戦争の執筆一覧

原節子の戦争と平和(4) ― 伊丹万作と家城巳代治 ―

著者: 半澤健市

 「原節子の戦争と平和」から、十五年戦争に関する映画人の戦争責任の問題にたどり着いた。しつこいようだが、映画が―今ならテレビが―、百万人規模に影響を与えるから考察しておきたいのである。 GHQによる1946年1月の公職追

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原節子の戦争と平和(3) ―俳優は「着せ替え人形」なのか―

著者: 半澤健市

 「原節子の戦争と平和」を書いていると関連する幾つかのテーマに導かれる。 一つは、俳優は職業の社会的な意味をどう考えているのか。 二つは、日本の映画人は戦争と平和をどう考えてきたのか。 三つは、映画観客はそういう問題をど

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原節子の戦争と平和(2) ― ナチスのアイドルとなった美少女 ―

著者: 半澤健市

 原節子の戦争は『新しき土』(1937年)から始まった。 日独合作の日本最初の本格的「国際映画」である。1920年生まれの原節子が、横浜高等女学校をやめて女優になったのは1935年である。家庭の経済的事情と義兄の映画監督

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原節子の戦争と平和 ― 小津は「大東亜戦争はなかった」と考えたか ―

著者: 半澤健市

 ドイツの日刊紙『ディ・ヴェルト(世界)』は映画女優原節子の訃報記事に「日本人に対しては西洋的な美を、西洋には理想の日本人女性を体現した」と書いた(『東京新聞』、2015年11月27日夕刊、「共同」)。これは多くの日本人

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陸軍にもあった海上特攻隊 - ベニヤ製の小型艇で敵艦に突っ込む -

著者: 岩垂 弘

 8月28日付毎日新聞夕刊社会面のトップ記事に目が止まった。「『真珠湾』最初の爆弾投下」「軍神 敗戦を予見」という見出しのついた記事。アジア・太平洋戦争の口火となった1941年の真珠湾攻撃で最初の爆弾を投下し、翌年、南洋

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昭和16年12月8日 ―戦争はいつも自衛戦争である―

著者: 半澤健市

《「自存自衛」は世界を敵にまわして敗北した》  大東亜戦争の大義は「自存自衛」と「東洋平和」であった。昭和天皇は1941(昭和16)年12月8日に発した『米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書』でこういっている。以下はその一部である

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「神風特別攻撃隊」ふたたび ―レイテ沖海戦70年目に―

著者: 半澤健市

 百田尚樹の小説『永遠の0(ゼロ)』が480万部も売れ、映画、漫画もヒットした。テレビドラマ化も企画されているという。特攻隊は、なにゆえに、いつから、人気と美化の対象に変わったのか。もちろん、特攻の美化を批判する言説も存

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過去の記憶を残そうとするドイツ、消そうとする日本(その2)

著者: 小澤俊夫

メール通信「昔あったづもな」第19号  ベルリンの有名なブランデンブルク門からほど遠からぬところに、東西分割の時代にチェックポイント・チャーリーという検問所があった。当時ベルリンは四地域に分割されて統治されていた。アメリ

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過去の記憶を残そうとするドイツ、消そうとする日本(その1)

著者: 小澤俊夫

メール通信「昔あったづもな」第18号 グリム童話研修旅行と北ドイツの旅に行ってきた。グリム研修旅行の最後に、ぼくは、ワイマール憲法で知られるワイマールに一行を案内することにしている。日本の平和憲法の模範となった民主憲法を

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1945年8月2日・八王子空襲 -小澤俊夫さんの「B29の体当たりをみた」に触発されて-

著者: 半澤健市

 小澤俊夫さんの「B29への体当たりをみた」(「リベラル21」、7月26日:http://lib21.blog96.fc2.com/)に触発されて、私も自分の戦争体験を書く気になった。極私的記述をご海容いただきたい。 《

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日本は戦争ばかりしていた -今こそ、戦争を記憶する努力を-

著者: 岩垂 弘

 自分の国が攻撃されていなくても、密接な関係にある他国が攻撃されたときに武力で反撃する権利とされる集団的自衛権の行使容認が、安倍内閣による閣議決定によって強行された。日本国憲法第9条の解釈を変えるという異常なやり方によっ

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あの日米開戦から70年を迎えて -戦争を扇動した新聞メディアは今-

著者: 安原和雄

 日米開戦(1941年12月8日)から70年を迎えた。日米開戦までに中国大陸では日本軍の侵攻が進んでおり、日米開戦で戦線は太平洋にまで広がった。その結末は数え切れないほどの犠牲を積み重ねて、敗戦に終わった。  あの戦争を

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やっぱりおかしい「暴力装置」論、そして「文民統制」論

著者: 安東次郎

『暴力装置』とはなにか? 27日付けで半澤健市氏の<暴力装置論 一億総ナショナリズムへの遁走>(注1)が掲載されている。 半澤氏は、仙谷氏の「自衛隊は暴力装置」発言への攻撃にたいして、自衛隊や軍隊が「暴力装置」であること

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アジサイの季節になって―長めの論評(十六)

著者: 三上 治

 沖縄の地域住民の意思が本土復帰という戦後処理に終わらないで、戦争について共同の意思の表出と表現であるためには日本(ヤマト)からの自立がなければならない、それが独立論や南島論の根底にあったものだ。確かに、僕はその時は独立

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