以来の植民地大国の遺産をアフリカ・中東・東アジアに持ち、英仏軍はそれらに対する権益の防衛手段でもあった。(3)西側世界の中で大国間の角逐は依然としてつづいており、フランス・ドゴール大統領は独自の核保有・NATO脱退・英のEEC加入拒否によって米英覇権に抵抗した。このとき仏の核武装と軍事力は仏の反米外交の手段となる。
パクス・アメリカーナに依存して経済復興した日本は、アメリカの戦争への協力を求められる。日本は平和憲法を盾にこれを拒否し非武装経済成長路線に徹した、ということになっているが、それはちがう。沖縄をはじめとする数多くの在日米軍基地は、朝鮮、ベトナムへの米軍の出撃拠点となったのだ。ある日本国首相は的確にも「浮沈空母」とその役割を表現してみせた。
●今日の政治情況の中で「自衛国軍」を考えると
冷戦は、朝鮮戦争で東西両勢力の本格的な対立へと移行し、中国・毛沢東の文革暴走の失敗とアメリカのベトナム戦争の失敗による米中和解によって、20世紀の「戦争と革命の時代」は終わった。共産主義政権の波及という「ドミノ理論」は、東側世界に対する過大評価であった。さもなくば、米の軍産体制強化のための「作られた脅威論」であった。
敗戦国のドイツ(西独)も日本も、パクス・アメリカーナという枠組みの中で戦後の復興を成し遂げ、米英をしのぐ工業競争力を身につけた。これが米経済の弱体化をもたらすことになるが、その前にソ連が米との核軍拡競争で経済的に行き詰まり、ソ連・東欧体制が1990年に崩壊する。
それから四半世紀経った今なお、世界は「パクス・アメリカーナとソ連・東欧体制が対峙する冷戦体制」という枠組みから、別の新たな枠組みへの移行過程にある。 この新たな枠組みが、米中二極体制なのか、米・EU・日・中・露等の多極体制なのか、わからない。ただいえることは、ソ連の崩壊・中国の改革開放によって広大な地域が資本主義世界に加わり、世界経済の再編がドラスチックに進行していることである。中国の「一帯一路構想」とAIIB(アジアインフラ投資銀行)への米日を除く資本主義主要国の参加、英のEU離脱とそれを奇貨とする独仏によるEUの統合強化、…。日本もまたTPPの破綻でアメリカ一辺倒からの転換を強いられており、東アジア共同体構想の再浮上が必至である。アメリカにもはやそれを妨害することはできない。日本は好むと好まざるとにかかわらず、これから中国・韓国・ASEAN等との経済外交を本格化せねばならない。そのとき日本は「軍事強国」として他を威圧するのが得策か、それとも非武装平和主義の中立国家という「ブランド」で他の信用を得るのが得策か、問われることになる。
いずれが得策か、という言い方は、外交技術的すぎる嫌いがある。EUは、両大戦の失敗の歴史的教訓から独仏が不戦同盟を結ぶことから出発した。東アジアに日本がかかわる上での最大の障害は、安倍政権が「歴史問題」の解決を後退させたことにある、と言ったほうが、より事の本質に迫ることができる。
アメリカはたしかに並ぶもののない世界一の軍事大国であるが、財政逼迫から国防費の削減を強いられている。トランプと共和党は国防費の増額をめざしているが、それは、福祉予算の削減ぬきにはできない。貧しい白人労働者の既成政治勢力(エスタブリッシュメント)批判の声を代弁して当選したトランプ大統領にとって、いつまでも「軍産」というエスタブリッシュメントの中核に譲歩して国防費を野放しにするならば、その支持基盤が失われる。
アメリカが軍縮に舵を切るとき、日本の安倍流国家主義政権は、これを好機とばかり、日本の「国軍」の強化に突き進むであろう。2020年9条改憲がいまや自公維の共通政策課題になろうとしている。
「自衛国軍」の是非は、こうした政治情況の中でそれがどのような意味を持つか(持たせられる)という視点からも、考えるべきではなかろうか。 (2017年6月18日)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion6741:170619〕
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