〈近代の超克〉批判序説

エーコは最初にひとつの興味深い問題提起をしています。ファシズムとは何かを問う前に、なぜファシズムなのか、そのことをエーコは問うているのです。これはひょっとすると今まで誰も出さなかった問い、コロンブスの卵のような問いではないかと思います。なぜかと言いますと、ファシズムというと多くの人は直ちにドイツを思い浮かべますね。ヒトラー、そしてナチス・ドイツ、それが典型的なファシズムだ。通常これが誰も思い浮かべる典型的なファシズムのイメージではないでしょうか。日本もドイツ同様ファシズムであったのだから、ではドイツのファシズムと日本のファシズムはどう違うだろうか、そういうふうに問題が立てられます。日独のファシズムの比較が行われる。そこにおいてはじめて日本のファシズムの特徴も明らかになるというわけです。丸山眞男の日本のファシズム分析はそういう方法論で成り立っています。しかしエーコは極めてシンプルな問いを出してこの広く行き渡ったファシズムについての常識を覆したのではないかと思います。
エーコはこう問うています。《かつてイヨネスコが「大切なのは言葉だけだ、それ以外は無駄話だ」と言ったことがあります。言語的習慣は往々にして、表出されない感情の重要な兆候なのです。そこで、レジスタンスばかりでなく第二次世界大戦全体が、世界中において、反ファシズム闘争と規定されるのはなぜか、という問題について考えさせてください。》(和田忠彦訳/ウンベルト・エーコ『永遠のファシズム』岩波書店より引用。エーコの邦訳引用はすべてこの書から採った。以下、出典の記載は省略する)。

同じ問いをエーコはこのように厳密に言い換えて提出しています。《なぜ「ファシズム」という言葉が、さまざまな全体主義運動について、一部が全体をあらわしてしまう(pars pro toto)名称として、提喩(メトノミー)の機能を果たしてしまうのか》と。

このような問いを提出した結果、エーコの発見したのはこういう歴史的真実でした。《イタリア・ファシズムが、ヨーロッパの一国家を支配した最初の右翼独裁政権であり、次いで現れた類似の運動はすべて、ムッソリーニ体制のなかに一種の共通する原型を見出すことになったと言っても構いません。イタリア・ファシズムこそ、はじめて軍事宗教やフォークロアを創りだしたのです。それはファツションにまでおよび、国外で、アルマーニやベネトン、ヴェルサーチをはるかに凌ぐ成功を収めたのです。》

《ファシズムの典型的特徴を列挙することは可能だと、わたしは考えています。そして、そうした特徴をそなえたものを、「原フアシズム(Ur-Fascism)もしくは「永遠のフアシズム(Ur-Fascism)」とよぼうと思います」。》

皆さん英語が得意な方が多いようですから、エーコが原ファシズムについての特徴を列記した部分を邦訳と英語原文も一緒に抄出してみました。中心命題とその補足解説になっているところだけを引用しておきます。全文にあたっていただくとより理解が深まると思います。多くの国で翻訳されたのもうなづける本質的な洞察をエーコはここで提出していると思います。なお該当部分の全体は邦訳の48ページから58ページにあたります。以下、引用です。

                 ※

1 原ファシズムの第一の特徴は、〈伝統崇拝〉です。伝統主義はファシズムより古い起源をもっています。
The first feature of Ur-Fascism is the cult of tradition. Traditionalism is of course much older than fascism.
結論からいえば、「知の発展はありえない」のです。真実はすでに紛れようもないかたちで告げられているのですから、わたしたちにできることは、その謎めいたメッセージを解釈しつづけることだけなのです。
As a consequence, there can be no advancement of learning. Truth has been already spelled out once and for all, and we can only keep interpreting its obscure message.
2 伝統主義は〈モダニズムの拒絶〉を意味の内にふくんでいます。
 Traditionalism implies the rejection of modernism.
啓蒙主義や理性の時代は、近代の堕落のはじまりとみなされるのです。この意味において、原ファシズムは「非合理主義」であると規定することができます。
The Enlightenment, the Age of Reason, is seen as the beginning of modern depravity. In this sense Ur-Fascism can be defined as irrationalism.
 非合理主義は〈行動のための行動〉を崇拝するか否かによっても決まります。行動はそれ自体すばらしいものであり、それゆえ事前にいかなる反省もなしに実行されなければならないというわけです。
Irrationalism also depends on the cult of action for action’s sake. Action being beautiful in itself, it must be taken before, or without, any previous reflection.
4  いかなる形態であれ、混合主義というものは、批判を受け入れることができません。
No syncretistic faith can withstand analytical criticism.
5 ファシズム運動もしくはその前段階的運動が最初に掲げるスローガンは、「余所者排斥」です。ですから原ファシズムは、明確に人種差別主義なのです。
The first appeal of a fascist or prematurely fascist movement is an appeal against the intruders. Thus Ur-Fascism is racist by definition.
6  原ファシズムは、個人もしくは社会の欲求不満から発生します。
 Ur-Fascism derives from individual or social frustration.
7  いかなる社会的アイデンティティももたない人びとに対し、原ファシズムは、諸君にとって唯一の特権は、全員にとって最大の共通項、つまりわれわれが同じ国に生まれたという事実だ、と語りかけます。これが「ナショナリズム」の起源です。
To people who feel deprived of a clear social identity, Ur-Fascism says that their only privilege is the most common one, to be born in the same country. This is the origin of nationalism.
8  信奉者は、敵のこれ見よがしの豊かさや力に屈辱を覚えるにちがいありません。
The followers must feel humiliated by the ostentatious wealth and force of their enemies.
それでも信奉者は、敵を打ち負かすことができるのだと思い込まなければなりません。こうして絶えずレトリックの調子を変えることで、「敵は強すぎたりも弱すぎたりもする」わけです。さまざまなファシズムがきまって戦争に敗北する運命にあるのは、敵の力を客観的に把握する能力が体質的に欠如しているからなのです。

However, the followers must be convinced that they can overwhelm the enemies. Thus, by a continuous shifting of rhetorical focus, the enemies are at the same time too strong and too weak. Fascist governments are condemned to lose wars because they are constitutionally incapable of objectively evaluating the force of the enemy.

エーコのこの8番目の指摘はとくに重要です。ファシストは必ず戦争をするんですよ。そして必ず負けます。なぜ負けるか。ファシストは敵の力を客観的に把握することを体質的に拒否するのです。つまり「世界を支配している悪い奴らがいるんだ」と言って脅威を煽り立て、しかし「戦争をしたらすぐに勝つ」という言い方をするわけです。敵の戦力を精確に測定してないから必ず負けます。ファシストが必ず戦争を仕掛けて最後には必ず負ける理由をエーコはここで説明出きていると思って、ここの指摘が私にはいちばん興味深かったです。

 原ファシズムにとって、生のための闘争は存在しないのです。あるのは「闘争のための生」です。すると「平和主義は敵とのなれ合いである」ということになります。「生が永久戦争である」のですから、平和主義は悪とされるわけです。こうした考え方がハルマゲドンの機構を生むのです。敵は根絶やしにすべきものであり、またそれが可能であるとすれば、最終戦争は避けられません。それを経てはじめて、運動は世界覇権を手に入れることになるのです。
 For Ur-Fascism there is no struggle for life but, rather, life is lived for struggle. Thus pacifism is trafficking with the enemy. It is bad because life is permanent warfare. This, however, brings about an Armageddon complex. Since enemies have to be defeated, there must be a final battle, after which the movement will have control of the world.
10  エリート主義は、あらゆる反動的イデオロギーが本質的に貴族主義的である以上、その典型的な要素のひとつです。歴史上、あらゆる貴族的かつ軍事的エリート主義は〈弱者蔑視〉を伴うものでした。
Elitism is a typical aspect of any reactionary ideology, insofar as it is fundamentally aristocratic, and aristocratic and militaristic elitism cruelly implies contempt for the weak.
11  こうした見通しに立って、〈一人ひとりが英雄になるべく教育される〉ことになります。
 In such a perspective everybody is educated to become a hero.
その英雄崇拝は「死の崇拝」と緊密にむすびついています。

 This cult of heroism is strictly linked with the cult of death.

この指摘はダンヌンツィオに憧れた三島由紀夫の例が思い浮かびます。筒井康隆の『ダンヌンツィオに夢中』は三島のもうひとつの顔を抉り出す快著です。エロスよりタナトスに惹かれるがファシズムの宿命なのです。

12  永久戦争にせよ、英雄主義にせよ、それは現実には困難な遊戯ですから、原ファシストは、その潜在的意志を性の問題に擦りかえるわけです。これが〈マチズモ〉(女性蔑視や、純潔から同性愛にいたる非画一的な性習慣に対する偏狭な断罪)の起源となります。

Since both permanent war and heroism are difficult games to play, the Ur-Fascist transfers his will to power to sexual matters. This is the origin of machismo (which implies both disdain for women and intolerance and condemnation of nonstandard sexualhabits, from chastity to homosexuality).

13  民主主義の社会では、市民は個人の権利を享受しますが、市民全体としては、(多数意見に従うという)量的観点からのみ政治的決着能力をもっています。

In a democracy, the citizens have individual rights, but the citizens in their entirety have a political impact only from a quantitative point of view – one follows the decisions of the majority.
原ファシズムにとって、個人は個人として権利をもちません。量(※補論参照)として認識される「民衆」こそが、結束した集合体として「共通の意志」をあらわすのです。
For Ur-Fascism, however, individuals as individuals have no rights, and the People is conceived as a quality, a monolithic entity expressing the Common Will.
※補論 この訳語「量」はエーコの英語講演の原語「quality」とそぐわないというご指摘を英語のエキスパートの方から頂きました。和田忠彦氏の訳文は全体として分かりやすく明晰な日本語であり、エーコの思想理解に大きく役立つものと思っていますので、この部分が誤訳かそれとも原文の方の誤植か気になって調べてみました。結論から言いますと、どうやら誤植ではなく誤訳ではないかと思われます。
訂正した翻訳文はこうなると思います;「原ファシズムにとって、個人は個人として権利をもちません。質として認識される「民衆」こそが、結束した集合体として「共通の意志」をあらわすのです」。
エーコはファシズムを「質的ポピュリズム」と規定し、民主主義は市民の量的観点を重視する、そういう判断に立っています。多数決はたしかに量的観点を重視する立場です。ファシズムは、量の観点をスルーし、我々は国民全体を代表しているのだと豪語します。100の議席数で、ファッショ政党が40の議席を、自由主義政党が30議席、社会主義政党が30議席とします。ファシズム政党の代表が首相となって社会主義政党を非合法とし、解散総選挙すればファシズム政党は過半数を獲得できます。そして次に自由主義政党を解体する。そうすれば40パーセントの政党でもって、我々は国民の一部ではなく国民全体を代表しているのだ、こういうレトリックを展開して、議会を無視した一党独裁政権を成立させることができる。このような事態を想定してエーコは量を無視した<質として認識される「民衆」>という言い方をしたのではないか。和田氏の誤訳を生んだ原因はエーコの以下に続く一文に引きずられてしまったせいかと推測します。
《人間存在をどのように量としてとらえたところで、それが共通意志をもつことなどありえませんから、指導者はかれらの通訳をよそおうだけです。
Since no large quantity of human beings can have a common will, the Leader pretends to be their interpreter.》。
たしかにエーコの論の運びも誤解を生みやすいとは思いますが、精読すればエーコの講演原文は誤植ではありません。私の推論の妥当性は皆さま方各々でご判断下さい。なお上の「interpreter」の語についても、通訳よりも解釈者の方が日本語として通りがいいのではないか、というアドバイスを頂きました。ご参考までに報告しておきます。
14  〈原ファシズムは「新言語(ニュースピーク)」を話します〉。
ナチスやファシズムの学校用教科書は例外なく、貧弱な語業と平易な構文を基本に据えることで、総合的で批判的な思考の道具を制限しようと目論んだものでした。
 All the Nazi or Fascist schoolbooks made use of an impoverished vocabulary, and an elementary syntax, in order to limit the instruments for complex and critical reasoning.

こうして見てきますと、イタリアのファシズムと日本のファシズムは共通点が非常に多いと感じます。似ているという以上に、まるで一卵性双生児のように瓜二つと言っていいほどです。イタリアと日本のような典型的なファシズムに較べると、ドイツのファシズムは異端でありファシズムの少数派との認識もできるかもしれない。少なくともドイツのファシズムと日本のファシズムを比べるよりも、イタリアのファシズムを考察して、それを鏡にして日本のファシズムを反省する方がはるかに科学的であり有益でもありうると思うのですが、いかがでしょうか?

エーコはイタリアのファシズムについてこのように述べています。《ファシズムには、いかなる精髄もなく、単独の本質さえありません。ファシズムは〈ファジー〉な全体主義だったのです。フアシズムは一枚岩のイデオロギーではなく、むしろ多様な政治・哲学思想のコラージュであり、矛盾の集合体でした》。
日本やイタリアのようなファジーな全体主義に対比されるのがナチのドイツやスターリン主義のソ連の場合です。《『我が闘争』は完璧な綱領宣言です。ナチズムは、人種差別とアーリア主義の理論を備え、「頽廃芸術(Entartete Kunst)」を正確に規定し、潜在的意志と超人(Ubermensch)の哲学を有していました。ナチズムは明確に反キリスト教思想であり、あらたな異教思想でしたが、それは、スターリンの(ソヴィエト・マルクス主義の公式見解である)「弁証法的唯物論(Diamat)」が明らかに唯物論的無神論であったのと同じことです。仮に全体主義が、あらゆる個人の行動を国家とそのイデオロギーに従属させる体制を意味するものなら、ナチズムとスターリニズムは全体主義体制だったということになります》。
エーコの認識によれば、ナチズムとスターリニズムは全体主義体制であり、日本とイタリアはファジーな全体主義だったということになります。エーコはさまざまなファシズムの諸政党やイデオローグの違いを記号で表現する試みをここで行っていますが、エーコの示した記号表現をそのまま使ってそれを書き換えてみましょう。そうすると1930年代に成立した日本・イタリア・ドイツ・ソ連の政治体制の同一性と差異は下記のような記号表現で示すことが可能になります。

N(abc)  I(bcd)  D(cde)  S(def)

Nは日本、Iはイタリア、Dはドイツ、Sはソ連のそれぞれ略記号です。小文字のアルファベット(a・b・c・・・)は、それぞれの政治体制に含まれている各要素を示します。元々のエーコの解説を聞きましょう。
《一連の政治集団が存在すると仮定しましょう。集団1は要素abcを特徴とし、集団2は要素bcd、以下同様に三つの要素を特徴に持つとしす。2は二要素が共通する点で1と似ています。32に、43に、同じ理由で似ています。さて3が(要素cを共有するため)1にも似ていることに注目してください。もっとも興味深い

例は4によって提示されています。432に似ていることは明らかですが、1とは共通する特徴がまったくありません。》
日本はイタリアとbcを共通に含んでいます。日本に特有のaとは天皇制を示す記号と考えて差し支えないでしょう。イタリアとドイツはcdを共有しています。日本とドイツはかけ離れてはいますがcを共有しています。したがって1930年代の日独伊はcを共通に含むという点に於いておいて同質のファシズム国家と総括できます。これが世界史的視野のもとで眺めた日独伊三国の本質的差異です。

第三章 日本のカリガリ博士


以上のような認識を踏まえた上で日本とドイツのファシズムの共通点を探っていきます。具体的な事例として、ドイツ映画の「カリガリ博士」と、戦中の京都学派の言説が集中的に表現された『世界史的立場と日本』という座談会を採り上げ比較考察することでそれを行ってみたいと思います。あの座談会を2019年のいまの時点からどのように評価することができるでしょうか。仮に批判的に評価するとしてもその方法論はいかに? ひとつの方法としてクラカウアーが『カリガリからヒトラー』で見事に展開したその文化批判の方法を援用することで批判は可能になるのではないか。『カリガリからヒトラーへ』、このクラカウアーの著書のタイトルをそのまま使って、「京都学派四天王から東条へ」、このように書き換えることが可能になります。つまりカリガリ博士と京都学派四天王を同定し、ヒトラーを東条と同定することによって、日本とドイツのファシズムの同一性と差異を浮き彫りにしてみたいと思います。先月の研究会で宇波彰先生がフランクフルト学派のジークフリート・クラカウアーについて3時間に及ぶ講義をして下さいました。その講義に私は深く啓発されたのですが、その時に紹介されたクラカウアーの著書『カリガリからヒトラーまで』(平井正訳・せりか書房1971年刊)を、私は以前に読んでいたことを思い出しました。そこで映画「カリガリ博士」をもういちど視聴しクラカウアーが「カリガリ博士」について書いている箇所も再読して今回の講演に備えました。映画『カリガリ博士』はドイツ語版・英語版・邦訳版すべてネットで視聴することが可能です。改めて観てみると大変な名画であることに感心します。
第一次世界大戦後に現れたドイツ映画『カリガリ博士』をクラカウアーはどのように分析したか。一言で言って、そのコンセプトを私の言い方に直せばこうなります。――狂人が救済者として立ち現れるとき救済者は精神病に閉じ込められる。狂気が権力の座に就くとき理性は沈黙を余儀なくされる。理性が語る時、その発言は死を招く。すべては転倒しシェイクスピアの魔女の予言が真実味を帯びて響く。「きれいはきたない、きたないはきれい。灰色の空気の中を飛んでいこう!」(シェイクスピア『マクベス』)
真実を見抜いた人は映画『カリガリ博士』の中では狂人として精神病院の中に閉じ込められています。殺人狂であるカリガリ博士はこの映画の中では精神病院の院長としてあらわれ妄想を抱く患者を治療する医師なのです。この構図はナチスが支配したドイツの様相を見事に描いています。戦前にヒトラーはドイツの救済者として崇められた。日本でも戦前はヒトラーは英雄扱いでした。戦後一転してヒトラーは独裁者として悪の権化として見られています。構図は逆転。この構図の逆転を映画『カリガリ博士』は予言的に表現している。クラカウアーの分析はそういう意味において先駆的であり深遠であり哲学的と評価できます。

《ヤノヴィッツとマイヤー(原作者・・・引用者注)には、自分たちがこの枠物語に対して激怒する理由がよくわかっていた。それはかれらの本来の意図が、さかさまにされたとまではいえないにしても、ねじまげられてしまったからである。原作が権威に内在する狂暴性を暴露したのに反して、ヴィーネ(監督・・・引用者注)の『カリガリ』は権威を讃美し,その敵対者の狂暴性を非難した。こうして、革命的な映画は一変して、大勢順応的な作品になってしまったーよく使われる型であるが、ある種の正常な、しかし、うるさがたの人物を、狂人よばわりして、精神病院に送りこんでしまったのである。(平井正訳S・クラカウアー著『カリガリからヒトラーまで』せりか書房197167P)》

《戦後期を通じて、ドイツ人の大部分がきびしい外部の世界から逃避して、人間精神の触知しがたい領域に閉じこもる傾向が強かったということが正しいとすれば、ヴィーネの脚色は、たしかに、元のストーリーよりも、このドイツ人の態度により一層合致するものであった。なぜなら、原作を箱の中にはめこんでしまうことによって、この脚色は、殻の中に退却してしまう一般的な傾向を、忠実に反映したからである。『カリガリ博士』(また当時のそのほかのいくつかの映画)において、枠物語の手法は、たんに審美上の形式であるばかりでなく、象徴的な意味ももっていた。重要なのは、ヴィーネが元のストーリーそのものを不具にしてしまうことを避けた点である。『カリガリ博士』は大勢順応的な映画になってしまったけれども、しかもなお、それは、この革命的な物語を狂人の幻想として保存し、強調した。カリガリの敗北は、今や多くの心理的経験のーつとなった。このように、ヴィーネの映画は、ドイツ人が自分自身の内部に隠遁していた頃、自分たちの伝統的な権威に対する信仰を考えなおしてみるような刺激を受けていたことを暗示しているのである。大部分の社会民主主義的な労働者にいたるまで、ドイツ人は、革命的行動を回避した。しかもその同じときに、集団精神の深部では、心理的革命が準備されていたように思われる。この映画は、カリガリの権威が勝利をおさめる現実と、その同じ権威がくつがえされる幻想とを結びつけることによって、このドイツ人の生活の二重の側面を反映している。反乱を拒否する態度の外被の下で、権威主義的傾向に対する反乱があきらかに発生していたことをあらわすシンボルの配置としては、これ以上のものはありえなかった。(同上、67P》

日本のカリガリ博士たち、すなわち京都学派四天王たちの発言、その対話内容を見てみましょう。戦争が日本の現実であった当時、彼らの発言は理性の極致、世界最先端の哲学的洞察を示すものと、本人たちには自負されており、世間もそう評価していました。いまの時点で、彼らの発言が奇妙に見えるとしたら、我々が理性を失った精神病院の中の患者かもしれない。そういう思考実験を行ってみるのも有効でしょう。ひたすら彼らが美しく深遠な哲学的真理を語っている。戦前に我々の先祖がそう信じていたその気持ちでもって彼らの言葉を聴いてみる。そのような実験を行うことなしに、戦前・戦中の日本人の精神状態を経験することはできないだろうと思います。過ぎ去った歴史は壁の中に閉じ込められている。壁の中に入るのは、今の自分をいったん捨てて、その時代の人になる勇気が必要です。その壁の中に入ると、もしかしてもう戻ってこれなくなるのではないか。そういう恐れが出れば実験は不成立。歴史は闇の中に閉ざされてしまいます。真実は閉ざされてしまう。

このような前置きをした上で京都学派四天王の発言をこれから読んでいきます。「世界史的立場と日本」と題された座談会は1941年11月26日に行われ、翌年1942年の『中央公論』1月号に掲載されました。そのあと二回の座談会をも納めて『世界史的立場と日本』は中央公論社から1943年3月に刊行されました。この本は戦後再刊されていません。一部の遺族が再版に反対しているという事情がその背景にあります。アマゾンでこの本は1万4千円の価格が付いています。たまたまウエッブ検索していたら古書店組合のサイトで6500円の値が付いていました。この本はこれ以上安い値段では買えないと判断して思い切って購入しました。ここに持参したのがその本です。四六版444頁の活字が大きく読みやすい美本です。座談会は3回とも哲学者の高坂正顕(こうさか・まさあき)が最初に問題提起をし、いちばん若手である鈴木成高(すずき・しげたか)がそれを受けて発言しています。この順番は3回とも変わりありません。高坂正顕が座長格ですべての回の問題提起をしています。あと二人の参加者は哲学者の高山岩男(こうやま・いわお)と西谷啓治(にしたに・けいじ)の計四名です。合計三回の座談会の主題とその推移はタイトル自体によって伺うことができます。一回目「世界史的立場と日本」、二回目「東亜共栄圏の倫理性と歴史性」、三回目が「総力戦の哲学」です。一回目の座談会の高坂による最初の発言から読んでみます。

  ■第一回座談会「世界史的立場と日本」 1941年11月26日世界史が問題となる理由

高坂:こなひだ日本の歴史哲学とは一体どんなものかと訊かれてね、ちょっと返事に困ったのだが、考へてみると大体三つくらゐの段階を経てきたやうに思はれた。一番初めはリッケルト張りの歴史の認識論が盛んであった時代で、今では一昔のことになってしまった。その次がディルタイ流の生の哲学とか解釈学といったものから歴史哲学を考へようとした時代で、それが大体第二の時代と言ってよい。ところが今ではそれから更に一歩先に進んで、歴史哲学といふものは、具体的には世界歴史の哲学でなければならない、さういふ自覚に現在到達してゐる。それが第三の段階だと思ふ。では何故さうなつたか。それは日本の世界歴史に於ける現在の位置がさうさせたのだと僕は考へる。その際無論ヘーゲルとかランケとかいふ人の思想から多くを教へられた。けれども結局日本はどうなるか、今できつつある新しい世界に対して、日本はどういふ意味を持たせられてゐるか、どういふ意味を実現しなければならないか、即ち世界歴史の上における日本の使命は何かといふ点になると、西洋のどのやうな思想家からも、無論教へられる訳には行かない。その為には日本人が日本人の頭で考へなければならない。それが現在日本で、世界史の哲学が特に要求されてゐる所以だと思ふ。
(高坂正顕他『世界史的立場と日本』中央公論社・昭和十八年三月3P~4P)ただちに鈴木が「それは僕も全く同感だ」と賛意を示して四人の対話が始まります。この第一回目の座談会ではランケの使った概念で「モラリッシュ・エネルギー(道義的生命力)」という言葉が頻出します。このキーワードを巡って議論が旋回している感がある。一例を示せば高山の発言ー「モラリッシュ・エネルギーの主体は僕は国民だと思ふ。民族といふのは十九世紀の文化史的概念だが、今日は、過去の歴史はたとひどうあらうと「民族」といふものでは世界史的な力がない」など。京都学派の依拠したランケ史学は世界史的視野を獲得すべき今日の日本人にとっても必須の思想遺産と思います。文書のかたちで残された世界遺産と云っていいでしょう。ランケの『政治問答』(原著1838年・ランケ41歳の作)から、モラリッシュ・エネルギーについて書かれた部分を引用しておきます。カールとフリートリヒの対話のかたちで議論が進行するのですが、フリートリヒがランケの思想を代弁しています。《カール 君の政治学では対外関係が重大な役割を演じるやうになるらしいね。
フリートリヒ さきに云ったやうに隅々にまで占められてゐる。その中で或る地歩を得るためには自力に依って勃興し自由な独立性を発揮しなければならん。そして他の承認して呉れない権利は我々自身闘ふことに依って手に入れる他ない。
カール それぢゃ何でも彼でも荒々しい暴力に依って決められることになりはしないか。
フリートリヒ 戦ひと言ふ言葉からさういう風に考へられ易いが、実際はそれ程暴力といふものは物をいふものぢゃないよ。基礎が存在し団結が形成されてゐるとして、それが今や将に勃興して世界的な勢力と成ろうとする、その場合何よりもまづ第一に必要なのは道徳的なエネルギーだよ。この道徳的なエネルギーに依って初めて競争に於て競争者たる敵を打ち破ることが出来るんだ。(相原信作訳・ランケ著『政治問答』岩波文庫1941年)》第一回目の座談会のいちばん最後のところを読んでみます。最後の締めも高坂が務めています。高山:世界史は罪悪だといふ風のことも言われてゐるが、自分のみが世界史の中に入ってゐないやうな無責任な物の言ひ方で、甚だ感心しない。

高坂:もし罪悪だとするなら罪悪を浄めてゐるのだ、浄化だ。
高山:さうだ、世界史は罪悪の浄化だ。天国と地獄との境に歴史といふものがある。時の中にあって永遠に結びつくところに歴史といふものがあるのだ。
高坂:実際、小さな人間の魂の救済を人類そのものの苦悶の救済から切り離して考へるかのやうな態度はどうだろう。西田先生も先日言ってゐられた、世界歴史は人類の魂のプルガトリオだ、浄罪界だ、戦争といふものにもさうした意味がある、ダンテは個人の魂のプルガトリオを描いた、しかし現在大詩人が現われたなら、人類の魂の深刻なプルガトリオとして、世界歴史を歌うだろう、って。人間は憤る時、全身をもつて憤るのだ。心身共に憤るのだ。戦争だつてさうだ。天地と共に憤るのだ。そして人類の魂が浄められるのだ。世界歴史の重要な転換点を戦争が決定したのはそのためだ。だから世界歴史はプルガトリオなのだ。(同上、130P~131P)
10月5日に行われた小林敏明氏の講演(『〈近代の超克〉新論』)のレジメにはこの京都学派の座談会の四人の発言が資料として多数39箇所掲載されています。この資料は精選されていて京都学派の思想の全体像を直観的に把握するのにたいへん便利です。発言の引用には当然のことですがすべて発言者の固有名が明記されています。四名はそれぞれ京都学派を一人でも代表できるほどの学識の持ち主ではありますが、各自特徴というか個性があります。発言内容を比較することによって四人の大まかな思想性の違いも見て取れるわけです。
(なお小林氏の講演に関して私は講演の前と後に二回感想を書いてちきゅう座に掲載していますので、併せて検討していただければ幸いです。(参考:〈近代の超克〉新論」に期待する:http://chikyuza.net/archives/97262、「〈近代の超克〉新論」の地平:http://chikyuza.net/archives/98385 )
この小林氏の講演を聴いてから竹内好の「近代の超克」(1959年)を再度読み返してみたのですが、以前読んだ時には気が付かなかった「あること」に気が付きました。竹内好はこの論文で主に雑誌『文学界』でなされた座談会『近代の超克』をテクストに選んで論評を加えているのですが、この座談会には京都学派から代表選手として鈴木成高と西谷啓治の二名が参加しています。そこで京都学派の主張や思想を解明するためには『近代の超克』の発言を拾うだけでは材料不足という判断から、『世界史的立場と日本』の座談会も資料に加えて、主にこの座談会の発言を引用しつつ竹内は京都学派を論評しているのです。以前には気が付かなかった「あること」といいますのは、竹内は引用にあたって固有名を省いていることです。いっさい書いていません。なぜでしょうか。これは不思議なことのような気がします。しかし竹内には竹内なりの論理がそこにあるように私には思われます。座談会『近代の超克』に結集したのは「文学界」のグループ・日本浪曼派・京都学派の三派からなるというのが竹内の見立てでした。そこで京都学派の参加者の個々人の違いではなく、個々の違いを捨象した「近代の超克」という主張それ自体を京都学派はいかに展開したか。これが竹内の獲得すべき本質的内容であったからです。そこで、小林氏のレジメの中からさらに精選して以下読んでいくのですが、私もまた誰が発言したかを省いて、ただ京都学派の主張がいかなるものであったか。そのことを示すだけにとどめまたいと思います。固有名を省いて読んでいきます。日本のカリガリ博士=京都学派はいかなる言説を展開したか。それでは京都学派四天王の合唱をお聞きください。
■第二回座談会「東亜共栄圏の倫理性と歴史性」 1942年3月4日
〇モラリッシェ・エネルギーといへば、十二月八日はつまり吾々日本国民が自分のもつモラリッシェ・エネルギーを最も生き生きと感じた日だつたと思ふんですが、(…)来るべきものが到頭きたといふ、必然といふか割切れた気持と、意外といふか、驚きの感情、不可能を実現したといふやうな気持があつた。
〇固定した世界秩序の中へ新しく登場して自分自身の生存を積極的に主張し得るやうな民族は、モラリッシェ・エネルギーをもつた民族でなければならない。又さういふ民族にして初めて、民族自身に立脚した国家を形成し得た訳だ。さういふ民族に於ては、国家と民族自身のモラリッシェ・エネルギーの発現を意味したともいへる。

〇国際的な帝国主義と国内的な闘争の原理は、つまりは一つの根本原理をなしてゐる。所が日本が今世界に宣言してゐる万邦おのおのその所を得るといふ原理は、これと根本から違つたものであると思ふ。(…)人は生れ乍ら自由平等といふことから出る人格倫理と違つて、人はそれぞれその所を得べきものといふことから出る「人倫」の倫理ともいふべきものが妥当なんで、かういつた倫理思想は従来東洋の中に生きてゐたやうに思ふ。

〇さうすると大東亜圏の倫理の根本は、日本のモラリッシェ・エネルギーといふものを各民族に伝へ、彼等を日本と協力し得る高い精神的水準にまで高め、それによつて道義的な民族間の関係といふものが建設され、それが大東亜圏といふものを支持する、さういふ所にあると思ふ。

■第三回座談会「総力戦の哲学」 1942年11月24日
〇現代の戦争が総力戦、あるひは国防国家体制を要求してゐるといふことは、結局僕の考へでは、近代の秩序といふものが崩壊して行くといふことですね。市民的・資本主義的秩序、さういふ構造をもつた国家が崩壊して行く。あるひは、近代の世界観といふものが崩壊して行く。(…)社会の構造が変り、国家の構造も変り、世界観も変つてきてゐる、といふことが総力戦といふ未曽有のユニイクな戦争の形態を要求するのではないか。(…)或はかういつてもいい、総じて近代が行き詰まつたところに総力戦がある。つまり総力戦は近代の超克だと。
〇総力戦は戦時と平時の区別をなくしたもので、武力も経済も文化をも統一してゐるやうな深いところに働いてゐる力が盛り上つて来て、それが戦力といふ形態で自覚的になつたとも言へる。
〇今度の総力戦は根本において思想戦なんで、本当の総力戦、本当の戦争といふことになれば、これはどうしても指導といふことが根本の原理になつて来る。すなはち敵をわれわれの新しい秩序につれてくることが戦争の本当の目的だ。

〇大東亜戦争で示された日本の主導性、主体性は、実は支那事変の起るずつと前から隠然としてあつたのだ。日露戦争で既にこれが明瞭に示されてゐる。日本の勝利はインドやイスラム圏などのアジア民族に大きな刺激を与えてゐる。日本は何といふか、アジアを代表するやうな、アジア民族の指導者といふやうな主体性を発揮したわけだ。ヨーロッパの帝国主義の攻勢を挫いた唯一の国民なんだから――〇日本の今日の主導性といふものは日本が近代を完成したといふところから出て来る。

ふたたび『カリガリ博士』に戻ります。フランクフルト学派の精鋭クラカウアーは、映画『カリガリ博士』を次のように総括しています。
《この映画は、カリガリ博士を、ホムンクルスやルビッチュのへンリー八世のような型の、圧制的な人物として描くことに成功している。それをもっとも明白に立証しているのは、ジョゼフ・フリーマンの小説『ネヴァ・コール・リトリート(不退転)』の供述である。この小説の主人公であるヴィーンの一歴史学教授が、ドイツの強制収容所にいたころの生活を語る。拷問をうけたあとで、かれは独房にほうりこまれる。「その独房に一人横たわったまま、わたしはカリガリ博士のことを考えた。それから、なんの連絡もなしに、あのローマの世界の支配者であったヴァレンチニアーヌス帝のことをおもいだした。ヴァレンチニアーヌスは、ほんのちょっとした罪や推測しただけの罪に対しても死刑を宣告して、それを無上のたのしみとしていた。この皇帝のお気に入りのことばは、奴の首をたたき切れ。』だの、『奴を生きたまま焼いてしまえ。』だの、『奴を息が絶えるまで梶棒でぶちのめしてやれ。』などというたぐいのものであった。わたしは、あの皇帝こそ正真正銘の二十世紀の支配者であろうとおもった。そして、すぐ眠りこんでしまった。」このまるで夢を見ているような推理は、かれをヴァレンチニアーヌス帝の片割れであり、ヒットラーの先触れであると考えている点でカリガリ博士の本質をみぬいている。自分の手先を意のままに動かすために、催眠術を用いているという意味で、カリガリ博士は、きわめて特殊な先触れであった。ーこのやり方は、その内容と目的において、ヒットラーがはじめて大規模に実行した人間精神の操縦を予示している。(平井正訳S・クラカウアー著『カリガリからヒトラーまで』せりか書房197171P》
まとめです。日本のカリガリ博士すなわち京都学派四天王は、狂人ではなく犯罪者でもなく、千年の伝統を持つ京都に拠を構えた帝国大学教授であり、世界的レベルの学識を持つ哲学者・歴史学者でした。彼らには権威がありました。四人の座談会の記録は書籍となって刊行され学徒出陣の青年たちのバイブルとなったのです。いまの時点でこの歴史事実を評価するのはむずかしい。なぜならばカリガリ博士は世界の現実の中でいまなお健在なのではないか。カリガリ博士は、いまの時代にあったコスチュームで、新しいキーワードを駆使して、最先端の言説を撒き散らしているのではないか? そう了解されるからです。クラカウアーの叡智こそいま我々が必要としているものではないでしょうか。そのような問題提起をもって本日の報告とさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。
20191116日の本郷会館での講演に加筆 128日擱筆】

初出:ブログ「宇波彰現代哲学研究所」2019.12.8より許可を得て転載

http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-339.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion9244:191208〕




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