宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読むと、学問とは何か、宗教とは何かを死の底に触れるような場所から教えてくれる場面にでくわす。宮沢賢治があたかも死という背景の中に浮かんだところから、人間がものを考えることは一体何なのかを問い
本文を読むカルチャーの執筆一覧
書評 『歎異抄』を読む④
著者: 宮内広利親鸞における「信」と「不信」の隙間は、いわば、紙一重である。親鸞にとって「信」は、「信」と「不信」とを同時に見渡すことのできる視界を獲得していたからだ。そこからみると、「信」と「不信」は「知」と「愚」とともに全く等価に
本文を読む『評伝 野上彌生子―迷路を抜けて森へ』
著者: 阿部浪子『評伝 野上彌生子―迷路を抜けて森へ』岩橋邦枝・著 新潮社・刊 野上彌生子は70余年にわたり小説、評論、随筆を書きつづけた。著者の岩橋邦枝氏は、彼女の遺作「森」を読んで、この豊穣な傑作を百歳ちかい人が書いたのかと驚き、そ
本文を読む書評 『歎異抄』を読む③
著者: 宮内広利死と鼻をつきあわせたような生活状態に投げこまれた衆生に対面して、どんな理念が衆生を救済できるかという親鸞の答えは、どんなにかかわっても人が救済される保証は得られないという絶望が先にあった。人々は、生きているあいだ救済さ
本文を読む自著を語る:『北一輝-革命思想として読む』
著者: 古賀 暹*古賀暹著『北一輝―革命思想として読む』(御茶の水書房2014.6.1刊 4600円+税) 北一輝に関する書籍は、私が知る限りでも数多く存在する。雑誌などに発表された短い評論を加えると、その数は膨大なものに上るだろう。こ
本文を読む書評 『歎異抄』を読む②
著者: 宮内広利親鸞の時代は天災による飢餓や貧困、病苦、戦乱によって、いわば死が日常化していた。それは、たとえば、念仏を称える間もなく急死する人々にとって、往生するための念仏は一声でよいのかという、一見、矮小といってもよい問いかけだが
本文を読む書評 『ハイ・イメージ論』 吉本隆明著
著者: 宮内広利≪価値は自然の手段や道具としての有用な変更でもたらされるもので、価値の普遍性は役にたつ交換によってたもたれるとかんがえる『資本論』のマルクスの価値概念には、いつももの足りなさがつきまとう。素材や物体のさまざまな形態として
本文を読む書評 『歎異抄』を読む①
著者: 宮内広利親鸞の教えは、四十八願をたて修行を実践して仏となった阿弥陀仏が、極楽浄土を建立し、念仏という名号を衆生に与えたことにはじまるとされている。親鸞によれば、弥陀仏の本願によって救われるのは老若男女を問わない。また、善人や悪
本文を読む書評:井上理恵編著『木下順二の世界――敗戦日本と向き合って』
著者: 関谷由美子編著者井上理恵は「あとがき」に「今回改めて全集を読み返して思いを新たにしたが、木下の主張が余りにも現在のこの国の在りようにピッタリとはまることに驚いた。と同時に、これまで把捉できなかったものが、明らかな相貌を帯びて迫って
本文を読む書評 イメージとしての敗戦
著者: 宮内広利ひとがあるイメージを好きであったり嫌いであったりすることの意味はなんだろう、というような任意の設問をたててみる。そうすると、そのイメージに込められた人々の体験やこころの起伏によりそって、変化や屈折がプリズムのように放射
本文を読むブラウン管の中のスパイたち
著者: とら猫イーチ 改め 熊王 信之1960年代テレビ番組(洋画)では、西部劇が全盛であったことは、以前の投稿で少し書いたのですが、それ以外で当時、人気を博していた番組は、西部劇よりは少なかったもののスパイものが人気でした。 その多くは、米国からのものでし
本文を読む書評:長浜功著『「啄木日記」公刊過程の真相―知られざる裏面の検証』
著者: 阿部浪子「オレが死んだら日記は必ず焼いてくれ」。石川啄木は親友に託して1912年に他界している。しかし日記の焼却は遠のき、戦後、娘の夫によって公刊されるのであった。 著者の長浜功氏は、それまでの波瀾万丈の過程をじつに丹念にたど
本文を読む書評 神話の解体=福音書
著者: 宮内広利人間の生来の悲劇をさぐりあてたかのようなバタイユの考え方にとっては、「最高存在」の子であるイエス・キリストが肉体をもって実在した人物であったかどうかということは、とりたてて意味をもたない。イエス・キリストが実在しなかっ
本文を読む西部劇の思い出
著者: とら猫イーチ私は、西部劇が好きでした。 過去形で書かねばならないのは、近年になって、ハリウッドから西部劇の新作が全く世に出なくなったからですが、勿論のことに今でも好きなことには変わりはありません。 しかしながら、その昔、場末の映画館
本文を読むコバケン・レジェンド ―小林研一郎ハンガリー・デビュー40周年―
著者: 盛田常夫クラシック音楽が生活の一部 ウィーン、ブダペスト、プラハはいわばクラシック音楽のメッカ。週末にはマチネのコンサートが各所で開かれ、オペラハウスでも児童生徒用にマチネ公演がおこなわれている。子供でも楽しめるオペラやバレー
本文を読む書評 カミとアニミズム
著者: 宮内広利岩田慶治はアニミズム世界と空海の密教世界が似かよっていると指摘している。アニミズムとは自然の万物のうちにひそむ精霊をカミとして信じている人間の状態である。その世界では鳥や獣や河川の中に精霊がひそんでおり(擬人化)、自分
本文を読む書評 失墜した社会主義
著者: 宮内広利マルクスが『共産党宣言』において示した「私有財産の廃止」というスローガンは、あたかも国家的所有に受け取られかねない、とても誤解されやすい言い廻しである。この言葉とともに、共産主義者の任務である①土地所有を収奪する②強度
本文を読む書評 知の宗教
著者: 宮内広利20世紀最大の思想的事件はマルクス主義の解体であった。わたしたちは、1989年のベルリンの壁の崩壊やソ連邦の崩壊を体験したが、そのときの「あっけなさ」の感慨を忘れることができない。まさにそのためにこそ闘ってきたと信じてき
本文を読む『雪のひとひら』を読む
著者: 木村洋平ポール・ギャリコの『雪のひとひら』を読んでみましょう。雪のかけらの生涯を扱った物語、それは長めの童話のようです。雪のひとひらは、はるか上空で生まれ、地上へと降りてゆきました。 おかしなこと、と雪のひとひらは思いました
本文を読む書評;高橋行徳著『向田邦子「冬の運動会」を読む』(鳥影社刊)
著者: 阿部浪子闘う向田邦子を紹介したいと、著者の高橋行徳氏はいう。邦子は51歳で直木賞を受賞し、翌1981年に飛行機事故で他界している。 著者は、邦子が30代から書いてきたテレビの脚本に注目し、創作活動の転機となった「冬の運動会」
本文を読む書評 欠如のない時代の方角
著者: 宮内広利3.11前でさえ、あまりに速い世相の移り替わりなのに、停滞感がぬぐえないのはなぜだろうとおもってきた。誰もが自意識が総敗北をしているのではないかというような焦りを抱いていたのだ。しかし、このような思想状況は、わが国だけ
本文を読む書評 風景としての空海
著者: 宮内広利わが国に仏教が輸入されてそれほど時間がたっていない頃、学問重視の奈良仏教に対する真言密教の祖、空海の反抗は、自然との格闘の思想に深くかかわっている。仏教は紀元前5世紀頃にインドの釈迦が広めたことになっているのだが、その
本文を読む文学渉猟:芸術は神的なものを、情熱によって直観的なものにする
著者: 合澤 清書評:サマセット・モーム作『月と六ペンス』 中野好夫訳(新潮文庫)590円 サマセット・モームといえば、かつて大学受験英語の代表作家であった。その苦い思い出からか、私は長いことモームを読もうという意欲が起きなかった。その
本文を読む書評 シャーマニズムの思考論
著者: 宮内広利樋口清之の『卑弥呼と邪馬台国の謎』の中のシャーマニズムの解説を読むと、シャーマンの神憑りにはある階梯(ステップ)があることが想定されている。 ① 太鼓、笛、鈴などの楽器を奏しながら単調なテンポで踊ることで、自己陶酔から
本文を読む連作・街角のマンタ(第二部) 六月十五日(その9)
著者: 川元祥一16 店に戻ると誰も寝静まっていた。玄関の戸をゆっくり引いた。新聞販売店の玄関はいつも開いている。折込広告の束がいつ投げ込まれてもいいように。そしてまた、号外新聞がいつ出てもいいように。俺は忍び足でベットに
本文を読む連作・街角のマンタ(第二部) 六月十五日(その8)
著者: 川元祥一14 六月十五日。その日は朝から雨雲が垂れこめ、いつ降りだしてもおかしくない空模様だった。いつものように朝刊を配って朝飯を食った。その後二階に上がって体を休めた。今日のデモは正午からだった。しかしその前に緊
本文を読む連作・街角のマンタ(第二部) 六月十五日(その7)
著者: 川元祥一12 次の日学校に行くとキャンパスの空気がこれまでとまったく違うのを感じた。何かが止った感じ。時間が止ったとでも言うべきか。透き通った感じでもあった。昨日の夕刊や今朝の朝刊の紙面では国会議事堂
本文を読む連作・街角のマンタ(第二部) 六月十五日(その6)
著者: 川元祥一10 その日、五月二十日。朝飯を食って学校に行こうとしていると奥の部屋から声がかかった。 「川田さんお電話よ」 炊事の法子だった。彼女はおやじの姪にあたるという。ポチャポチャと丸太りしたおっとり女だった。お
本文を読む書評 折口信夫の宗教論
著者: 宮内広利わが国における感情の起伏としての三角関係と聞いて、すぐおもいつくのは折口信夫の宗教論のことである。 ≪常世のまれびとと精霊(代表者として多くは山の神)との主従関係の本縁を説くのが古い呪言である。呪言系統の詞章の宮廷に行は
本文を読む連作・街角のマンタ(第二部) 六月十五日(その5)
著者: 川元祥一8 その日は正午に正門前からデモが出発するのをビラや立看で知らせていた。いつもだったら学生が昼飯を食う時間を考慮するのだったが、この日はその考慮もしなかった。それでもいつもより多い千名近い学生
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