区内の桜めぐりを を走りました https://chikyuza.net/wp-content/uploads/2019/03/b852d268496a3218b83a2749ac234419.pdf 〈記事出典コ
本文を読むカルチャーの執筆一覧
お彼岸に生家へ、あらためて「池袋の森」へ
著者: 内野光子お彼岸ながら、お墓参りは失礼して、池袋の生家の仏壇にお花だけでもと思い、出かけた。池袋の西口から地上に出るたびに、駅前の様相や生家付近の平和通りの様子が少しづつ変わっていく。生家は、長兄が亡くなった後は、義姉が一人で、
本文を読むささや句会 第49回 2019年2月28日木曜日
著者: 公子結う食処 楽屋 にて 評者 新海あぐり 一行の詩の寂しさや猫柳 新海あぐり ・猫柳が効いているというおほめの言葉もありましたが……。 春一番オーマイハットと天仰ぐ
本文を読むささや句会 第48回 2019年1月24日木曜日
著者: 公子結う食処 楽屋 にて 評者 新海あぐり 寒の道姿勢正しき僧の行く 奥野 皐 ・凛とした僧侶が、寒さにの中を歩む姿が浮かぶ。 群青の大気鋭く寒波来る
本文を読む私が会った忘れ得ぬ人々(6) 上野千鶴子さん ――私は育ちが悪いの
著者: 横田 喬初対面は今から丁度三十年前の平成元年(一九八九)のこと。彼女は当時四十一歳、フェミニズム(女性解放論)切っての論客として売り出し中。富山県出身で京大文学部大学院修了。社会学・文化人類学・記号学などを専攻し、肩書は京都精
本文を読む「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(4)
著者: 内野光子「無反応」だったのか なお、前々回の記事で触れた子安宣邦の大辻時評にかかるツイートの「平成という時代が天皇制国家日本の強みを再確認しながら終わろうとするようなことをだれが予想しただろうか。今日の「朝日歌壇」の時評で歌人
本文を読む「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(3)
著者: 内野光子「天皇制アレルギー」って? 大辻のいう「天皇制に対するアレルギー」とは、何を意味しているのか、が分かりにくい。書き出しの一文からは、まず、戦後短歌の出発当初の「天皇制に対する拒否反応」が、「現在は薄らいでいる」という風
本文を読む歌人の顕彰とは
著者: 内野光子以下は、一昨日、届いた『ポトナム』誌上の「歌壇時評」である。担当の時評が終わってホッとしている。近くの小学校の裏の梅が満開であった。 *********** 昨年は、ポトナムでも大切な先達を失った一年だった。近年、千葉県
本文を読む「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(2)
著者: 内野光子「戦後短歌は皇室との関係を結ぶことに慎重だった」のか 大辻の冒頭の一文を繰り返せば、「太平洋戦争中、短歌は戦意高揚の具であった。天皇に忠誠を表す形で戦争協力歌が量産された。その反省から出発した戦後短歌は、皇室と関係を
本文を読む「短歌と天皇制」(2月17 日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(1)
著者: 内野光子「その反省から出発した戦後短歌」って、ホント? すでに、1週間以上も経ってしまったのだが、2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」の見出しは「短歌と天皇制」であった。皇室情報がメディアにあふれ出ているこの時期に、埋もれそうな
本文を読む青葉の森公園は梅の見ごろでした
著者: 内野光子2月21日、千葉市ハーモニープラザでのハーモニー歌会は、体調を崩して欠席の方々がいらして、少し寂しかったのですが、終了後、皆で近くの青葉の森公園に繰り出しました。まさに梅の見ごろで、30種類以上約1000本の梅は、久しぶ
本文を読む私の「1950~60年代の池袋」ベスト5は~「アド街」を見て
著者: 内野光子先週土曜日の「アド街」は池袋だった。、しかも「昭和の」がついていたのである。池袋生まれの私は、見逃すわけにはいかない。ほんの時々だが、アド街は、見ることはあったが、聞き流しの程度のことが多かった。 録画こそ取らなかったが
本文を読む自転車エコライフ通信 175号
著者: 中瀬勝義亀戸天神・小村井香取神社の梅林 を紹介します。 https://chikyuza.net/wp-content/uploads/2019/02/09ca3c7603a3f0fb51e3531838facecc.pdf 〈
本文を読むリハビリ日記Ⅲ ⑰⑱
著者: 阿部浪子⑰テレビ出演した辺見庸 庭のウメのつぼみが、2つほころんだ。コケの生えた老木に楚々と咲いた。たしか昨年も、この木から開花したはずだ。地面には、スイセンが凛と咲いている。どちらも、浜松特有の強風にたえつつ、春のおとずれの
本文を読む《湘北拙句抄》その8
著者: 霧野 漠夜も更けて 狢(むじな)山降り 鶏血(とりち)吸う 朝見れば 抜けた羽が散る 鶏の小屋 桜守り 木槌を打ちて 木の音(ね)聴く 徹夜して 砂鉄熱して 鉧(けら)造り 落ち椿 踏まず過ぎゆく 京女
本文を読む1950年前後、何して遊んでた?金井さんのエッセイ集を読んで
著者: 内野光子金井美恵子さんから、お送りした拙著への感想と『暮しの断片(かけら)』(平凡社)という、新著エッセイ集をいただいた。画家の金井久美子さんとの合作の、いわば、大人の絵本ともいえる素敵な本だった。猫のエッセイや絵も多く、ねこ派
本文を読むなぜ元号にこだわるのか~使わないワケとは
著者: 内野光子私が会員になっている『ポトナム』の2月号に発表した「短歌時評」です。もともと表題はついていませんが、上記のように付けました。何度でも同じことを言っているような気がしますが、新しいファクトにもとづいて、言い続けるしかないか
本文を読む屋上菜園瓦版 143号
著者: 中瀬勝義世界都市農業サミットを紹介します。 https://chikyuza.net/wp-content/uploads/2019/02/9e3f773944bcab1d57febc42715be457.pdf 〈記事出典コー
本文を読む自転車エコライフ通信 174号
著者: 中瀬勝義亀戸七福神 + α を走りました https://chikyuza.net/wp-content/uploads/2019/01/c497000762253638f48f1e6bb6d06214.pdf 〈記事出典コード
本文を読む私が会った忘れ得ぬ人々(5) 河合隼雄さん ――人間の心の中の自然を守れ
著者: 横田 喬神奈川県座間市で一昨年秋、若い女性ら九人もの殺害~死体遺棄事件が起きた。犯人は自殺願望を抱く被害者にツイッターを介して接近。自殺幇助を口に次々と手にかけ、僅か三か月ほどの間に驚くほど大勢の命を奪った。奸悪な犯行が許せな
本文を読む本の始末、資料の不始末~なぜ過去を捨てきれないのか?!
著者: 内野光子好きな言葉ではないが、これは「終活」の一つということになるのだろう。私が利用している生協の生活クラブで、古書の回収を年に2回ほど行っている。NPO法人を通して障がい者施設の支援に充てるという。アマゾンなどを利用して換金す
本文を読むムンクの生きた時代
著者: 髭郁彦2019年01月28日(Mon) ムンク展 (2018年10月27日から2019年1月20日まで上野の東京都美術館で開催されていた)は沢山の人でいっぱいだった。何故これほど多くの人がここに集まっているのか。私には理解で
本文を読むお江戸舟遊び瓦版 639号
著者: 中瀬勝義荒川河口新砂干潟 冬鳥モニタリング調査 「 machimin 」 都心から一番近い森のまち流山駅隣の “地域の茶の間” を紹介します。 https://chikyuza.net/wp-content/uploads/20
本文を読むささや句会 第47回 2018年12月13日木曜日
著者: 公子結う食処 楽屋 にて 評者 新海あぐり バス行くも寒月仰ぐ酔心地 奥野 皐 ・結構なプラス思考の人。ほんとうに心地よく酔っていそう。 小春日やキャラメルといふ猫のあり
本文を読む昨年は、二つのインタビューを受けて~
著者: 内野光子昨年末、短歌誌『合歓』の発行人である久々湊盈子さんのインタビューを受けた。『合歓』では、毎号、歌人などのインタビュー記事があって、その人選びも中身も、聞き手のリードもあって、楽しく読ませていただいていた。今回、思いがけず
本文を読む2019年、歌会始は終わったが~召人は二人?
著者: 内野光子今年の歌会始の中継は、忘れずに見た。今の天皇夫妻にとっては最後の歌会始ということらしい。天皇の短歌ばかりが、メデイアでは繰り返されていた。 私が、とくに印象に残ったことといえば以下の通りだ。 平成最後の歌会始といっても、
本文を読む天皇の短歌の登場は何を意味するのか
著者: 内野光子天皇の短歌の登場は何を意味するのか「ヘイセイ」「平成」とメディアは大騒ぎするけれど、天皇の代替わりで何が変わるのだろう。元号が変わったからと言って、日本国憲法下の世の中、変わるものがあるとしたら、逆におそろしい気がする
本文を読む御位譲給ふ新年に
著者: 岩田昌征大君の千代田の宮ゆ 去り給ふ日の定まりて 宮城を守る水面に 住ひする水鳥の子等 南辺へたび立ちぬれば 御堀道夕日を浴びつ 大和児は胸に思ほゆ あらたしき日継ぎの御子の 御代名こそ戦さ来ぬ世を 指しまほ
本文を読む小林陵侑選手の歴史的快挙を祝う
著者: 盛田常夫スキージャンプの小林選手がジャンプ週間で史上3人目のグランドスラム(4大会すべてで優勝)の快挙を達成した。日本国内ではジャンプ週間総合優勝が大きく取り上げられているが、欧州ではグランドスラム達成に沸いている。 スキー
本文を読む四〇歳は「惨勝と解放」に何を見たのか - 堀田善衛『上海にて』を読む(2) -
著者: 半澤健市《戦争と哲学と歴史》 一九四五年の春、堀田善衛は当時上海にいた作家武田泰淳と南京に旅行した。二人は南京の城壁に登った。その時に堀田は次のように考えた。 ■中国戦線は、点と線だというけれど、こりゃ日本は、とにかく根本的に
本文を読む