革命の組織論 歴史と宗教に学ぶ ② 3つの1神教の区別と連関
- 2010年 10月 15日
- 評論・紹介・意見
- 1神教浅川 修史組織論
1 神の名前と属性
ユダヤ教、イスラム教の分権的組織論に入る前に、ユダヤ教を起源とする3つの1神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の区別と連関について述べる。ユダヤ教のラビ(教師)はたとえ話を用いて説明することが得意である。彼らに見習ってコンピュータのOS(基本ソフトウェア)にたとえて考えてみよう。3つの1神教とも神の属性についての概念は同じである。神の呼び方が違うだけで「同一人物」である。
ユダヤ教は神の御名を口に出すことを禁止している。なぜなら、神の名前を呼ぶことは、創造者(神)と被造物(人間、動物、自然)との関係を逆転させるからである。我々は子どもや動物に名前(固有名詞)を付ける。これにより命名者と被命名者との関係は、所有・被所有の関係になる。
したがって、ユダヤ教では神に名前をつけず、ただアドナイ(我が主)と呼ぶ。日本の著書ではユダヤ教の神の名前をエホバとかヤハウェ、ヤーヴェとする記述がある。ヘブライ語をローマ字表記したYHWHという表記も見られる。ヘブライ語は単語の母音を表記せず、子音だけで表記する。たとえばYOKOHAMAという単語の表記は、YKHMになる。当時の人は文字を見ただけで発音できただろうが、今になっては正確な発音はわからない。本当にヤハウェとかヤーヴェだったのか。ユダヤ人やユダヤ教徒は口に出すときはアドナイしかと呼ばない。
キリスト教では、主とか父なる神と呼ぶ。キリスト教は三位一体論を信条とする。
父なる神、その子どもであるイエス・キリスト、両者から発する聖霊の3つを同質・同格の神とする。3者は永久に同時に存在する。さらにイエス・キリストは神であると同時に完全なる人間でもある。イエス・キリストは完全なる人間でないと、キリスト教の信条の根本になっているイエスの磔刑による人間の原罪の贖いと、人間の死からの復活が成立しないからである。
ユダヤ教の1神教の概念を壊さずキリスト教が三位一体論を展開することは、アクロバット的な弁術、論述、説得を必要とする。父なる神は子なる神(イエス・キリスト)に先行するのではないか。創造者である神(死なない存在)が同時に被造物である人間(死ぬ存在)であっていいのかなどなど、誰でも思いつく批判(突っ込み)が出てくる。
これを論破するには、教父アウグスティヌスやカルヴァンのような高度で粘着質の理論体系が必要である。
三位一体論の微妙な差異を巡って、初期キリスト教会が分裂を繰り返したことは知られている。アリウス派、ネストリウス派、単性派が初期キリスト教会から分離し、新天地を求めて布教した。アリウス派はゲルマン人へ、ネストリウス派はイラン、中央アジアなど東方に広がり、モンゴル人にまで到達した。チンギス・ハーン家の夫人はネストリウス派の出身者が多く、1258年にバクダッドを陥落させたモンゴル人将軍もネストリウス派だった。単性派はエジプト、エチオピアに広がる。しかし、どれも大きく衰退した。
カトリックとプロテスタントは血で血を洗う戦争をしたが、三位一体論はまったく同じで差異はない。カトリックと東方正教は、聖霊が誰から発するかで差異がある。カトリックが父なる神、イエス・キリストの両者から発するとするのに対して、東方正教は「父なる神のみ」とする。これが起爆剤になって、カトリックと東方正教は11世紀に分裂する。
ユダヤ教は三位一体論を「迷信」と片づけ、キリスト教のようなギリシャ哲学的な反論を展開しない。イスラム教は、「神に妻なく、子もない」(クルアーン)と一言でわかりやすく切り捨てる。
さて、イスラム教では神をアッラーと呼ぶ。「アッラー、アクバル」(神は偉大なり)。
神の属性は、1 唯一、 2 創造者、 3 時間と空間を超えた無限の存在、4 モーセなど旧約聖書の預言者に立ち現れた存在、4 抽象的な神ではなく、感情を持った「ねたむ神」=人格神、としてまとめられるだろう。人間や自然の運命を司るが、感情を持つ神なので、人間、特に預言者が交渉することもできる。
2 コンピュータのOSにたとえると
3つの1神教は基本設計が同じである。この中で、ユダヤ教とキリスト教は旧約聖書をそのまま共有しているので、互換性が高い。
WINDOWSにたとえると、
ユダヤ教は、ユダヤ教Ver1 (発売 BC458年 預言者エズラによるユダヤ教共同体創設の年を起点とする)
キリスト教は、ユダヤ教Ver2 (発売 AD30年 イスエの磔と復活の年)
イスラム教は、ユダヤ教Ver3 (発売 AD622年 ムハンマドのマディーナ移住の年)と呼ぶことができるだろう。
ムハンマドが自分のことを、「最後の預言者」と自負したように、今日までユダヤ教Ver4は出現していない。もっともごく希だが、マルクス主義をユダヤ教の現代版と呼ぶ哲学者もいる。その場合、ユダヤ教Ver4(発売 1848年 共産党宣言の年)と呼べるかもしれないが、ここでは立ち入らない。
ユーザー数でいえば、Ver1は2と3というよりハードルが低い、有力な互換商品に顧客が奪われたことや、ユーザーを囲い込みすぎた(信者になることはユダヤ人になること)で利用者が少ない。Ver2は中南米という新興市場の開拓に成功して、ユーザー数は最多だが、近年ではシンプルで使いやすいVer3がアジア、アフリカなどで大きく顧客を獲得している。
(以下次号)
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