試論「純粋北一輝」への川畑泰氏からの質問に回答する
- 2020年 10月 1日
- 評論・紹介・意見
- 川端秀夫
※川畑 泰(かわばた たい)氏は社会批評研究会メンバー(川端注)
△純粋北一輝(前編)☛ http://chikyuza.net/archives/105457
▽純粋北一輝(後編)☛ http://chikyuza.net/archives/105468
※解題:先般ちきゅう座に掲載した拙論「純粋北一輝」に関して、川畑泰さまから頂いた感想・質問のうち、質問部分に関して私見をまとめましたので、参考資料として発表させて頂きます。なお回答文の公開に関しては川畑さまには事前に打診し了解を頂いています。川端
□試論「純粋北一輝」への川畑泰氏からの質問に回答する
川畑さんから頂いたご質問にお答え致します。
Q:第五章 北学の構造 (進化)は大事な章と思いました。国体の三段階説がポイントとなるところと思いましたが、北の社会主義構想と天皇との関係は具体的にはどうなっているのか知りたいところです。
ここが国体論打破というところとつながっているのかもしれませんが。
A:北一輝の天皇論というテーマについては私の「純粋北一輝」の中ではほとんどといっていいほど触れておりません。その理由は北の天皇論は橋川文三によって深掘りされており、その橋川の北一輝論を一字一句まで精緻に読み解き把握した上で幅広い視野から北の天皇論の本質を平易に解説した松本健一の仕事があります。そいうわけで、橋川=松本の仕事を反復叙述するだけのことは、それをやっても私のオリジナルの批評行為とはいえないのでそこは省略したのです。しかし北一輝の天皇論は北思想の核心というか中枢部分ですので、そこを完全にすっとばすというのは北の批評作品としてみた場合、遺漏であり明らかな欠点といえるのかもしれません。
北の天皇論の本質は橋川文三によって明瞭に描き出されており、それを松本健一は受け継いだといえると思います。松本健一の北一輝論としてベストの作品として私が評価するのは『北一輝の革命』(現代書館2008年10月刊)です。北一輝研究の最高峰の作品ではないかと思います。
川畑さんご質問の北の天皇論に関して、橋川文三が簡潔に要約して解説している文章が橋川の『昭和維新試論』(朝日新聞社1983年刊)の中にありますので、引用しておきます。
《北の天皇論は、明治憲法の正統的解釈とされてきた天皇と国民の関係――主権者天皇の統治対象としての国民という関係(天皇の国民)を転倒し、天皇を民族社会の有機的統合と発展を代表する「国家の一分子」としてとらえ (=国民の天皇)、国民は天皇とともに国家の最高機関を形成すると考えるものであった。この天皇―― 国民のとらえ方はその処女出版『国体論及び純正社会主義』(明治三十九年) において詳細に展開されたものであるが、その思想の画期的な特長は、天皇論としていえば、それが明治期の伝統的な国体論の全面的否定の上に組みたてられていること、即ち天皇存在の根拠をなんらかの古い伝統的心情もしくは「迷信」の援用に頼ることなく、基本的には西欧近代の国家哲学にもとづいて弁証しようとしたことであり、国民論としていえば、それを「臣民」としてではなく、近代的な意味での「ネーション」と同じものとしてとらえようとしたことであった。要するに、北は一面においては天皇=現人神という神権説的俗信から天皇を解放し、他面では国民をアプリオリに「忠良」を義務づけられた「臣民」から解放している。いずれにせよそれは「国体論」の全面的な否定の上に構想された日本国家論であり、当時の国家権力にとっては許すべからざる異端邪説であった。ここではその「国体論及び純正社会主義」の内容にこれ以上立入る余裕はないが、「日本改造法案」はその「国体論」の思想を「大本根抵の義において一点一画の訂正なし」に継承し、具体的な「応用篇」として国家改造のために綱領化したものにほかならなかった。そこには国家改造の「総代表」「総司令者」たる天皇の地位の確定をはじめ、普通選挙権、改造内閣の構成、皇室財産の国家下附、私有財産制限、私有地制限、資本制限、教育制度、兵制、朝鮮民族の地位改革、等々、詳細な国家改造のプランが展開されているが、この「法案」がその後続出した各種の改造プランに比べて異彩を放つ所以は、第一にはそれがたんに改造の順序手段を示した無味乾燥な文書ではなく、人々の心情と理想を震憾せしめるような一つの世界直感をその背後にひそめていたことであろう。のちにこの「法案」を読んだ倉田百三 (そのころ倉田は熱烈な日本主義者となっていた) は、北の「性格の最奥所が絶対的宗教感情である」 ことは疑いないとし、通常の良識人の規準をこえた「生の大乗的把握」がその文体を貫いていることを讃美したが(「日本改造法案大綱を読む」)、すでに「国体論」において把握されていた人類進化の究極的イメージ (北はそれを人類を超えた神類世界の実現とみなしていた)を背景として展開されたその絢燭たる国家改造案は、ほとんど呪術的な魔力を以て人々の魂をとらえた。》(橋川文三『昭和維新試論』朝日新聞社1983年237-238頁)
Q:私は滝村氏の北一輝論を読んで、対外的には北は外征的な方向を取っているように感じました。第六章の、あなたはファシストであり軍国主義者だ。というのと重なるかもしれません。北の対外政策と社会主義の関係も知りたいところです。
A:このご質問に関しても松本健一は『北一輝の革命』で明解に論じています。ある意味で北に関心を持つ誰もが抱くであろうその疑問を一冊の書物を著して論じたのが松本健一の『北一輝の革命』という作品であると言えるのかもしれません。
・・・と、ここまで書いたところでネット検索をしたところ、「北の対外政策と社会主義の関係」について松本健一氏が古賀暹氏(元『情況』編集長)との対談で、次のように述べているのを発見しました。ご質問の核心に触れる発言と思われますので、そのまま引用します。
《松本健一:北は対華二十一カ条要求を出して以降の日本政府の姿勢を「遺憾極まりなし」と批判しています。中国側としては五・四運動を起こしたり、反日運動、日貨ボイコット運動を起こしたり、中国ナショナリズムを爆発させます。ここに両国のナショナリズムが激突するわけですが、このとき北は「太陽に向って矢を番う者は、日本其者と雖も天の許さざるところなり」と書くのです。竹内好さんは、日中関係を考えるとき返るべき地点は、マルクス主義の問題でも儒教を捨てるか否かの問題でもなく、この北の思想ではないかと指摘したのです。
他民族のナショナリズムを尊重する北の姿勢は、朝鮮民族に対する態度にも示されています。明治43年に日韓併合が行われましたが、朝鮮の無政府主義者の朴烈、あるいは石原莞爾のところにきた曺寧柱も含めて、当時の朝鮮民族の人々は、あらゆる社会思想、左翼思想においても、日本の思想は進んでいるが、朝鮮の思想は遅れているから併合されたのだと主張しましたが、北一輝は一度併合されたからには、参政権も含めて、朝鮮人にも日本人と対等の権利を与えるべきだと主張しました。この考え方は、北一輝の国家改造法案と石原莞爾の東亜連盟の維新論にしかありません。戦前の日本ナショナリズムがおかしな方向に進んでいったとき、北一輝は明確におかしいと批判したのです。》(雑誌『日本』2014年12月号掲載記事 松本健一&古賀暹対談「いま北一輝から何を学ぶか」)
滝村隆一氏は北一輝をファシストであり軍国主義者と規定している様子ですが、もしそうなら他国の侵略に断固反対するファシストというのは概念矛盾ですので、滝村氏はそういう叙述はなさってないだろうと思います(たぶん)。「北のこのような天皇論と革命論」についても同様と推測します。
竹内・橋川・松本ラインの北一輝像しか私は知らないのですが、このラインの北一輝像を北一輝像の地動説、北一輝をファシストと規定するラインを北一輝像の天動説と呼んで私は区別しています。そして残念ながら北一輝像に関する限り地動説より天動説の方が多数派なのですね。高校の歴史教科書の記述を見ればそれは分かります。子安宣邦先生は、そこはさすがです。自前のラインで地動説です。
以上です。ご参考になりましたでしょうか。それでは川畑さん、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
2020/9/19 川端拝
川畑泰様
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10154:201001〕
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