テント日誌6月6日…霞ヶ関に降る雨は1000日の文字を濡らしていた
- 2014年 6月 7日
- 交流の広場
- 経産省前テントひろば
経産省前テントひろば1000日 商業用原発停止261日
霞ヶ関に降る雨は1000日の文字を濡らしていた
昨日からの雨は深夜になってもテントを打つ。テントで雨の音を聞くのもいいものだが、それにしても肌寒い。真夏日といわれた昨日までの暑さが嘘のようだ。6月の声を聞けば、梅雨と紫陽花である。僕はこの季節が好きなのだが、それでも、急激な気温の変化で風邪を引いたりすることは恐れてもいる。この季節に風邪を引くと長引いたり、体調を崩したりと厄介であるからだ。それでも傘もささずに雨の中を彷徨することが好きだった子供のころの習性が残っているのか、濡れるのもいとわずに自然に雨の中へということもある。テントは1000日を迎えた。文字通り暑さ寒さといろいろあったが、テントに関わって季節感などに敏感になった。これは予想外のことだった。が、テントでなければ得難きことだった、と思うこともある。いつの間にか自分の日常の一部となったテントだがこのことは僕が現在を考える重要な契機にもなっている。
1000日と言ってもそれは通過点に過ぎない。テントは流れる川のような存在であり、それはそれで一つの生き物のようなものだ。多くのひとがその川を構成し、そのなかで泳いでいるのだが、この川の意味や評価は現在ではよくわからないことも多いのだと思う。直観に支えられた人々の行動という水が、その集合が川をなしているが、この川はもう少し先まで流れて行くと思う。いつも水が流れていないと川は死んでしまうが、水という僕らの意志、あるいは権力に対する意志表示は絶えることはないのだ。そしてこの川はやがては多くの川の源泉のようにもなって行くのだろう、と思う。
この年月の間にテントではドラマというか波乱もあった。それこそ万を超える多くの人々がテントに出入りした。その出入りのうち多くのことが生まれ、人々の中に生きてあるのだと思う。それは今日も明日も続いて行くことであろう。
今日は第二テントで「千日万来」という催しがあった。福島県葛尾村在住だった小島力さんの自作詩(『わが涙滂々 原発にふるさとをおわれて』)の朗読やコンサートなどであった。降りやまぬ雨の中でもテントは一杯であったが、愉のしい雰囲気の中で進んでいた。
「草茫々 田畑茫々 村一つ荒れ果てて茫々(中略)草茫々 我が家茫々 軒先を埋め尽くして茫々 かつての昔 子たち孫たちの歓声はね返り バーべキューの焚き火燃え盛った その庭先に 生きて暮らした思いで消えやらぬその庭先に 草茫々 ふるさと亡々 わが涙滂々 草茫々 何もかも亡々 悔し涙滂々」(草茫々)は小島さんの読みあげたものの一つだが、イメージ豊かに伝わってくる。放射能汚染のもたらしているもの、その現在が何かを分からせてくれる。「美味しんぼ」を取り上げて非難した人たちに読ませたいと思った。もし彼らに想像力を働かせることがいくらでも残っているなら、おのれの言動に恥入ると思えるからだ。来週は川内原発現地行動の第一波(6月12日~14日)がある。テントも全力で取り込む。テントも手薄になるとも考えられる。東京にいるひとはぜひ時間を取ってテントに来てもらいたい。(三上治)
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と き 6月8日(日) 14:00~16:30
ところ 明治大学リバティホール
共 催 経産省前テントひろば/テント応援団/現代史研究会
資料代 1,000円
司 会 木内 みどり
~発言者~
○淵上太郎(経産省前テントひろば)
○中嶌 哲演(大飯原発運転差止訴訟原告団長・テント応援団呼びかけ人)
○河合 弘之(脱原発テントといのちを守る裁判・弁護団団長)
○ミサオ・レッドウルフ(首都圏反原発連合、テント応援団呼びかけ人)
○武藤 類子(原発いらない福島の女たち)
講 談 神田 香織新作「福島の祈り~ある母子避難の声
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