革命の組織論 歴史と宗教に学ぶ ③ 誰がユダヤ人か。ユダヤ教の規定
- 2010年 10月 21日
- 評論・紹介・意見
- ユダヤ教浅川 修史組織論
誰がユダヤ人になるのか。筆者は現在のところ3つの規定があると考える。基本はユダヤ教の規定である。「ユダヤ人(ユダヤ教徒)の母親から生まれたもの。あるいはユダヤ教に改宗したもの」。1950年に制定されたイスラエル帰還法は、ユダヤ教の規定に準拠している。母方の血統でユダヤ人になれるかどうかが決まるが、同時にユダヤ教を学び、ユダヤ教のラビに認可されれば「誰でも」ユダヤ人になれるという両義的な規定である。ユダヤ教が母親の血統を基準にするのが、「言語や文化、慣習は母親から伝わる」と考えているからだ。不幸なことだが、古代、中世においてはユダヤ人女性がレイプされて、子どもが生まれることも多かった。こうした子どもはユダヤ法に従って、ユダヤ人として共同体が受け入れることができた。
改宗者のほうは努力と精進が必要だ。マックス・ウェバーが『古代ユダヤ教』で書いたように、改宗者は「門の改宗者」として2級市民、すなわち生まれながらのユダヤ人ではない、という扱いを周囲から受け、子どもや孫の段階でユダヤ教共同体の市民権を得た。反対にユダヤ教を捨てても、ただちにユダヤ人でなくなることはなく、ユダヤ教共同体から離脱するときも2代、3代かかる。
ユダヤ教に改宗し、ユダヤ人になった日本人女性を知っている。彼女は米国で若い男性と知り合い、結婚した。その男性は米国人だが、ユダヤ人でもあった。夫婦はイスラエルに移住し、子どもができた。子どもをユダヤ人にするには、母親がユダヤ人になるしかない。彼女は改宗のためラビのところに通い、ユダヤ教の教えと戒律(トーラー)を学んだ。ラビの認可を得て、最後に改宗の儀式として、ミクヴェ(水槽)に頭までつかり、洗礼を受けて、晴れてユダヤ人になった。そのときのラビの言葉を彼女は覚えている。「○○(彼女の名前)、ペンギンの肉を食べてはいけないよ」。彼女はそのとき脱力感に襲われたという。内心で、「誰がペンギンの肉を食べるか」と。豚など反芻しない動物の肉を食べてはいけない、うろこのないもの(エビ、うなぎなど)を食べてはいけないというユダヤ教の食事規定(コーシェル)の初歩は知っていたが、まさかラビからペンギンが例示されるとは想定外だった。イスラエルのスーパーではエビの色、形をした冷凍食品を売っている。ただ、中身は魚肉のミンチで、日本で売っている魚肉の「かにかま」と似ている。中身は魚肉なので戒律に違反しないが、彼女はユダヤ人になっても日本人の発想が抜けていない。「ここまでするのなら、素直にエビを食べたほうがいいのではないか」と思った、という。
613あるユダヤ教の戒律の中でも食事規定は安息日とともに優先順位が高い。
筆者にも思い出がある。イスラエルの官庁での昼食後、コーヒーが出た。担当の役人は、私がゴーイム(異教徒)だと思って、親切にアドバイスしてくれた。「牛肉を食べたあとだから、コーヒーにミルクを入れてならない」「牛肉が胃の中で消化されるまで、3時間、4時間は待たなければならない」と。ただ、出してくれたコーヒーに添えられたミルクは植物油由来なので、まったく問題はなかったが。
旧約聖書に、「子羊の肉をその母親の乳で煮てはならない」という規則がある。肉と乳の間に親子関係があるか、誰にもわからない。しかも、旧約聖書は「羊」と書いているだけで、牛には触れていない。しかし、食事規定に反する可能性を恐れて、ラビは拡大解釈して肉と乳を同時に食べることを禁止した。それが定着している。
こんな思い出もある。「肉と乳製品を同時に食べてはならい」というユダヤ教の食事規定に従って、イスラエルのレストランでは肉の出るテーブルと乳製品の出るテーブルが分かれている。ナタニヤという地中海の面したリゾート地に行ったときの出来事だった。遅い昼食をとろうとした。肉を食べたかった。それを伝えると、すでに肉のテーブルを閉めてしまった、という。ところが1分もしないうちに、ウェイターは乳製品のテーブルクロスを肉用に変えて、もう大丈夫と対応してくれた。さすがにユダヤ人は臨機応変、機転が利く。なにが言いたいかというと、ユダヤ教のトーラーの原則を尊重するが、現実に適合するための抜け道も常に用意されているということで、これがユダヤ人の柔軟さと思考力を高める結果になっているように考える。
たとえばシャバット(安息日)エレベーターがある。シャバットの日には、エレベーターのボタンを押すことも「労働」と見なされるので、シャバットの日、ホテルやコンドミニアムのエレベーターは自動的に各階止まりに設定される。これで戒律の違反は避けられる。
余談だがイスラエルは宗教的な人、世俗的な人、社会主義的な人、保守的な人、東欧から来た人、アラブから来た人、多様な人々の集まりだ。エチオピアから来たファラシャと呼ばれる黒人のユダヤ人もいる。世界100カ国の出身者がいるという。その中で異彩を放っているのがハシドと呼ばれる超正統派の集団だ。イスラエルはユダヤ人国家だが、ユダヤ教国家ではない。社会主義シオニズムが国家の原点である。その中でハシドの集団は、イスラエル国家を認めないし、兵役にも服さない隔絶した少数集団である。
ハシドがユダヤ人国家を認めない理由は二つある。一つはユダヤ人国家がメシアによって造られた国家ではないこと。もう一つはユダヤ人国家が近代国民主義の産物だからだ。 いくらユダヤ人国家でも戒律をきちんと守っていては仕事にならない。ハシドの人々は戒律を守りやすいダイヤモンド取引の仕事や、米国の支援者からの資金で暮らしている。世俗的なユダヤ人から見れば、働かず、国家の義務を果たさないのに、世俗的なユダヤ人を戒律を守らない不信仰者と攻撃するいやなやつらということになる。
最近、話題になったヤコブ・ラブキン著『トーラーの名において』(平凡社)のカバーは、イスラエル軍兵士に敵意をむき出しにしてくってかかるハシド信者の写真を使用している。ヤコブ・ラブキン氏の主張は、「シオニズムはユダヤ教をその衣装の一部としてまとっているが、本来はユダヤ教と対立するナショナリズム、社会主義から生まれたもの」とまとめることができるだろう。ラビキン氏はソ連出身のユダヤ人で、ユダヤ教正統派を名乗っているが、その根っこにはソ連時代に精力的に宣伝され、組織された反シオニズムがあることも確かだろう。
さて、マルクス主義、社会主義運動、共産主義運動には異常にユダヤ人が多い。マルクス、モーゼス・ヘス、ラッサール、ベルンシュタイン、カウツキー、トロツキー、ローザ・ルクセンブルク、レオ・ヨギヘス、カール・ラデック、カーメネフ、ジュノヴィエフなどなど枚挙にいとまがない。また、戦後、東欧各国で共産主義政権ができたがチェコ、ハンガリーなど一時はユダヤ人指導者だらけという趣きがあった。
レーニンにもユダヤ人の祖先がいるとロシア革命のときからユダヤ陰謀論の文脈の中で非難されてきたが、ソ連崩壊後のアルヒーフ(公文書保管所)が公開され、レーニンの母方の祖父がユダヤ人だったことが確認された。ただレーニンの母方の祖母はバルト・ドイツ人でルター派の信者なので、ユダヤ法から見てレーニンはユダヤ人の範囲からはずれる。
彼らはアイザック・ドイッチャーが言うユダヤ教に反対し、ユダヤ教の伝統を継承していない『非ユダヤ的ユダヤ人』(岩波新書)である。マルクスは著書『ユダヤ人問題について』の中で、「ユダヤ人の汚い商売」を批判し、「君たち、ユダヤ人は」と呼びかけている。
自分はユダヤ人ではないという宣言だ。そして、ユダヤ人は資本主義がなくなれば消える存在と位置づける。
マルクスを素直に「反ユダヤ主義者だった」と認める学者は多い。そのマルクスだが、由緒正しい「二人のラビの孫」で、ユダヤ人のエリート家庭の出身で、ユダヤ人かつユダヤ教徒の母から生まれているので、どこから定義しても立派なユダヤ人である。
米国の正統派ユダヤ人が書いた『現代人のためのユダヤ教入門』(ミルトス)で、著者は「マルクス主義は、この世界を完成させるというユダヤ教の使命感の無宗教的分派である」と規定する。そして、マルクス主義とユダヤ教のシステムは、相違点より共通点が多いとしたうえで、「両者は共にすべてを包括する世界観を持っている。事実、両者はともに宗教と呼んでいいもいいだろう」と結論する。筆者もユダヤ教とマルクス主義のOSは基本設計が似ていると思う。マルクス主義はユダヤ教のメシアニズムから生まれていると思う。
もちろん、マルクス主義が神を否定し、神から発する絶対的なモラル(戒律)を否定しているにせよ。ただ、それは革命のためなら詐術も盗みも殺人さえ許されるという別のモラル(戒律)に置き換わっているが。
(以下次号)
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〔opinion181:101021〕
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