学問の越境と貧困の構造について(文学・哲学・経済学・歴史学の解体と再体系化は如何にして可能か))①《メディアの等級》②《戦争法からTPPまでの一週間》③《自由から友愛としての共同体経済の復権について》
- 2016年 4月 3日
- 交流の広場
- 武田明
1.序説(承前)
1-1
人性(人生)は、総合であり、断片化も出来るが、有機的構造として問われなくてはならない。
1-2
スピノザ的に、定理、公理…、ウィトゲンシュタインの論考の様に、それぞれの断片の中に全体が包含されている「詩篇」として提示していく事は、「理想」であり、魅力的である。
1-3
「理想」であるとするならそれは、「イデア」であり、唯物論的とは言えない。
1-4
最初の自己矛盾は、「言葉」と言う観念を用いて、唯物論を仕上げようとしている事に他ならない。
1-5
科学主義への唯物論者からの批判とは、本来、有機的な問いとして発せられているものを「無機物」解体のみであり、「弁証法」が成立していない不満となるのかも知れない。
1-6
人工知能未来史の問題を踏まえながらの覚え書きとして上記を改めて全ての人に問う。
1-7
人工知能は、一方では、「ヒトラーは正しい」と言い、また、一方では、人類の一部かまたは、全体の労働から解放する礎となる過渡としての断想を予感させている。
2.僕自身の問いは簡単である。
2-1
「わかり易さ」が、それであり、「論理学的普遍性」の基盤とは何かを問いているだけでしかない。
2-2
更に、何故、サルトルは、「恍惚の人」となり、医学独占による弊害から、繰り返し、同じ過ちを医学的にも、戦争法的TPP的(グローバリズム)にも同じ過ちを繰り返す構造を資本主義=商業主義的断片化によって、「楢山節考」が越えられていないのか?
この問いだけである。
2-3
「わかり易さ」は、手塚治虫、白土三平、雁屋哲、そして、「ゴールデンカムイ」?への回帰、復興の視点であり、独白から「対話」、増幅は、如何にしてなされるべきか?(これである)
2-4
道なき未知を切り開く、過去、現在、未来の問いを仕上げる「人生」「人間的問い」の混乱の「意味」、これを、『存在と意味』として突き詰めたいとしているだけでしかない。
第1部 学問の越境と有機的体系化の「理想」
3.学問の越境と有機的完成と共同主観性とは(文学・哲学・経済学・歴史学)
既に、マルクスは、哲学から経済学の越境の中で、難解とされ批判されたり、歴史的に置き去りにされたり、皇帝化されたりの弊害を余儀なくされている。
「わかり易さ」は、「啓蒙」の問いを含むこと、「民主主義」的多数派の基盤でもあり、それは、ギリシア哲学以来の問いでもあるであろうし、「情報の貧困」=「情報弱者」(土台)(下部構造)(経済学的分解)に関わる問いと対話の継続に他ならないのであるが、現状、「一強多弱」に甘んじている「アベ政治を許さない」当面の敵、「人類の敵」の在り方、「権力」を具体的に、ちきゅう座同志と共に、問い続けなくてはならないと言うわけである。
「わかり易さ」を標榜しているのだから、「時事(史観)」を取り扱わないわけにはいかない。
より具体的に、即物的にが、僕自身の最初の視点となっている。
僕の感想としては、「戦争法から反TPPへ」の一週間として、
ミスターちきゅう座?である醍醐聡先生と植草一秀氏との連携は喜ばしい最初のニュースの様に感じられていた。
TPPは地域を壊し、地産地消を脅かす。批准は許されない
http://chikyuza.net/archives/61612
3.30TPP阻止アクション目標貫徹まで連帯強化
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/330tpp.html
そもそも友愛以前としての「自由」に照らし出して語るなら、「自由放任」「無政府主義的市場経済」の問題点、新自由主義の問題点、グローバリズムの問題点、どの様に表現しても良いのだが、
帝國と小国の戦いを描いた『300 〈スリーハンドレッド〉』(原題: 300)と言う映画もあったが、ベトナム戦争から今日のイスラム国問題にまで一貫している「卑怯者の戦争」、人類(人間)の村や集落を近代兵器によって植民地化せんとするネオナチ的論理、物量と貴族城壁化する事でしかない根本を明確にしていかねばならないだけである。
維新から革命へ。
それは、現代徳川幕府(自民党アベ政治)と澤藤統一郎先生が、繰り返し述べている「天皇制」、双方を乗り越える事であり、幕府を倒す為に、古代王朝支配を利用する事ではないだろう。
「人間の解放」真自由主義である「共和制」(花崎 皋平氏『世界』2015)は、論理的に、これによってしか、「自由」さえ自己完結しないだけでしかない。
理想でしかなかった「三国志」劉備、そして、豊臣、『真田丸』の義など繰り返し「大河ドラマ」にて描かれ、『カムイ伝』に通じる鎖国、前近代性の問いを今こそ仕上げる改革、日本革命としての「論理学的普遍性」の完追に他ならない。
「卑怯者の戦争」の延長であるTPPから軍需産業、既得権益としての原発、そして、戦争法の中で、日本的理性と知性は、
「ヒトラーは正しい」と言う人工知能を越え出なくてはならないだけでしかなく、新自由主義には、一部の理も残されていないと言う事を更に、根底的に、「論理学的普遍性」として広報してく共同、連携、「野党共闘」を強化するだけの事である。
みなさんにお聞きしたい
http://chikyuza.net/archives/61583
折角、「マルクスへ帰れ」「レーニンに帰れ」の翻訳の仕事で、アジア屈指の著名人である中野@貴州さんからのお声掛けなのですが、お答えしている時間なくなってしまい今回も先延ばしにせざるをえないのが残念でなりません。
ただ、上記は、「論理学的普遍性」の側の問いであり、「貧困」「情報弱者」「庶民」「ネトウヨ」
バカ「人工知能」(「ヒトラーは正しい」)への対話、広報については到達していないのでいずれ、言及していかねばならない問いの中にあります。
僕も好んで、廣松渉氏に言及しつついますが、(降旗さん)とかは、アカデミックなる考古学のみでしかなく、
人・思想・情報の問いなのです。
http://chikyuza.net/archives/61455
本当は怖いiPad、庶民の貧困はこちらです。
http://chikyuza.net/archives/61203
4月1日の日米首脳密談
http://chikyuza.net/archives/61636
この一文は、どの様に読み取るべきか少し悩みました(笑)先生特有のユーモアであったのかな?本音の様な4月バカ会談なのか?トランプ前哨戦、アメリカ愚衆政治、TPPグローバリズムここに極まれり!と言う事なのでしょうか?
まだまだ、前近代的であり、未熟さばかりの目立つ日本であり、「情報弱者」「貧困」を脱する社会主義的民主主義段階へも到達していないのは、何故か、「永遠の未完」こそが、人生であるのか、「死」の問いを仕上げ、完成に近づけたいとするばかりの今日この頃と言うわけである。
①《メディアの等級》
http://revolutio.exblog.jp/23034274/
②《戦争法からTPPまでの一週間》
http://revolutio.exblog.jp/23034277/
③《自由から友愛としての共同体経済の復権について》
情報0円革命の手引き~道なき道を往く4月
http://revolutio.exblog.jp/23034294/
付録:資料集
http://revolutio.exblog.jp/23013404/
「ピケティからマルクスへ」〔マルクス関連〕〔集会情報ピックアップ〕(再掲)
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